ゴミかぶり姫

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ゴミかぶり姫

「もういい……アルテイシア、お前との婚約は破棄する」  華やかな卒業パーティの会場に落ちて砕けたシャンデリア。  その傍らにか弱くも腰を折る1人の女生徒と、彼女を庇うように構える数人の美男子。  身に覚えの無い罪状が次々と読み上げられ、静まり返った会場の視線は全て(わたくし)に突き刺さっていた。  その一部は憐憫に、あるいは侮蔑に、嘲笑に。  友であった、いや、友であると思っていた者でさえも困惑し、顔を背け、公衆の後ろに姿を隠した。  慄いて後ずされば足元には砕けたシャンデリアの破片。それは取るに足らない程度の欠片ではあったが、今の私が躓くには十分なものだった。  躓いた拍子に踏み付けたその欠片によって、私の手からは赤い血が流れ落ちる。 「驚いたな、お前にも赤い血が流れていたのか」  その言葉は女生徒を庇って構える美男子の中心、今はもう元婚約者となったこの国の第一王子から発せられた言葉。  私の血で染まったシャンデリアの欠片は未だ輝いているのに、  (わたくし)アルテイシアの涙は、輝かない。  最期の夜に私が見た夢、それは奇妙な夢だった。  王国では見たこともない、空を覆う程に高く聳え立つ灰色の建物。  眠らぬ人々。  そこにあるはずの星月を隠して卑しく輝く欲望の光。  そんな中、私の視線は一人の青年へと向かった。  痩せこけた体型で、髪も衣服も乱れ、髭も不揃い、眼鏡も曲がっていた。  背を丸め、下を向き、その手には重そうな紙の箱を大事そうに抱えていた。  彼はその箱を羽虫が舞うゴミの集積所へ運び、静かに置いた。  そしてその箱を労うようにひと撫でし、生気の抜け落ちた顔でそれでも微笑みかけながら、まるでそれに決別でもするかのように真顔に戻って立ち上がった。  それを、何度も何度も、灰色の建物から集積所へ往復して繰り返すのだ。  彼は、彼にとっては大切なものであろうその箱を、何度も何度も彼自身の手によって捨てていた。  いよいよ私も地獄へ落ちる暗示なのだと、そこは、そんな気持ちにさせる世界だった。  私の意識が覚醒したのは、夜も白み始めた頃だった。  両親のせめてもの計らいで、最期の夜は自室で、暖かなベッドの上で、穏やかに眠りについたはずだと言うのに、私が気付いた時にはもう、そこへ打ち捨てられていた。  肌を締め上げるような冷たい空気と、鼻につく生ゴミの臭い、それに群がる羽虫の不快音。  やがて霧雨は雨に変わり、それでも啜らずにはいられない喉の渇き。  目を開けば私を嘲笑して通り過ぎ、灰色の建物に吸い込まれていく人々の波。  そこは昨夜の夢で見た通りの地獄で、五感の全てを失ってしまいたい程の世界だった。  凍える身体を少しでも労わろうと手元を探れば、夢で青年が何度も運んでいた紙の箱が幾つか転がっていた。その箱は容易に変形し、隙間に空間を挟むことによって幾らかの保温効果を持っていた。  今の私にとってはそれが唯一の救いでもあったのだが、それを手繰り寄せることによって、通り過ぎる人々はより一層私を嘲笑した。  ただ、私にはその嘲笑を跳ね除ける術も無く、ただ、そこに転がっていることしかできなかった。  例え涙を流したとて、それを誰が認識してくれただろうか。  そうしてただ黒い雲を見上げているうち、私は何人かの若い男性に声を掛けられた。 「ねぇねぇお姉さぁーん。コスプレイベントか何かの帰りぃー?」 「酔っ払って寝ちゃった系?」 「けっこう美人だねぇ。ウチ来なよシャワー貸すし」  夢で見た青年とは正反対に、彼らは皺の無い引き締まった襟付きの服装をしていた。  良く磨かれた上質な革靴に、整った髪形、眉、肌、顔立ち。その行き届いた手入れは指先にまで至り、見たことも無い透明の布を用いた傘を使って雨を弾いていた。  私には初見であったが、この世界の正装だろうか。その場の全員がかような上品な姿をしていたものだから、私は彼らをこの世界の貴族だと考えた。  だからだろうか。  彼らの顔に私を陥れた元婚約者達の顔が重なり、本能的に身の危険を感じ取った。 「ねぇお姉さん聞いてる~?」 「お姉さん顔が良いから特別だよ~?」 「俺らと遊ぼうぜ~?」  彼らの手が私の腕を掴み、引き寄せようとした。 「おやめください」  それでも彼らは私の手を離そうとしなかった。 「え? なんで?」 「お姉さんこのままじゃ死んじゃうよ?」 「ウチで飼ってやるって言ってんだけど」  弱った私を前に、彼らはむしろ表情を強め、腕を引く手に力を込めた。 「やめないと……」 「お、なに? 警察呼んじゃう?」 「俺らまだ何もしてねーけど」  彼らは全く悪びれる様子も無く私のことを嘲笑った。  あの時と、同じだ。  私の言葉は、届かない。  もう、嫌だ。 「フェンリル・ラフ」  私は、今まで一度も人に向けて魔法を放ったことが無かった。  いつも多くの人に囲まれて、必要が無かったこともある。  だけど一番の理由は、人に敵意を向けたくなかったからだ。  公爵令嬢として、王妃になるべき者として、人を想える優しい人間になりたいと、そう思っていたからに他ならなかった。  それは魔法だって嘲笑だって同じことだ。人を傷付けることに何ら変わりは無い。  だけど、そんなことは何も知らない小娘の幻想に過ぎなかった。理想に過ぎなかった。  この世界は、人を信じれば裏切られる。  自分を守れるのは、自分しかいない。  弱ければ、知らなければ、考えなければ、戦わなければ。 「うわわわっっ!? なんだこれっ!? なんだこれぇっっ!?」 「やべぇっ!? なんかコイツやべぇぞっ!?」  それは私の知る攻撃魔法の中でも最も人を傷付けることに適していない魔法だった。  ただ少し強い風が通り抜けるだけの魔法を、威嚇のために使ったに過ぎなかった。  それでも彼らの傘は須らく上空へと巻き上げられた。そして彼らの身体もまた少しばかり浮かび上がったところで、私は彼らに戦闘の意思が無いことを確信した。 「逃げろっ! やべぇぞ逃げろっ!」  ここに来て気付いたことがある、身の回りに魔力が無いのだ。  彼らの反応を見ても、彼らが普段魔法を用いていない者達であることが解る。  だからこの程度の魔法を用いただけであっても、彼らは私を化け物でも見たかのような目で見て逃げた。綺麗な服と靴を汚して、よろけて転びそうになりながら、我先にと慌てふためいて雨風の中を走って逃げたのである。 「あはは、あはははっ……」  なんと滑稽で、格好の悪い後ろ姿なのだろう。  どれだけその身を整えようと、着飾ろうと、上辺だけの人間がどれ程醜いものか。  気付けば、私も彼らを嘲笑していた。  自らの信念を容易く捻じ曲げ、それはどれだけ愚かで醜くあったことだろう。  まさにこのゴミ捨て場こそが私に相応しい終の寝床とすら思えてくる。  私はそう思ってクッションのようなゴミの袋に我が身を投げ、天を仰いだ。  もういい。全てを失い、知らない場所で、自分自身も解らなくなって。  ……もう死にたい。  そう思った時だった。 「大丈夫ですか?」  私に打ち付ける冷たい雨が止んだ。  ダボダボの服装、背は小さく、小太りの冴えない男性が私に傘を差し出していた。  歳の頃は20代半ば、ふっくらとした頬が愛らしく親しみやすそうな表情をしていたが、その容姿には明らかに自信がなく、常に身を縮めるようにしてきたのだろう。私に向ける純粋な善意に対してさえ、どこか控え目で、恐れているようにさえ見受けられた。  しかしこうも思った。自らの身なりすら気にしないその男性だからこそ、自分が雨に濡れることを全く厭わずに傘を差し出せたのではないか。  私は先程まで確かに、人を想える優しい人間になりたい、そう思っていた。  私はその時、そんなことを思い出した。
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