ただの寄り道

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ただの寄り道

 並んで歩く駅までの帰り道、苦しくも心地良い速度で胸が高鳴り、何気ない会話を交わすだけで、柔らかな多幸感に包まれる。  ちらりと見上げた黒田君の横顔は、今日も凛として美しい。笑うと愛嬌たっぷりに、くしゃりと下がる目尻も良い。  整った顔立ちと親しみやすい笑顔のギャップに、彼が大阪から東京本社に赴任してきた初日から、大抵の女性社員はやられてしまった。  黒田君は私の二年後輩だ。年下には興味が無いと、盛り上がる彼女たちを冷めた目で眺めていたはずの私だったが、二ヶ月経った今ではこの有様だ。  仕方がなかった。そう思う。  私と黒田君は、部署内で唯一同じ路線を使って通勤している。  いつも遅刻ギリギリの私と違って勤勉な黒田君の朝は早いから、出勤時は滅多に一緒にならないけれど、退勤の時間が被れば、自然と二人きりになってしまう。おまけにデスクは向かい合わせだ。  接触する機会が増えれば増えるほど、相手に好感を持ちやすいというのはよく知られた心理現象だ。  つらつらとくだらない言い訳を頭の中で並べている裏には、遠距離恋愛中の彼氏、優君への罪悪感があった。とは言え、何も後ろ暗いことはない。  同じ路線を使ってはいるけれど、自宅の最寄り駅は反対方面なので、私たちは駅のホームでキッパリと解散することが決まっている。たまたま帰るタイミングが同じ時、ゆっくり歩いて十分の、駅までのほんの短い道中をただ並んで歩くだけなのだ。  改札を抜けてホームに降りると、別れの時はすぐそこだ。今まさに、私が乗る方面の電車の鼻先がホームに滑り込んで来たところだった。
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