2つの道

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結婚してからは、浬さんの希望で私は会社を退職した。 自宅は1億円をかけて都内に新築し、2人で住み始めた。 休日は、浬さんと映画を見に行ったり、テーマパークに遊びに行ったりして楽しんだ。 結婚して半年程した頃私は妊娠したことがわかり、この頃から浬さんは私の体のことを気遣ってくれた。 赤ちゃんは私のお腹の中ですくすくと順調に育ってくれて、予定通り出産の日を迎えた。 でも出産当日浬さんは、仕事の関係で立ち会うことができず、実家から私の母が東京に来てくれて無事女の子を出産することができた。 産まれてきた娘の名前は、浬さんが『凛香(りんか)』と名付けたけれど、私の意見には耳を貸そうとしなかった。 出産後も私の母は家に泊って家事や凛香の世話を手伝ってくれた。 私ははじめての子育てに悪戦苦闘し、浬さんの面倒を見ることがなかなか難しくなっていた。 凛香はすくすくと育ってくれたけれど、浬さんはあまり子供の面倒を見てくれることはなくて、家事と子育ては私に任せっきりといった状態になっていた。 それでも浬さんは私が買いたいものは何でも買ってくれて、経済的には何不自由なく裕福な生活を送っていた。 浬さんは休日で家にいるとき、凛香が泣きだすとうるさいといった感じで、家を出てコーヒーショップに行って仕事をしているようだった。 凛香が幼稚園や小学校に入って運動会などの行事があっても、浬さんは参加することはなくて私1人で行事に参加していた。 しかし浬さんは家族で食事に行ったり旅行をしたりしてくれて、凛香と私に高級料理を食べさせてくれたり、豪華なリゾートホテルに泊めてくれたりした。 凛香が小学校高学年になると浬さんは私立中学校へ進学させたいと言っていた。 しかし凛香は小学校の友達と別れることがいやで、地域の公立中学校に行きたいと言うと、浬さんはどうしても私立の中学校に入るように強要した。 凛香は強引な浬さんの言う通り、私立中学校を受験して入学した。 凛香は中学校に入学しても学校になじめず、友達ができなくて中学校に行きたくないと言い出した。 私が凛香をなだめながら何とか中学校は卒業したけれど、高校に入ると凛香は学校に行かなくなって不登校の状態になってしまった。 私が凛香のことを浬さんに相談すると浬さんは凛香のことを甘やかせすぎだと私を責め立ててきて、私はどうしたらいいのか独りで悩むようになっていた。
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