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「その船は400人の船員が乗っていた大船だった。しかし、どこにいっても立場の力関係というものは付き物で、その密閉された場所では殊に顕著だった。……船には母親が娼婦のせいで、いつも皆から雑用か奴隷のように扱われ、虐められていた少年がいたんじゃ……」
口調はゆっくりながらも感情が篭っていて、僕は老人の話に引き込まれるように腹痛すら忘れて無心に聞き入った。
「そんなある日、その船が暗礁に乗り上げて座礁してしまった……!確かに脱出用のボートがいくつか積んであったものの、それの全てを使っても逃げ出せたのは250人だった」
「250人?!……150人も残っているじゃないですか……?」
僕の驚き方に気を良くしたのか、老人はふぉっふぉっふぉっ……と歪な歯を鳴らして笑う。
「そうじゃ、その通り!……ボートに乗れなかった150人は大きな筏を作って助けを待つことにした。しかし……救助は来なかったのじゃ」
「えっ?!」
揺らめく炎がバチッと大きく音を立てるも、その音が遠く感じられるぐらい僕の神経は集中していた。
「その当時、そんな大船が座礁したなんて情報は、他国に対する大きなスキャンダルに成りかねない……そう考えた国の偉いさん達が隠蔽してしまった」
老人はそこで言葉を区切ると、組んでいた指を組み替えて焚き火に顔を近付ける。
「その筏の上は惨状だった。……脱出のときに持ち出された乾パンは1日で尽き、水が入った樽は海に落っこちた。残ったのはワイン樽が数個あるだけで、あとは人しか乗っていない……そうなればどうなるか、大体予想は付くだろう?」
フッと不敵な笑みでこちらを窺う老人は、僕に意見を求めるように黙った。
「共喰い……でしょうか?」
恐々声を発した僕は、自分の口から出た言葉にゾッとして鳥肌が立つ。
「そう……苛立ちをぶつける他ない筏の上では、些細な喧嘩が残虐を呼び、人を喰らい、血を飲み命を繋ぐ……。それに絶望して海に身を投げたものも少なくなかったそうじゃ」
老人は小さく溜め息をつくと、「さて……」と頭を掻く。もはや僕の嗅覚は麻痺してしまったのか、老人の匂いは気にならなくなっていた。
「勿論虐められていた少年が脱出ボートに乗ることは無かった。でも彼は、筏に乗った誰よりもその状況を理解し、自分の立場を弁えていた……もし今ここで騒いだら、真っ先に殺されるのは自分だ、と」
勢いが弱くなり出した焚き火に数本の太い枝を投げ込んだ老人は、唇の端を緩やかに持ち上げる。
「少年は狡猾だった。積み上がってゆく死体の中に身を隠し、争いで滴り落ちる血を飲み、腐敗臭の酷い死肉を啄んだ……でもそれは生き延びる手段であり、船内での扱いとあまり大差がないように思えたのだよ」
僕は真っ暗な闇夜の天井を仰ぐ老人を注視した。目を細めて空を見上げる老人が笑っているのか、泣いているのかは定かではない。
「ところで……彼には『お守りが』あった。航海船に乗り込むときに、貧しい母が『お守り』としてくれた毒薬の入った小瓶。……『もし何かあったら、それを飲んで楽になりなさい』と言われていたそうじゃ……。少年は屍と筏の間で、ずっとその小瓶を握りしめていた」
ヒュゥゥゥ……ッと冷たい風が通り過ぎ、僕は身震いする。それが風のせいなのか、老人の話のせいなのか……暫し忘れていた腹痛がチクリと動き出す。
「……で、その少年と筏はどうなったんですか?」
僕はキリキリとした腹痛に耐えながらそう尋ねると、どこか遠くを見つめる老人の顔を覗き込んだ。
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