疑いの目

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疑いの目

まさかエミューナが現金を持ってきていないのは予想外だったが、予想してしかるべきだったとアンゼは姉として頭を抱えた。お母様の形見のブローチを換金します!と言い出したので、それは本気で引き止めて、アンゼの手持ちの資金で十分賄えるからと、城下町で一番大きな宿に部屋を取った。 「大丈夫でしょうか…。もうすぐに、追手が来るのでは…」 部屋に入っても、エミューナはそわそわと窓の外を眺めている。 「今夜のうちは、何とかなるわ。お父様が公務で外に出ているうちに兵を送って捜索するわけにもいかないもの。姫が二人とも逃げ出したなんて、国民に知られたら、大変なことなんだから。」 「下手に動くわけにはいかないということですか。」 エミューナが少し首を傾げながら問うたので、アンゼは軽く頷いてやる。 ノッカーベルが鳴らされる。 「失礼します。」 女性が廊下から声を掛けてきた。アンゼは取り澄まして応答する。 「はい?」 「お茶をお淹れしました。」 アンゼはちらりとエミューナに目配せしてから扉を開けた。 「そんなことをしていただかなくても結構ですのに…」 「いえいえ、大切なお客様ですから。」 アンゼほど若くはないメイドの女性がティーセットとポットを持って部屋に入ってくる。アンゼとエミューナは無言で彼女の所作を眺める。メイドはティーカップを返しながら二人の顔を見て、世間話を始めた。 「…ところで、この国にはお姫様がお二人いらっしゃいますよね。お名前が『アンゼ』と『エミューナ』ということ以外は、何ひとつ国民には知らされてませんけど。」 「そうですね。それが何か?」 アンゼは全く自分達とは無関係だという顔をして応対する。 「いいえ、お二人がとてもお美しいので、もしかしたらお姫様はこのような方ではないかと思いまして。」 メイドは目を伏せ、ニコニコとお茶を注ぎ始めた。 「そうだったら嬉しいです。でも、お顔も知らないのに…。」 エミューナが緊張しているのを察知されまいと、アンゼは少し大袈裟にリアクションしてみせる。 「そうですねぇ。早くご結婚パレードなんかで拝見したいものですね。…そうそう、早くといえば物騒な話があるんですよ。なんだか最近『革命党』なんてものができて、この近くで頻繁に集まって話し合っているらしいのです。」 「何ですか?!それはいったい…」 エミューナは思わず声を荒げた。メイドは手を止めてエミューナを見る。 「いやいや、よく分からないけれど、若い人達が多いらしくて…しかも血の気の多い…。とりあえず国の在り方を何か変えたいらしいのです。早く治まって騒乱が起こらなければいいのですが。」 「本当です!一生懸命政治を考えていらっしゃる方がたくさんいる中で何をしようというのでしょうか!!わたくしは絶対に許せません!」 エミューナが憤るのを、メイドは営業スマイルでじっと耳を傾け、それからお茶の残ったポットにカバーを掛けた。 「フフ…、お父様か誰かが政治でもなさっているのですか?」 「え、え…、違います!関係ないです!!」 「私の婚約者がちょっとばかりそちらに興味があるものですから、この子も少し感化されているみたいです。」 アンゼがこれ以上いけないと助け舟を出す。メイドはお盆を回収して二人に向き直った。 「そうですか。…それでは私はこれで失礼します。」 「ありがとうございました。」 メイドは退室した後、こっそり口許を吊り上げた。 「知っている人は、知っているんですから…」 アンゼはメイドが退室して暫く待った後、やれやれと溜息をついた。 「まったく、エミューナ様は嘘が下手ねぇ。」 「…誰だってお姉様のようにはいきません。」 不貞腐れるエミューナに、アンゼは片眉を上げた。 「あながち嘘でもないでしょうに…。」 エミューナはその言葉を聞き流して、真顔でアンゼを見つめる。 「アンゼ様…、さっき革命党のお話を聞かれましたよね?」 「ええ。」 「何とも思わないのですか…?リナレスには、この国が滅ぶ時のことを話されましたね。アンゼ様は…、本当にそう思うのですか?お父様やそのずっとずっと前の方々から、ずっと守られてきたこの国が無くなるなど、どうして考えられるのです?アンゼ様はこの国を守っていくべき人です。それなのに…」 エミューナは困惑していた。彼女にとってこの国、ワーネイアは自身の土台であり、半生であり、未来であり、家族そのものだった。それは次期国王たるアンゼも同じこと、いや姉にとってはそれ以上に大切なものの筈なのだ。それを揺るがす暴挙など、仮定の話であったとしても何故平然と受け入れられるのか。 アンゼは暫しエミューナの気持ちを量り、それから悲しそうに首を振って、強い瞳をエミューナに向けた。 「…私は、この国が攻められたら誰が降伏したって最後の一人になるまで戦うつもりだし、誰よりもこの国に誇りを持っている。でも…、滅びないものなどどこにもありはしない…。そしてまた、それゆえに私にはやりたいことがあるの。」 エミューナは姉を信じたい気持ちと、姉の心が理解できない不安とで、自然姉に詰問していた。 「罪を犯してまで…、城に戻れなくなってまで、アンゼ様がやりたいこととは何なのですか?それは、国のためになるのですか?」 アンゼはエミューナにどこまで語るべきか逡巡したが、エミューナの瞳から逃げるように目を閉ざした。 「…今の貴女には言えない。でも、いつか時が来たならばエミューナ様にもきっと分かることよ。」 「……。」 エミューナは姉にそこまで言われると、それ以上問い詰める理由を持たなかった。今は我慢するしかない。姉の方がよほど鮮明に、この国の未来を見据えているに違いないのだから。 「こんなはずじゃなかった?…大丈夫よ。きっと何とかなるわ。上手くいかなくても、エミューナ様だけは戻してあげるから。」 「……。」 きっと、私はこのままではいけない。エミューナはそう感じていた。しかし具体的にどうすればいいのかまでは、まだ考えつかないのだった。
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