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2.さよなら
はじまりは、父と母の死だった。
それまで僕らは父と母、上の兄と下の兄、そして僕とで幸せに暮らしていたんだ。
けれどある日、父が息を切らせて帰ってきた。
父の体はおびたただしい、血に汚れていた。
「お前たち、すぐに逃げなさい! あいつに見つかった!」
「父さん、あいつって……」
言いかけた僕の声を縫うように、あいつの声が家の外から聞こえた。
そのとたん、僕らは全員震えあがった。
そして理解した。
父さんの身を汚しているその血が、母さんのものである、ということを。
「俺の不注意だ。ここはもう危ない。いいか、ばらばらにできるだけ遠くに逃げろ。俺が時間を稼ぐから。いいな」
「稼ぐって……! 待って父さん! 無理だよ! 一緒に逃げようよ!」
「無理なんだよ、三郎」
泣きながらしがみつく僕に、父さんは優しい目で言い、血にまみれた手で僕の頭を撫でた。
「あいつに目をつけられたが最後、あいつはどこまでも追ってくる。ここももう見つかっている。母さんがやられたとき、俺も姿を見られてしまった。あいつは俺をやるまで止まらない。幸い、お前たちの姿をあいつはまだ見ていない。今のうちならば逃げられる」
「でも! でも……」
首を振りなおも父さんにしがみつく。その僕の耳に再びあの声が聞こえた。
あいつの、声だった。
「太郎、次郎! 行け!」
父さんの声が跳ね上がる。その声に弾かれたように太郎兄さんと次郎兄さんが僕の腕を掴んだ。いやだ、と首を振りなおも足を踏ん張ろうとして僕は気づいた。
太郎兄さんと次郎兄さんが、泣いていた。
どちらの兄も僕よりもずっと勇敢で、これまで彼らが涙を流すところなど一度として見たことがなかった。
その兄たちが泣いていた。
「行くぞ、三郎」
泣きながら太郎兄さんが僕を引きずる。次郎兄さんも無言で僕の肩を抱いた。
父さん、と声をあげようとした僕に、父さんは笑って最後にこう言った。
「親らしいこと、なんにもしてやれなくて……ごめんな」
嫌だ、と涙がこぼれる。けれどなにもできることがないままに僕は兄さんたちによって家から連れ出された。
必死に走って走って。
家を見下ろす丘の上に来たとき、振り向いた僕は見た。
あいつが、僕らの家に入っていくのを。
父さん! と叫ぼうとした僕の口を次郎兄さんが塞ぐ。
悲鳴を噛み殺した僕の耳に、死を覚悟しつつもなおも零れてしまったであろう、父の悲痛な叫びがいつまでもいつまでも残った。
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