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手品じゃなくて魔法ですがなにか
デートの約束が決まった日こそ浮き足立っていた彼も、次の日には元の様子に戻っていた。
ただそれでも気になるものは気になるようで、時折天川さんの方へ視線を投げ、彼女と目が合うと恥ずかしそうに頭を下げて視線を逸らす。
そんなことが何度か繰り返された。
「小泉、ちょっと良いか?」
そんな太陽さんを見てか、隣の課の男性職員が自席にいた太陽さんに声を掛けてきた。
その男性職員はいつか天川さんが会議の件で困っていた時、真っ先にその場を逃げ出した大島さんという方だった。
「あ、大島さん。どうかしましたか?」
「いや、用はないけど煙草休憩でも付き合ってくれないかなって」
「あ、はい。解りました」
大島さんは顎でオフィスの外を指し示すように外へ出ることを伝えた後、太陽さんを伴って同じ階の一角にある禁煙室へ向かった。
「小泉さ。もしかして星空ちゃんと何かあったのか?」
大島さんは2人きりの喫煙室の中で電子煙草を吸いながら率直に尋ねた。
「どうしました? 急に」
太陽さんは平然と聞き返した。
その様子が以前の彼からはかけ離れて見えたらしい、大島さんは少し驚いた顔をした。
「……お前、随分と変わったよな」
「そうですか?」
「変わったよ。見た目もそうだけど、前だったら今みたいに聞いただけで、えっ!? とか、うわっ! とか動揺してたと思うんだけどな」
「……確かに。それは僕自身もそう思います」
「正直、どう考えても星空ちゃんとは釣り合わねーって思ってたよ」
「え!? それってどういう……?」
「はは。お前、星空ちゃんのことずっと好きだったろ?」
「うわ……もしかしてバレてました?」
「みんな知ってるよ。正直、本人すら気付いてると思うぜ?」
「え……それはマズいな」
それを聞いて大島さんは笑った。
「いや、でも今となっちゃあ大した問題じゃねーかも知れないぜ?」
「えっと……仰ってる意味が良く解りません」
「鈍いなぁ、お前。何で俺がこんな風に聞いてるのか察しろよ」
「えっと……?」
大島さんはそんな風に惚けた様子の太陽さんを見て呆れた溜め息を1つ吐いた。
「まぁ、変わらないところもあるんだなと安心もしたところだが、ともかく俺は応援してるってことを言っておきたかったんだ」
「あ、ありがとうございます」
「最近お前、頑張ってるもんな」
「出来ることを少しずつでも積み上げて行こうと思っているだけですよ」
「そういうところなんだろうな」
大島さんは妙に納得したように頷いていた。
「ところでさ」
そこで大島さんは少し悪い笑みを浮かべた。
「何かお前、結構色んなところでメチャクチャ綺麗な女性と歩いてるとこ目撃されてるらしいじゃん」
「あ……意外と見られていたんですね」
「ってことはマジだったのか……なぁ小泉、本当に最近どうしちゃったの? お前だけズルくない?」
「え……? すみませんが先程から仰ってる意味が良く解らないのですが……?」
「いやだからさ。もしお前の周りに良い女が集まって来るんだとしたらだよ? 例えば合コンとかさ~……?」
そこで太陽さんはようやく大島さんの意図を察した様子だった。
「いやいや。そんなだいそれたことが出来るような人間じゃないですよ、僕は」
「またまた。謙遜すんなって」
「いやいや、本当ですって」
「いやいや、嘘吐くなって」
私は少し大島さんにガッカリもしていた。
こんな不毛なやり取りをするために太陽さんをわざわざ自席から連れ出したのかと。
それはまぁ、同性ながら太陽さんの魅力に気付いたことに関しては少しばかり見処有りと評しても良いとは思うが……。
太陽さんとすると本当に困っていたことだと思うが、大島さんも大島さんで彼に縋ろうと必死で、少しばかり見苦しく思える状態になっていた。
そんな時だった。
「おや、失礼するよ」
2人きりの喫煙室に恰幅の良い立派なスーツを纏った中年男性が入って来た。
「「あ、部長。お疲れ様です」」
その男性に太陽さんと大島さんは揃って挨拶をした。
その2人の畏まり様から、どうやら偉い人だということだけは私にも解った。
「はい、お疲れ様」
部長はゆったりとした態度でにこやかに微笑み、喫煙室中央の灰捨て場に寄った。
「たまには息抜きもしないとね……おや? ライターを何処にやったかな?」
部長は紙煙草を取り出したもののライターを何処かに忘れた様子で胸ポケットやズボンのポケットを叩くように探し始めた。
「すまないがライターを置いて来てしまったようでね、どちらか火を貸してはくれないだろうか?」
部長は2人に向けて言った。
「すみません、自分は電子煙草なものでライターを持ち合わせておらず……」
大島さんは申し訳無さげに答えた。
「すみません、僕は煙草を吸わないので……」
太陽さんも大島さんに続いた。
「そうか……困ったなぁ」
部長は少し残念そうに呟いた。
その時だった。
太陽さんは何か思い付いたように手を打った。
「部長、もし宜しければ僕が火を出します」
太陽さんは自信に満ち溢れた表情で堂々と言った。
「火を出す? どうするつもりだい?」
部長は首を傾げた。
「僕、こう見えて魔法が使えるんですよ。見ててくださいね……キャンドル!」
そう言って突き立てた太陽さんの人差し指から出現する小さな種火。
それを見た大島さんと部長は大層驚いていた。
「す、凄いね。君……」
「いえ。それよりも部長、火をどうぞ」
太陽さんはスッと指ごと種火を部長に差し出した。
「お、おう……」
部長は驚きながらも自らの紙煙草に火を点けて、少しばかり呆然としながらも大きな息と共に煙を吐き出した。
「ふぅー……お陰様で落ち着くよ」
部長は太陽さんに向けて微笑んだ。
「お役に立てたのなら何よりです」
「いやしかし本当に凄いね。今のは一体どんな手品だったんだい?」
「何を仰います。今のは魔法ですよ?」
その余りに当然とばかりに胸を張って言う太陽さんに部長は少し呆気に取られた様子だったが、彼に悪気が無いことを見抜いたようで少ししてから大口を開けて笑った。
「そうか、そうだったね! これは聞いた私が野暮だったようだ。失礼失礼……そうか魔法か」
「ご理解頂けて幸いです」
「いや、君は面白いな。何処の所属だい?」
「僕は営業部の小泉太陽と申します」
「ああ、細内部長のところね……ん、待てよ? 最近聞いたな、その名前」
「あ……申し訳ありません。もしかしたら先日の強盗騒ぎで会社にはご心配をお掛けしてしまったかも知れませんので……」
太陽さんは申し訳無さげに申し出たのだが。
「ん! そうか! 君だったのか!」
部長は一気に上機嫌になって太陽さんの肩を何度か叩いたのだった。
「はい……その節は大変申し訳ありませんでした」
「いやいや、構わんよ! 物凄い大捕物だったそうじゃないか! 道行く人からもね、あの件は大事にしないでくれって会社に連絡が入ったくらいなんだ」
「え……そんなことになっていたんですか?」
「いや凄いの何の。一方的な暴力にも屈せず機転を働かせて毅然と解決したとあっては会社のイメージも良かったみたいでねぇ」
「とんでもありません」
「思い出した。それだけじゃないんだ、細内部長とはゴルフ仲間でね。最近やけに伸びてきた優秀な社員がいると聞いていたんだ」
「お恥ずかしい限りです」
「こうして会ってみて解ったよ。優秀なだけでなく正義感に溢れユーモアもある。そうか、こんな社員が我が社にもいたのか……」
「部長、そのくらいで……」
太陽さんは流石に同僚の前で馴れない褒められ方をして気恥ずかしくなった様子だった。
「わはは、鼻にも掛けないか。良いじゃないか。是非一緒に仕事をしてみたいものだよ」
「そうなれるよう努力します」
「うん。もし君にその気があるなら私も考えてみようかと思うんだが……」
「ありがとうございます。大変光栄です」
「そうか、それは良かった……それなら是非君には次の人事を楽しみにしていて欲しいものだね」
「はい! ありがとうございます!」
太陽さんはハキハキと答えていた。
それを聞いて部長も大層満足そうに深く頷いたのだった。
「うんうん。私としてもここで君と出会えて良かったよ。とても楽しかったしね……今度はこっそりと私にも魔法を教えておくれよ?」
そんな風に話しながら、部長は太陽さんに握手を求め、しっかりと彼の名前を覚えた様子で喫煙室を去って行った。
その場に残され、まるで台風が過ぎ去った後であるかのように暫し呆然とする太陽さんと大島さんであったが、やがて大島さんがその口を開く。
「小泉……お前、なんて奴だよ……」
大島さんの彼を見る目は、完全に一目置いている目になっていた。
だがそれは彼の当然の評価である。
ようやく周りがそれに気付き始めただけのことなのだ。
私は、太陽さんが順調に会社での評価を高めて行くことが自分のことのように嬉しかった。
この話はこの後大島さんからすぐに周りに広がって、太陽さんはまた周囲から持て囃されることになった。
すっかり職場の中心的立ち位置に収まった太陽さんはそれからも調子を崩すことなく毎日の仕事をこなし、そしてようやく、その週を終えることとなった。
そう、いよいよ週末。
私と、そして太陽さんの本命となる天川さんとのデートが待っているのであった。
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