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「……ご近所ってなに?」
「ああでも言わないと、物黎と一緒に帰る口実、なくなるだろ」
家に向かう道を歩きながら、私はじっとりとため息をついた。
灯点頃のほうは見ない。ひたすら前を見てぽてぽてと歩く。
「まさか家までついてくる気?」
「それ以外になんの目的があって、俺が物黎と一緒に帰ると思う?」
「虫よけとか。今は春だし、それなら助かるけど」
「……物黎、まさかあの時の、普通の虫よけだと勘違いしてたのか?」
「だって虫よけって言ったのは灯点頃」
「いや、そういう意味じゃなくて」
訳が分からない。そう言えば確かに、真冬になんで虫よけ? とは思ったけど、隠語だったのかな。
そこまで考えて、思い当たったのは仮面屋敷の暗号くらいだけど……それなら、調べなくてもいいな。というより、調べたくない。
「私、できればもう、仮面屋敷には関わりたくない」
「ちょっと待て、なにをどう勘違いしてる?」
「勘違いじゃない」
私は足を止めて、じっと灯点頃を見上げた。
「私はもう、仮面屋敷を辞めた」
「そうだな」
「灯点頃のバディでもない」
「――けど、俺はもう一回、輝千と任務がしたい」
何を言っても聞かない灯点頃に、私ははあっと大きく息をついた。
「――もう灯点頃嫌い」
軽い返事が返ってくると思っていた。
けど、隣で微かに空気が揺れる気配がして、それっきり何もない。
あれ、と思って隣の灯点頃を見上げると……一瞬だけ、灯点頃の瞳に、かすかに痛いような、少し切なそうな、苦しいような、そんな感情が浮かんでいるように見えて。
けれどすぐに灯点頃はふっと目を閉じて表情を緩めたから、胸に引っかかった顔も見えなくなってしまう。
……なに。
なんだったんだろ、今の。
気のせい、じゃない。
強張った顔つきは、絶対、気のせいなんかじゃなかった。
目を細めて灯点頃の顔を凝視していると、灯点頃の唇がかすかに動き、「……そうだな」と声が落ちた。
いつもよりもずっと、やわらかなその声は。
私を傷付けないようにというよりは、自分の胸の奥の傷を隠そうとしてるように聞こえた。
なにかがひっかかって眉をひそめた瞬間に、ふわりと長いまつ毛が動いて目が開き、いつも通りのまなざしが私に流れる。
目が合って、灯点頃の目が愛しいものを見るように、痛みをこらえるように、静かに細められた。
「そうだよな」
私じゃないどこかに言ってるみたいに、灯点頃は小さく小さくもう一度呟くと、唇の端をかすかに持ち上げて微笑む。
「知ってる。……でも、一回でいい。今夜だけ、俺のワガママに付き合って。そしたらもう、何もしないから。俺のことも仮面屋敷のことも、忘れたいならそうしていいけど、だけど今日は、俺と一緒に来て、前みたいに、一緒に任務やってよ。一回でいいんだ」
一回だけでいいんだ。
そう言うと、灯点頃は顔ごと視線を逸らして、かすかに目を伏せた。
私は灯点頃の横顔から目を逸らさない。
でも、灯点頃と視線は合わない。
私の方を向かずに、すこし先の地面を見つめたままで、ごめんな、と灯点頃が呟いた。
私は何も言わなかった。ううん、とも、うん、とも、それ以外の、なにかを聞いたり励ましたりするような言葉も。
何か言いたくなったわけでもないし、何かを言おうとしたわけでもない。
何も言えなかったわけでもない。
私はただ、あんまり話さなくて、思ったことを声に出そうと思うこともそんなになくて、ふと何かを考えても、それを口にはせずに黙ってる。
そういう性格で、そういう体質で、そしてそれを灯点頃はよくわかってて、灯点頃の前では無理に何かを取り繕ったり、沈黙を続けないように必死に話し続ける必要がないだけ。
お互いに黙ってても、心の底の根っこはどこか同じで、言葉にしなくてもなにかが伝わる。
細かいことが全部通じるわけじゃないけど、なんとなく相手が自分と同じことを考えてることとか、居心地がいいこととか、自然に息ができることが感覚的に分かった。
今までもそうだった。
だから何も言わなかった。
それだけだ。
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