第二話「進んでいく道と迷いと」

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 ベランダに出て、手すりに片手を伸ばし掴みながらアイスココアを口に含む。芳醇なカカオの味わいが口いっぱいに甘く広がっていく。  涼しい夜風を浴びながら、私は遠い景色を眺める。懐かしくて新鮮な日本の街並みが広がっていた。  昼間は太陽光線が強いから、暑くて堪らない……夜だと、こうしていれば心地良くて、熱を帯びた身体も落ち着かせてくれる。  真っ暗で何も見えない空。  厄災の時はずっと暗い夜が続いたらしい。30年も昔だと、歴史上の出来事のようだが、調査を続けることで、私にとってはようやく他人事ではなくなった。  闇に包まれた街の中を懸命に人は生きた、生きようとした。しかし、現実は非情で、残酷で、避けようのない悲劇が繰り返され、多くの人が命を落としていった。    今、この街には高くそびえ、緑色(りょくしょく)に光輝くクリスタタワーがある。  タワーの光は追悼の意をずっと街の人々に伝え続けるように、暗い世界を恐れる街に光を与え続ける。  ここでの暮らしも長くなり、いつ雨が降るともしれない梅雨の季節を迎えようとしていた。  雨が降ると憂鬱になることもたびたびある。  一番に思い出すのは、公園でずっと雨に濡れていた日の記憶。  浩二君と唯花さんに助けられたあの日の記憶。  初めて浩二君の家に行って、真奈ちゃんと出会って、私にとって、この街での暮らしが本当の意味で始まるきっかけにもなった。 「……浩二くん」  ぽつりと名前を呼ぶと途端に胸が苦しくなった。  まるで感じたことのない胸のドキドキ、それはもう偽りようのない浩二君にだけ抱く特別な感情によるものだった。 「どうして私……こんなものを背負ったって後が辛くなるだけなのに……」  意識すればするほど、浩二君のことを直視できなくなる。  そんなこと、望んだことすらないのに。  ”どこかでいつも諦めてる自分がいる”    だから、どうしようもなく辛くなる  好きになるのが怖くなる  泣き出しそうになる  思えば浩二君はずっと唯花さんと暮らしてきたようなものだ。  唯花さんの本当の気持ちを知ってるわけじゃないけど、私とは比べ物にならないくらい浩二君や内藤君と一緒にいるに相応しいものを持ってる。    私なんかが割って入って好きになっていいものとは思えない。  唯花さんは才色兼備で人当たりも良くて、ファッションセンスも抜群で男女問わず好かれている、一般男子から見れば高嶺の花だろう。それに何と言っても歌が超絶上手い。  しかも真奈ちゃんのお世話もずっとしてきた経験もあり、料理の腕もあって家庭的だ。  私なんて……身長は低いしお尻も小さくて腰のくびれなんてあったもんじゃない。唯花さんのようなオシャレな服装なんて似合わないだろう。  それに研究にばかり熱中していたせいで料理もまともに出来ない。  友達もほとんどいないし……自分に果たして魅力があるのか疑問だ。  私を溺愛(できあい)してくれている光やプリミエールには申し訳ないが……。  でも、この気持ちをどう抑えたらいいのか分からない。 ”おばあちゃんは、おじいさまのことを……”  自分が生まれたのはおばあちゃんが母を産んでくれたからだということは当たり前のことだが分かっている。でも”魔法使い”でありながら人を愛し、子を(はぐく)むことがどういったことなのか、母が私たちを産んですぐ亡くなってしまったこともあり、教えてもらう機会は最初からなかった。  母も祖母も……私を置き去りに逝ってしまった。  だからか、私は酷く迷った。魔法使いである自分が浩二君を好きになることを。 ”おばあちゃん、私はどうすればいいの……”  浩二君のことを考えると胸が苦しい。  経験したことのない身体の変化に私は戸惑い、つい考えることから逃げ出したくなる。 「私、何で言っちゃったんだろう、浩二君に私が親戚だって……」  血のつながりがあると伝えることに本当に意味があったのだろうか?     私は何を期待して浩二君に話したりしたのか、心を覗きたいわけじゃないのに、気持ちを確かめたいわけなんてないのに……。そんな怖いこと、卑怯なことなんて出来るわけもないのに。  自分に呆れてしまうほどに、もう、自分の事さえも何も見えなくなっていた。  厄災のことや舞台演劇のこと、学園のことや研究のこと、考えることは沢山あって、それを考えている時は理知的に、冷静に自己の判断ができ、正確に行動することが出来るのに。    でも、そういうことと向き合うことで気を紛らわせて、浩二君のことを深く考えないようにしている自分がいる、それも事実だ。  こんな気持ちで好きと言えるのかな?  好きになることが許されるのかな?  きっと、おかしい  おかしいに決まっている  好きになっても、余計なことに巻き込んで迷惑を掛けるに決まっている  考えれば考えるほど、そんなネガティブな思考が頭の中を支配していく。  気付けば私はアイスココアを飲み干していて、随分と時間が経過していたようだった。    私はいつまでも答えの出ない問いを続けるのを止めて、ベランダから室内に戻り眠ることにした。    だが、こうして迷い続ける私はまだ知らなかった。  この運命の悪戯が、混沌に落とし入れる事態が、これから先も巻き起こり、難解な判断を求められる日々が続いていくことを。
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