呪い

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呪い

 その日の夕食は決して重苦しい雰囲気という訳ではなかったが、言葉は少なめだった。  それでも彼は私が一生懸命作った慣れないハンバーグを美味しい美味しいと言って食べてくれた。  彼の喜ぶ顔を見られた幸福感と少しの不安。  そんな私の内面を見通し終えたように、お腹いっぱいで食事を終えた彼は言った。 「僕が調べたところ、告白は2回目か3回目のデートが良いそうですよ」  それは大真面目な表情だった。 「なので、次に繋がるかも解らない現状では、僕にはもう少し時間が必要になるかも知れませんね」  それは太陽さんなりに私に気遣ってくれたのだろう。  本当は今、時間が欲しいと思っているのは私の方なのだから。  だけど私はその一方で、それを心苦しく思う気持ちにも気付いていた。  それは、彼の足を引っ張りたくないという気持ちから来るものだ。  私はあの日、例え私自身が破滅しても彼の幸せを願うと心に決めた。  その気持ちを世間の人々が何と名付けているかくらいはもうとっくに気付いている。  それを思うと私の胸はどうしようもなく苦しくなる。  あの言葉を思い出さずにはいられなくなるからだ。  私には、人を一生懸命愛せない呪いが掛けられている。  その呪いがどんなものであるのか、終ぞゲームの中で語られることはなかった。  それはいい。  何故なら私の気持ちにはもう私自身気付いているし、それを今更誰かにそれとは違うものだと言われたところで、私はこの気持ちの他の名前を知らないのだから。  ただ今、私がその気持ちを認めるにあたり胸の奥に暗雲の如く広がる思いがあるとすれば、それはこの呪いが私自身にではなく、周りの誰かに影響をする類のものなのではないかという不安だ。  もし私の呪いが太陽さんに向くと思うと恐ろしい。  日々の暮らしの中で彼への想いが積もれば積もる程、私はその重みで潰されそうになるのだ。  もしもそういう意味で『呪い』と言われたのであれば、それはとても残酷なことだと思う。  そんなたった一言で、私に、彼から遠ざかるべきだとまで思わせているのだから。 「アルテイシアさん、大丈夫ですか?」  彼の声で私はしまったと思った。  彼の祝いの席で、呪いなどに気を取られてしまうとは。 「あのねアルテイシアさん、これだけは言っておくよ」  いつになく緩みのない顔で彼はそう言った。  私はそこで更に狼狽する。  深く考え込んでいたせいか、それまでの会話の脈絡が全く思い出せなかったからだ。  空返事で彼の気を悪くさせただろうかとも思ったが、意外にもまた彼は、いつも以上に慈愛のこもった表情になった。 「僕がこうまで変われたのはアルテイシアさんのお陰だよ。だから僕は何があっても君を見放したりはしない。例えどんな風に状況が変わったとしてもね。それだけは安心して欲しい」  あぁ、この人はそういう人だったと私は改めて思った。  愛おしい。  こんな風に人を想うなんて初めてだ。  何が『人を一生懸命愛せない呪い』だ。  ふざけるな!  それなら一体、この気持ちは何だと言うのか。  伝えたい。  言えるものならとっくにもう言っている。  私は彼を……。 「っ!?」  その時だった。  何の前兆も無く私の心臓が跳ね上がったのは。  私はたまらず胸を抑えた。  それはまるで内側から何かが私を突き破って飛び出そうとしているかのような感覚。  決して恋い焦がれての痛みではない、禍々しい魔力を帯びた痛みだった。  私は瞬間的に察した。  これこそが呪いの正体だと。  その呪いの正体たる何ものかが、私の内側から鋭く目を光らせているのを感じた気がしたのだ。  そして同時に、これだけは解き放ってはいけないという圧倒的で絶対的な絶望感に私の心は鷲掴みにされていた。  しかしその体が張り裂けんばかりの痛みも、私の心が恐怖に囚われると途端に鳴りを潜め、嘘のように消えて行った。  時間にすれば彼が最後の言葉を発してからほんの一瞬の出来事だったろうか。 「だ、大丈夫ですかアルテイシアさん」  気付けば、彼が胸を抑えたままの私を心配そうに見ていた。 「ええ。太陽さんがあまりに優しいことを仰るので、つい胸を打たれてしまいましたわ」  私は誤魔化すように笑顔を作った。 「太陽さんたら、すっかり女誑しになりましたのね」 「うえぇ!? ち、違っ! 僕はそんなつもりじゃ……」  太陽さんは狼狽えた。  良かった。この様子ならば勘付かれてはいないだろう。  絶対に私の呪いのことは黙っておこう。  今日は彼の祝いなのだから。  その日、自室に戻った私は1人で考えた。  ここに来て初めて存在を現した呪いの正体を。  人を一生懸命愛せない呪いというからには、トリガーは恐らく私が太陽さんを愛すること乃至それを認めてしまうこと。  またはそれに類する何らかの行いだ。  そしてもう1つ。  私の中には何ものかが潜んでいる。  心当たりは1つだけあった。  ゲーム、フローラル・ファンタジアにおいて絶対的なバッドエンドフラグとなっていた存在こそがその呪いの正体だ。  攻略達成率100%に至った今の私だからこそ浮かび上がるその呪いの正体。  それは即ち、ゲーム内ではどう足掻いても倒すことが出来ない確定的な破滅の象徴ドラゴンだ。  そのステータスたるや、国中の騎士や兵士を全て当てたとて赤子同然に粉砕されてしまうだろう異常な数値である。  ドラゴンを復活させてしまうルートでは、主人公アリシアさんはその愛する皇子貴族達諸共全滅のバッドエンドを迎えてしまうのだ。  しかしおかしい。  そんな存在が何故私の中に存在する?  そんなものを内に秘めたような設定は私ではなく、主人公のアリシアさんにあるべきなのがゲームとしての王道ではないだろうか……?  いや、それも1つ思い当たる。  制作者たる山田さんは言った。  私の呪いは追放時に与えられたものだと。  つまり、私は呪いを押し付けられた……?  そう考えれば辻褄は合ってしまう。  ゲームでは元々この呪いはアリシアさんが持っていて、悪役令嬢たる私に呪いを押し付けなければ人を愛した条件でドラゴンを解き放ちバッドエンドという訳か。  主人公は庶民でありながら何かしらの秘密を抱えている特別な存在、乙女ゲームではありがちだろう。  もしやアリシアさんのドラゴンが如き類稀な攻撃力はこの呪いの影響下故のものだったのではなかろうか。  ゲーム内では終ぞ語られなかったものの、おおかたの設定としては間違い無いだろう。  ただ、問題はそこではない。  今やこの呪いの所有者は他でもない私自身なのだから。  こんなものを現世で解き放ってしまったらどんなことになってしまうのだろう……いや、そんなことは出来ようはずもない。  その牙や爪が太陽さんに向く可能性があるならば、私は彼を愛せないのだから。
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