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着せ替え太陽さん
土曜日。
太陽さんとの2回目のデート。
天気は良好。
私はまだ本日の予定を知らない。
ただ初めに天川さんとのデートに備えて彼の服装と美容室だけは済ませてしまおうと事前に話をしてあるだけだ。
基本的には全て彼に任せてみるというプランで、失敗しても良いからと彼に経験を積ませることこそが本日の目的となる。
そして私は今日、彼を何処に出しても恥ずかしくない魅力的な男性として仕上げるつもりでいる。
幾ら彼の魅力の多くが内面にあるとは言え、最低限の容姿が整っていなければスタート地点にも立つことが出来ないからだ。
そのために数ヶ月、体型改善を初め色々なことを共にしてきたつもりだ。
後はもう一朝一夕で済ませられるような問題しか残っていないと言って良い。
爪も切ったし、肌も眉も整えた。
歯も綺麗にしたし、無駄な毛も処理させた。
何より私自身が彼に惹かれているし、それ故にまず私自身が完成した彼を誰よりも早く目にしたい気持ちがあった。
やってみればきっと彼自身がたったこれだけのことでと思うようなことばかりだろう。
もし彼が今日でそこまでに至れば、私はもう実質の役割を終えることになる。
きっと私がいなくなっても、万が一天川さんと上手く行かないことになっても、成長した太陽さんならば必ずや素敵な女性と結ばれてくれるだろうと確信していた。
だから今日の私はタイトな黒のパンツスーツにジャケットを合わせることにした。
以前の太陽さんならば並び立つだけで自信を失わせてしまうかも知れないと危惧したものだが、今の彼ならばそんな心配はないし、少し寂しいが今日はデートとして成り立たなくても良いとさえ私は考えていた。
いや、本当のことを言えば私自身に諦めを付けさせるために、敢えて彼を突き離そうとしていたのかも知れない。
隣を歩く太陽さんは相変わらず全身真っ黒な出で立ちで、ラフなパーカーを着ていた。
思い返せば彼と初めて会った時も同じ様な服を着ていたような気がする。
あの時の太陽さんは太っていたので、今ではまるでサイズ感が合っておらず不格好極まりない。
だがそれも今日まで。
きっと彼は、サナギが殻を破るように見違えるだろう。
私達はまず彼の服装を整えるため、大手の服屋さんに立ち寄った。
「ユミクロだったら元々僕も利用してましたけど、一体何が違うんです?」
彼は疑問そうにそう尋ねてきた。
「ふふ。何も高価なブランド品で身を固めないといけない訳ではありませんよ?」
「だったら、今とあんまり変わらないんじゃ……?」
「甘いっ! まるでスモアをチョコレートミルクで流し込むが如く甘いですわっ!」
「は、はいっ!」
彼は反射的に直立する。
「良いですか太陽さん。今、大事だと言われている清潔感って一体何だと思いますか?」
「う~ん……単に衛生的ってことではないことくらい解りますが、何かこうフワッとしていて良く解らないんですよね」
「私も同感です。大体、衛生的に不潔にしている人を探す方が難しいですわ」
「それはそうですね」
「ですから私はこう思うのです。その女性が清潔だと思ったら清潔感がある。無いと思えば無い」
「そんな無茶苦茶な……そんなの一体どうすれば」
「ふふ、それが意外と簡単なのです。少し雑ですが言い換えましょう。相手に嫌悪感を持たれなければ良い、と」
「そ、その方法が解らないのですが……」
「ただ普通に、不自然とならないように、身の丈に合ったコーディネートをすれば良いだけではありませんか」
「それだけですか?」
「それだけです。お肌も眉も、爪もムダ毛も、何かしら手が加えられて見えれば少なくとも不潔には思われないでしょうし」
「……失礼ながら、結構ガバガバに聞こえますが?」
「そうですね、雰囲気みたいなものです。大体、普通にしている人に嫌悪感を抱くようならそちらの方がどうかしてますわ」
「しかしその普通というのは……と言うかむしろ今、僕は普通じゃないんですか?」
「残念ながら全身真っ黒、サイズもブカブカ……言い難いですが最低ですわね」
「グサッ!」
太陽さんはコミカルに一歩引いた。
「大丈夫です。服装なんて変えれば良いだけではありませんか」
「でも僕、センスないかも……」
「そういう人はお店に出てるマネキンをそのまま買えば良いでしょう。ですが今日は折角なので私がコーディネートしても?」
「それは是非お願いします!」
「ではそうですね~。太陽さんはどんな色が好きですか? ……あ、黒以外で」
また全身真っ黒になるところだった。
「……ちょっと恥ずかしいけどピンクとかですかね? ですが着る服となると……」
「あら、素敵じゃないですかピンク。早速取り入れますわね」
「え……でも僕に似合うかと言われたらどうなんですか?」
「でしたらピンクは内側に、控え目のワンポイント程度に見えるようにしましょう。好きな色を取り入れるだけでも気分が明るくなりますから」
私はサッとTシャツ売り場からピンク系の服を取って太陽さんに渡す。
「それから太陽さんは生真面目な方ですから、そんな雰囲気を雑に崩さないように……上はカジュアルに着こなせるコンフォートジャケットにしましょう。……色は黒とは言いませんがダーク系にしておきますわね」
あまり普段のイメージカラーからかけ離してしまうのも忍びない。
なので私はダークブラウン辺りのジャケットを手に取った。
折角なので今のスマートな彼に合う、ウエストが引き締められているものを選択する。
「では、ジャケットの下はシャツですね……?」
「それも良いですが、着るのは休日のデートですから、固くなり過ぎても良くないでしょう……襟の無いロンT辺りで良いのではないでしょうか?」
「はい、ではそれで……」
太陽さんは言われるがまま私の手に取る商品を受け取って後をついて来るだけだ。
ロンTは着回しも利くのでこの際に何色か買っておこう。私なら個人的には明るい赤を着て欲しいところだが。
「最後はズボンですが……無難に黒のスキニーで良いですわね」
「え? それだったら今、僕も黒のチノパン履いてるんですが……」
確かに彼が言う通り、ズボンだけは私の選んだ商品も黒だった。
「そうですね。でも、今太陽さんが履いている物とはサイズが全然違いますのよ?」
私が足元に細めの黒を選択したのには理由がある。
彼のように身長が高くない場合は、黒色の収縮効果を使って足回りを細くスッキリさせた方が全体的にバランスが良く見え、身長の誤魔化しが利くからだ。
おまけに靴下と靴も同じ黒で統一することで境界を無くし、視覚的に長く見させる効果も狙って行く。
それからちゃんと丈を計って詰めておくことも大切だ。
足首辺りで弛んで見えるとそれだけでも印象が悪くなる。
同じ黒いズボンでも、私の選んだ物と彼の今履いている物はまるで別次元なのだ。
そしてトータルで見れば最終的にジャケパンと言われる組み合わせになったので、この後は靴屋さんでこれに合うキャンバスシューズでも買えば良いだろう。
これで一応は上から下までの服を揃えたことになる。
それでも太陽さんは一抹の不安が残っている様子だった。
「それにしてもアルテイシアさん、この商品、全部Sサイズばかりなんですが……」
私は彼の不安の意味を察した。
太陽さんの今の体重は50kg、体脂肪率は13%台。
確かに私もサイズはSかSSかで迷っていたところだった。
「あら? ではSSサイズにしてみます?」
細かいところは試着をしてから決めようと思っていたが、太陽さんも同じことを気にしていたのかと私は思い至った。
「い、いや。僕、今までLサイズの服を着ていたんですが……」
が、それは逆の方向に思い違いだったようだ。
「でも、今はお痩せになりましたわ?」
「でも、大は小を兼ねてますし……」
「先程、ブカブカなのも良くないと申し上げましたわ?」
「でもゆったりとしていた方が着てて楽だし、せめてMサイズとか……」
私は溜め息を禁じ得ない。
だから彼はラクさを追求してダボダボの服を着ていたのかと理解した。
また彼を一喝しなければならないのか……。
私は一息吸ってから彼に厳しい視線を向けた。
「甘いっ! カフェラテの川でクッキーの水切り遊びでも致しますのっ!?」
「はっ、はい!」
太陽さんはいつもの直立だ。
「いいですこと太陽さん。適切なサイズを選ぶことはとても重要なんですのよ? 今や太陽さんもスマートな体型なのですから、それをもっと活かさないと。少し苦しいくらいの服で丁度良いのです」
「は、はいぃ……」
厳しく言い過ぎただろうか。
でも、私は格好良くなった彼を早く見てみたいのである。
「もし一度試着をしてみて気に入らなければまた違う組み合わせをコーディネート致します。ですから太陽さんは騙されたと思って、一度は着て見て頂けませんか?」
私が押すと彼はすぐにその不安を払底した様子だった。
「解りました。アルテイシアさんが言うなら信じます!」
そう元気な声で彼は宣言した。
「じゃあ……早速試着して来ますね?」
そう言って彼は商品を抱えて試着室に入って行ったのだった。
「凄い……これ本当に僕か?」
試着室のカーテンの向こうから彼のそんな独り言が聞こえて来た。
着替え終わって中の鏡でも見ているのだろうか。
「太陽さん、着替え終わりましたか?」
「あ、はい! 今カーテン開けますね」
そして開かれる試着室のカーテン。
そこに立つ太陽さん。
「どう、ですか……?」
今までの大きく真っ黒な服を脱ぎ捨て、引き締まった服装へと一気に置き換わったことで激変する彼の印象。
それはいとも簡単に私の心を射抜いて行った。
か、か、カッコ良い……。
ちょ、ちょっと待って下さいまし。
これでまだ髪型も整えてないんですのよ?
それでこんなの、反則過ぎる……。
「ア、アルテイシアさん。何か言って下さい……」
しまった! あんまり黙り込んだら太陽さんが不安になってしまう!
「ご、ごめんなさい。太陽さんがあんまり格好良かったものだから、つい……」
「え、あ、そんな……あ、ありがとうございます」
太陽さんはこそばゆい様子ではにかんでいた。
「サイズは如何ですか?」
「慣れないせいか、ちょっとキツい気もします。でも、無理じゃないです」
それでも自分の変化に対する喜びの方が勝っていると顔を見ただけでも解る程だった。
選んだ甲斐があったというものだ。
「そうですね。今日は太陽さんのファッション入門ですから、これくらいにしておきましょう。慣れてきてもう1サイズ落とせそうならまた検討して見ましょうか」
「はい! 僕、今日はこの服をセットで買って行きます!」
「お気に召したようで幸いですわ」
私も、眼福眼福。
彼を育てた甲斐があったというものだ。
その後彼は嬉しそうに買った服に着替え、私達は仲良く手を繋いで服屋さんを後にした。
「ねぇねぇ。あのペアルックの人達、もの凄くオーラ出てない?」
「解る! 女の人の方が格好良すぎてヤバいけど、それにあの身長で合わせてる彼氏もそれはそれで凄い」
やはり私は目立ってしまうのだろうか。
そんな声が周りから聞こえて来る。
それはいい。
そんなことよりもだ。
「アルテイシアさん、僕達って……」
そうだった。
狙っていた訳ではなく完全に忘れていたのだが、今日、私も黒のパンツにジャケットを合わせて来たのだった。
つまり……。
「ペアルックですわね……」
2人して赤い顔になったところも同じであった。
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