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第二話 さようなら、日常
「ああ、いた」
――――間に合わなかった……。
昼休みになったらすぐトイレに駆け込んで、授業開始まで閉じこもるつもりだったのに。
授業を終えた私ががたんっと机を鳴らして立ち上がった次の瞬間には、もう入口に実が立っていた。
気づいた女の子たちが、窓が割れそうな悲鳴をあげる。
「実くん!」
「どうしたの、五年生でしょ?」
「ねえ、実くんってどこから来たの?」
あっという間に実を取り囲み、口々に質問攻めにする。実は背が高いから顔が見えなくなることはないけど、花のようなキラキラの笑顔と甘い優しい声で「名前覚えててくれたの? ありがとう」「すごいね、よく知ってるね」「うーん? ひみつ」と答えていて、少なくとも今なら身動きがとれなさそうだった。
ありがとうみんな、と心の中でお礼を言って、いそいそと実くんがいないほうの出入り口に移動した、のに。
「あれ、輝千ちゃん、ちょっとどこ行くの? せっかくトウカくんが来てくれたんだよ⁉ なんか聞こうよ!」
トウカって誰だ――――と思う間もなく、私は九条さんに引っ張られて、勢いよく転校生質問群の最前線に引っ張られてしまった。
うん? と涼やかな顔で見下ろされ、心臓がまた跳ねる。
実がすっと目を細め、かと思うとすぐに王子様スマイルへと切り替わって、クラスの女子を見回した。
「ああ、ごめんねみんな。僕、この子に聞きたいことがあるんだけど、いいかな?」
「えっ」
その場の空気が固まった。
固まったというか、凍りついたというか。
ひびわれたというか。
鋭く尖った、というか。
すううっと、全身の血の気が足のつま先まで落ちていく。
「えっ……トウカくん、それ私じゃダメかな? 輝千ちゃん、じつは前、不登校だったんだよ」
沈黙を割ったのは九条さんだった。
私を押しのけるように前に立って、しゃらりと目が眩みそうな笑顔で実くんを見上げる。
私がびくっと体を固めた横で、実くんが笑顔のまま首を傾げた。
「……不登校?」
「そうなの。だから学校のことだったら、私のほうが詳しいと思うんだけど……私に分かることだったら教えられるよ? あ、輝千ちゃんごめん、言っちゃダメだったかな?」
可愛く小首をかしげてたずねたあと、九条さんはちらりと私を見て聞く。
考えるより先に、首を横に振る。
「ううん、大丈夫。あれは私が悪いから」
「えっと」
私の言葉にかぶせるように、実くんが少し腰をかがめて、九条さんの顔を覗き込む。
「ごめん、名前なんて言うの?」
九条さんの顔が、ぱあっと普段の三割増しくらいでキラキラになった。
満面の笑顔で、嬉しそうに答える。
「九条きらら! きららでいいよ!」
「そっか、ありがとう。じゃあきららちゃん。名前で呼んでくれるのは嬉しいんだけど、僕あんまり、自分の名前が好きじゃないから、できたら名字で呼んでもらえる?」
トウカって名前だったのか、と納得する私の横で、九条さんは一瞬不思議そうな顔をしてから、笑顔で頷く。
「いいよ、実くん」
「ありがとう、ごめんね。じゃあいこっか」
髪を少し揺らして微笑むなり、実は私に向かって視線を流した。
九条さんが、笑顔のまま凍りつく。
「えっ、あの、実くん? だから、輝千ちゃんは色々わかんないことがあるから、私が教えてあげるよって」
「ううん、平気だよ。九条さん、きっと友達多いでしょ? 僕が独り占めしたら、友達から怒られちゃうよ」
謎めいた笑顔でそう言うなり、女の子たちの本日何回目の悲鳴をあとに、実はくるりと身を翻して歩き出してしまった。
……私の逃げ場は本格的になくなった。
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