エピローグ

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「結局、“婚約者”っていうのは何だったのよ」  記録管理棟からの帰り道、シグリットはそう問うた。  横を歩いていた男が若干気まずげな表情をするのにもかまわず、シグリットはいつも通りのしかめ面で言う。 「確かにおまえには外堀から埋めようとする卑劣な悪癖が昔からあるけれど、それにしたって“婚約者”はいきなり過ぎるわ」 「卑劣な悪癖……」 「ちゃんと説明なさい。……置いてけぼりは嫌よ」  最後の置いてけぼり云々は言っている途中で恥ずかしくなってきて、最初よりずっと小さい声になった。  それでもしっかりとラシュティバルトの耳には届いたようで、彼は目を細めて愛しい女を見つめ、口を開いた。 「実はあの記録管理棟は、騎士団員とその伴侶しか入館できないのです」 「騎士団員が入館可能なのは分かるけど、その伴侶も?」 「ええ。団員の希望があれば遺書なども管理してくれるので、本人が殉職した際に妻や夫が入館する場合が多いですね」  遺書。殉職。不穏な言葉にシグリットの顔が険しくなると、すかさずラシュティバルトは「今はもう滅多にないことですよ。昔の名残というやつです」と付け足した。 「それでまあ、本来であればシグリット様が記録管理棟に入るには……ゴホンッ、私の妻になっていただくしかなかったわけです」  ラシュティバルトは何故か言葉を区切り、謎に咳払いをして、無駄にいい声でそう言った。  それに特に触れることはなく、シグリットは納得した表情で頷く。 「なるほど、合点がいったわ。だからおまえは今世で初めて会った時、いきなり求婚してきたのね」  思い出すのは、ラシュティバルトが修道院へ訪ねて来たあの日。彼は再会してすぐシグリットに結婚を申し込み、そしてバッサリすっぱり断られた。あの時は何を血迷っているのかと思ったが、裏にはそういう事情があったらしい。 「申し訳ありません、あの時はシグリット様にお会いできた喜びでひどく高揚していて……。すぐにでも記録管理棟へお連れしたい気持ちと、貴女への愛しさが溢れるあまり、軽率な行動をとりました」 「…………」  ラシュティバルトの長台詞に対して、シグリットは無言を貫く。だというのに、彼はまったく堪えた様子はなかった。  それどころか、彼女の顔にかかった横髪をそっと耳にかけ、「可愛らしいですね」と何やら嬉しそうに(のたま)う始末だ。  両耳と両頬が馬鹿みたいに熱いので、恐らくそれを見ているのだと思うが、隠したら隠したで何だか負けた気がするので、シグリットは全力で素知らぬフリをした。損な性格である。 「それで、妻が駄目ならせめて婚約者として入館できないかと手を尽くして——昨日やっと許可証が発行されて、今に至ります」 「よく許可してもらえたわね」 「ええ、頑張りました。とても」    最後の三文字にだけ、やたら声に力が入っているように聞こえたのは気のせいだろうか。若干腹が立つ。  とはいえ彼がシグリットのために奔走してくれたのは揺るがざる事実だ。ここは素直に礼を言っておくべきだろう。 (…………)  数秒逡巡(しゅんじゅん)したのち、シグリットは隣の男に向き直った。 「……一回しか言わないから、よく耳を澄ませておいて」 「はい」 「もう少し近づいて。耳を貸してちょうだい」 「はい、分かりました」  よほど聞き漏らしたくないのか、ラシュティバルトはこれ以上ないほど真剣な表情で頷き、片耳を寄せる。  そうして目の前に降りてきた彼の耳へとシグリットは口を近づけて——そのまま耳を通り過ぎ、彼の頬めがけて口づけをお見舞いしてやった。 「ふん、これはさっきのお返しよ」  間抜けなくらい驚いた顔で片頬を抑える男を、勝ち誇った様子でシグリットは見上げる。  それから柔らかく微笑んで、めいっぱいの感謝を込めて告げた。 「好きよラシュ。私とともに歩んでくれて、ありがとう」
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