7.新しい、海の思い出

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7.新しい、海の思い出

「私の母は、私のせいで、海で命を落としたのです」  砂浜にふたり、並んで座り、ぽつり、ぽつりとアキムが語り出した。  アキムが幼い頃、舟遊びをしたいと駄々をこねた。  その日は波も高く、大人たちはこぞって反対したが、なんでもワガママを通せる大国の王子として育ったアキムは、納得しなかった。  命令を強行し、海に出た結果――。  アキムを案じてついてきた母親が波にさらわれる事態となり、帰らぬ人となってしまった。  海の名手が大勢ついていても、どうにもならなかった。  荒れる海には、人の力は及ばない。  アキムの後悔は深く、己を責め、海を恨み、遠ざけるようになった。 「あなたも海に行けばそうなってしまうのではと、気が気ではなかった。大切な人をまた、海に奪われたくないと」 「それであんなにも海行きに反対されていたのですね……。話してくだされば良かったのに……。……いえ、お話くださり、ありがとうございます……」  アキムに辛い告白をさせてしまった。  だけど彼が自分(セラ)を失いたくないと思う程に、気に入ってくれていたことが、じんわりと心に染み入る。  マリエラという女性は、先王の、つまりアキムの父の愛妾だったらしい。  セラを迎えるにあたり、離宮に移り住んで貰った彼女は、気に入りの家具を引き取りがてら挨拶に寄っていただけと、アキムは話した。  本来なら前王の妾から、王妃(セラ)に話しかけることは許されていない。  その発言内容も問題だった。  まだ正式な婚姻を結んでいない点、公式の場でない点、そして羨望(やっかみ)。いろいろな思いが、その裏にあったのかもしれない。  彼女が今後、表に出てくることはないという。  調度品を運び入れているのではなく、運び出していた場面をセラが勘違いした。    つまりは、そういうことだった。  恥ずかしい。  何もかもが早合点で、こんなにも王に心配をかけてしまった。  でも。  チラリと、セラはアキムを見る。  整った横顔は、疲れてはいたが、とても男らしく頼もしく思えた。  濡れた服が張り付いた身体は均整がとれていて、鍛えていることがよくわかる。 (いい男性(ひと)だな。私も男の子に生まれていたら、こんな風に育ってたのかな)  ズキリ! と胸が痛んだ。 「姫?」 (そう、"ひめ(・・)"なんだ……。だから母上が……) 「…………」  急に沈み込んだセラの様子に、アキムがいぶかしんで声をかけた。  彼の誠実な瞳が、心底自分を案じてくれているのを感じ、セラは自然と口を開いていた。 「陛下……。私も……。私の母も、私のせいで亡くなりました」 「!」 「聞いてくださいますか?」  彼になら、打ち明けても良い。  セラは、長く心に凝り固めていたしこりを砕き始めた。 「我が王家はご承知の通り、姫ばかりです。私の上にも4人の姉がいて、次の子こそ王子を、と母は周りから強く望まれていました。けれど生まれたのは私」  ほうっと(かなし)()なため息が口からこぼれ落ち、じわり、とセラの目が湿る。 「母は臣民に責められました。母のせいではないのに。男の子として生まれなかった……私のせいなのに」    ボロボロと、これまでずっと秘めてきた涙がこぼれだした。  あふれた水が次々と、重く服に落ちていく。 「父は必死に母を(かば)ったようですが、母は環境に耐えられなかった。とうとう心を病み、身を患って……。私がいけないのです。私が女だったから……」 「あなたのせいではない!!」  突然の強い語調に、セラはびっくりしてアキムを見た。 「あなたのせいではない。それがあなたのせいであるはずがない!!」  アキムの声が熱を帯びる。 「もしやずっとご自分を責めておられたのか? あなたの父上やご家族も、あなたを責めたのか!?」 「まさか! 私の父や姉妹たちは、そんなこと誰も口にはしません。だから一層辛くて……。こんなこと……誰にも話せない……。私がそう思っていたとも、気づいていないはずです……」 「……セラティーア姫。私は、先の六島会議であなたの父上とお会いしている。そしてそのお人柄をとても好ましく思い、この方のご息女なら、と、我が()に下さるようお願いしました。  そして出会ったあなたは本当に素晴らしかった。まっすぐな魅力に溢れ、輝いていた。私はいま、こんなにもあなたに惹かれています。  あなたが男子だったら私が困ります。私はあなたが良いのです。あなた以外の妻は、もう考えられない」  一息に言いのけたアキムは、続けて諭すように優しく語りかけた。 「ずっと思い悩んでこられたのですね……。大丈夫です。誰もあなたを責めたりしない。あなたはあなたのままで、かけがえのない大切な方です」  すっと呼吸を整え、アキムが言った。 「セラティーア姫。私の妃となってください。生涯あなただけを愛すると誓います」  「…………!!」  彼は、"私が良い"と言った。  "私"そのものを望んでくれた。  もう……無理する必要はない。 ──何かから、解き放たれた。──  そして、セラは初めて、アキムがセラの世界に欠かせない、大きな存在になっていたことに気づいた。  自覚した。 (彼のことが、好きだ)  なら、答えはひとつ。 「はい……。はい、陛下……。私で良ければ、喜んで……」  新しく、煌めく涙が頬を伝い落ちる。  セラはそのままアキムにしがみつき、すべての思いを涙にかえて、存分に泣いた。  アキムは、そんなセラを海のように包み込んで、穏やかに受け止めたのだった。  十分な時間が経ち、セラはそっとアキムから身を離す。 「ぐすっ……すみません、涙で濡らしてしまいましたね……」 「お気になさらずに、姫。どうせ私たちはびしょ濡れです」  アキムの言葉に、くすっ、とセラの頬が(ゆる)む。 「セラと呼んでください。親しい人たちは私をそう呼びます」 「セラ……。あなたに似合う、爽やかな響きです。では、私のこともアキムと」 「はい、アキム様」  なんだかとても照れてしまう。  どんな顔をしたら良いかわからなくて困っていたら、アキムが意味深に囁いた。 「ところで今日は、猫はお留守ですか?」 (!!)  セラがすぐに魅惑的な笑みを作る。 「いいえ、常駐の二匹が残ってますわ」 「なんと固い守りか。ありのままのあなたが見たいのに」 「"秘すれば花"、と申しますもの」 「確かに美しい花ですね。甘い蜜を隠していそうです」 「まあ」  二人(ふたり)はひとしきり笑い、アキムはセラに提案した。 「さあ、王宮に戻りましょう。皆心配してるだろうし、着替えねば風邪をひきます」  アキムが伸ばした手を取りながら、セラが立つと。 「けれどこんなに泣かれたら……あとで目が()れてしまいますね?」 (本当だ! みっともないかも)  セラが慌てた時だった。 「()れないおまじないです」 「!?!?」  アキムの唇がそっとセラの目元に触れた。そして。 「―――! ―――!! ―――!!!」 (そこは、目じゃな――い!!)  王に蜜を吸われた()は、目どころか、顔中真っ赤に染まり、濡れそぼった身体は熱い熱を帯びて……。  セラはその晩、16にして知恵熱に見舞われたのだった。
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