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祝い
強盗騒ぎがあった後、太陽さんと天川さんは犯人を交番へ突き出すこととなったが、色々と事情を聞かれたりしたため、会社に戻った時にはお昼休みを超過してしまっていた。
おまけに会社では危ないことをするな等と上司に怒られる始末ではあったが、あくまで会社の立場上のことであって、上司も人間的な部分では太陽さんのことを良く認めていた。
それも偏に太陽さんの日頃の行いが為した結果と言って良いだろう。
結果的に2人は何らお咎めを受けることなく済むこととなったのだった。
しかしながら太陽さんときたら、その日の午後はまるで心ここにあらずと言った具合で、仕事に身が入らない状態に陥っていた。
理由は解り切っている。
天川さんとのデートが決まって舞い上がっていたのだ。
喜びと戸惑いと、幾ばくかの不安を抱えて仕事どころではなかったのだろう。
その日、嬉しそうに帰って来るであろう太陽さんを迎えるに当たり、私は私なりに腕によりをかけてご馳走を作ると決めた。
メニューは彼の好きなテリヤキハンバーグ。
タネだけは作っておいて、彼が帰ってきたら焼き立てで出そう。
彼は少し貧乏性なのか、ソースの割合を多めでその分ご飯を多く食べたがる。
最近は体型改善でお米の量には厳しくしてきてしまったから、今日くらいは彼の好きに食べさせてあげよう。
付け合せは何にしようか?
彼は嫌いな物が何も無いから作る分には気を遣わなくて済むが、その分悩ませられる。
そう言えば、と、前に一緒に立ち寄った洋食屋さんでは、柔らかくてとても甘いキャロットのグラッセをとても気に入っているように見えたのを思い出す。
そしてスープは確かオニオンスープを2回くらいおかわりしていたことも。
また近所のお弁当屋さんではハンバーグには必ずと言って良い程ポテトサラダが添えられており、それも太陽さんのお気に入りだったはずだ。
でも、それだけだと一皿に全て乗ってしまうから他にも何か一品くらい欲しいな……。
そんな風に彼のことを考えながら夕食を作るのはとても心が踊った。
太陽さんは私が様子を伺っているのを知っているのに、それでも毎日退社する時には丁寧に連絡をくれる。
それが私の密かな楽しみでもあるのだが、気恥ずかしいので彼には内緒にしている。
そんな彼からの連絡を受けて、帰り時間を逆算してベストなタイミングでハンバーグを焼く。
それだけの状況を整えて、後は彼の帰りを待つだけとなった時、何故かまた私は不安の波に飲まれ始めた。
「ただいま」
それを知ってか知らずか、太陽さんは私の想定よりも落ち着いた様子で帰って来た。
「お帰りなさい太陽さん。本日もお疲れ様でした」
「うん……ありがとう」
彼の心ここにあらずの状態は変わらなかったが、会社にいた時のソワソワした感じとは異なり、何やら話し難いことを秘めているような、複雑そうな表情をしていた。
「今日は色々とお話もあるでしょうが、まずはその腫れたほっぺたを治してしまいましょう……不死鳥の眼差し!」
今日の勲章とも言える彼の頬は私の初級回復魔法によって忽ちに治っていく。
「ありがとう。やっぱり凄いなアルテイシアさんの魔法は。実は口の中も切れていたんだけど、もうすっかり痛みも無いです」
「それは良かったです。私は悪役令嬢ですが、こう見えても回復魔法が一番得意でしたの」
それでもまるでドラゴンの咆哮のような主人公アリシアさんの攻撃魔法には終ぞ敵わなかったが。
「へぇ~。そうなんですね。でも、全然こう見えて、なんてことはないですよ。むしろアルテイシアさんの優しい雰囲気にピッタリです」
「あら太陽さん。そんな風に褒めても何も出て来ませんわよ?」
「え~? でも、とっても美味しそうなご飯が出てきそうな匂いがしますけど?」
彼は少し悪戯な笑みを浮かべて言った。
彼に言われるのなら、からかわれることすら嬉しくも思えてしまうから不思議だ。
「もう。太陽さんったら……それよりも早く夕食にいたしましょう? 丁度今、作り終えたところでしたの」
「あ、はい。ではすぐに着替えて来ますね」
彼はそう言って自室へ向かい、すぐに部屋着に着替えてリビングに戻って来た。
「うわぁ! 今日はハンバーグですか!」
彼は少し大袈裟に驚いて見せたが、普段の彼を良く見てきた私から見れば、それはやはり何か言い難いものを隠す為の明るさであるかのように思われた。
彼の態度の原因は解っている。
私に対して、他の女性とデートの約束をしてきたことを言い難いのだろう。
「そうですね。今日は嬉しい知らせがあるかと思いまして」
だから私はこちらから促すように言った。
「あ、はい。……僕の方からデートに誘うという点においては失敗してしまいましたが」
「それは結果論ですわ。今となってはもうどちらでも良いことではありませんか」
「そうですね……じゃあ、まずは改めて報告をしますね」
そう言って太陽さんは正面からしっかりと私を見た。
「今度の日曜日、星空ちゃんとデートをすることになりました」
もっと笑顔で言うものかと思ったが、彼の表情は真顔そのものだった。
それは多分、私を慮るためでもあり、この後、私にしなければならない大事な話のことを考えてのことでもあるのだろう。
私はそろそろ、彼に対しての役割を終える。
その後の見通しは立っていない。
以前名刺を頂いたクラウド氏を頼って芸能界へ足を踏み入れるのも良いかも知れない。
魔法が使えるタレントなど私以外にはいないだろうし。
何とか私独りでもやっていけるだろうか。
そう言えば私は市民権すら持っていなかったな……。
そんな風に後ろ向きな考え方になってはしまったが、私はすぐに思い返す。
今の太陽さんは私が長く口を閉ざしていれば即座に内面を見抜いて来るだろう。
だから私は、どんなに不安があろうと手放しで喜べない彼に代わって最高の笑顔でそれを祝福しなければならなかった。
「おめでとうございます! 太陽さん!」
少し涙腺が緩みそうになるのをグッと堪えて、私は精一杯の韜晦で彼に拍手と笑顔を向け、祝福した。
それでも彼は勘付いてしまったのだろう。
「ありがとう、アルテイシアさん」
彼はいつも通り困ったような笑顔を作っていた。
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