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振り返ると、チコの握りこぶし二つ分はある、大きなおにぎりが飛んできた。
「それ食べながら行きな。事故に遭わないようにね。それと、魔女だとバレないように気をつけてね」
2
“チコ”こと月崎千子はマンションの通路に出ると、決まって右手の方にある階段へ歩いていく。実は、彼女が住む402号室のすぐ左にはエレベーターがあるのだが、チコはめったにエレベーターには乗らない。
その理由は二つあって、一つはこの時間のエレベーターには通学や通勤のため人が目一杯乗っているせいで、簡単に乗り込めないから。
もう一つは、チコが下の階へ行きたいわけではないからだ。
チコは通路の先にある階段を上へ登り始める。その途中ですれ違った、同じく学校へ向かおうと階段を降りてくる下級生達が目を丸くする。
どうしてこの上級生のお姉さんは、ランドセルを背負って箒まで持って、階段を登っているのかしら。学校へ行こうと思ったけど、忘れ物を取りに戻っているのかな。
チコは、不思議そうな顔をした下級生達に笑顔でおはよう、と声をかけてさっさと通り過ぎる。静けさを取り戻した階段を登りきった先、突き当たりのドアを開けると、そこはマンションの屋上につながっている。
辺りに誰もいないことを確認して、チコは箒に腰かけると地面を蹴った。すると、箒はチコを乗せたまま、するすると空中へ上がっていく。
食パンのような形をしたヒルズ西モトミヤがどんどん小さくなって、車や人の姿も豆粒ほどの大きさになるまで高さを上げると、箒は滑るように空を飛んでいく。
母さん、おばあさん、更にその前の先祖様から魔女の力を受け継ぐ月崎千子は、目下、このように大変熱心に魔法の練習に打ち込んでいる。
もっとも、今の日本でおおっぴらに魔法なんて使おうものなら、大騒ぎになるに決まっている。母さんもおばあさんも、「たとえ家族であっても、人に魔法を見せたら行けないよ」とことあるごとにチコに注意するのだ。
毎朝寝坊のふりをして、魔法なんてこれっぽっちも知らない兄をやり過ごしているのも、彼に隠れて魔法を練習するのも、チコの涙ぐましい努力だといえる。
「みんな魔法が使えたらいいのに」
チコは心からそう思っていた。
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