第五話「絶望に枯れる花びら」

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 緊急的な処置が終わり、穏やかな睡眠状態に入った真奈が病室に運ばれたのは、処置が始まってから一時間ほど過ぎた頃だった。前回に入院した時と同様に達也も一緒に病室を訪れていた。 「すまないね、今回もこれ以降の処置は出来ないから、後は真奈ちゃん自身の力で目を覚ましてもらうしかないよ」    何事もなかったかのように、落ち着いた呼吸ですやすやと眠りに続けている真奈だったが、浩二は安心できなかった。 「真奈は……大丈夫なんだよな……?」    浩二は憔悴した声色で達也に聞いた。 「苦しみようが異常で原因も分からなかったから、前回よりも効果のある薬で眠ってもらっているのが現状だ」  効果ある薬……そう言葉にしてしまうと簡単だが、それは何度も使用を繰り返せば効果は薄まり、副作用だってあるものだ。 「前回と同様の症状によるものなら、目を覚ますのは前回以上に時間がかかるだろう。  僕から言えることとすれば、あまり長時間見守らずに落ち着いて行動してほしいところかな」  身長がこの場では一番高い達也はいつものように白衣姿をしている。説明する達也は病室のベッドで病衣を着用し眠る真奈に寄り添うように椅子に座る浩二を見下ろす形だった。  長丁場になることを達也が告げたことで浩二はさらに肩を落とした。  時刻はすでに黄昏時となっていて、もうじき陽が落ちて長い夜が始まろうとしていた。達也としてはこのままここに居続けたとしても面会時間が過ぎてしまうこともあり、二人には帰宅を勧めるのが病院を手伝う身としては自然だった。 「私は……浩二がここにいたいなら一緒にいるよ」  返答しない浩二の代わりに唯花が声を絞り出した。  唯花はライブ衣装の上に上着を着ただけの派手な格好だったが、その理由を達也はこの場で直接聞かなかった。 「看護師や僕も様子は見守るから、一旦この場は家に帰った方がいいと思うが……だが心配する気持ちは分かる、どうするかは任せるよ」  病院側の都合というのを介さない、長年の付き合いである三人だからこその会話だった。  そこで会話は一段落して、ショックのあまり微動だにしない浩二を置いて、一旦達也と唯花は病室を出た。 「ごめんね達也、また突然押し掛けることになって……」  ライブで熱唱した疲れもあり、唯花の疲労感は浩二以上にあったが責任を感じているのは同じだった。  いつの間にか目から涙を流していたのか、目元の化粧が落ちていたが、唯花はそんなことも気にしていない様子だった。 「なんとなく、なんとなくだけど……また真奈ちゃんは倒れるんじゃないかと思ってたよ。浩二にはとてもじゃないけど言えない事だけどね……」  唯花の落ち込みようは尋常ではなかったが特別に自分の見解を達也は話し始めた。浩二には話せない事情が唯花には伝わると思ったからこその話しだった。 「浩二が過剰に意識して真奈ちゃんの面倒を診るようになったら、それはそれで良くないもんね」 「そうだな、真奈ちゃんの症状は特別過保護にして良くなるものではない。  他の子どもと同じように、いつものように明るく接してあげた方が真奈ちゃんも自由になれてストレスを感じることも少ないだろう。  そういう意味では、真奈ちゃんも含め自然に接した方がいいだろう」  達也と唯花は院内の自販機まで訪れて達也はコーヒーを、唯花はカフェオレをそれぞれ購入して、ソファーに座って気持ちを落ち着かせながら話した。  唯花は歌を歌っていたこともあり、喉の渇きはずっと続いていたようで、カフェオレを口にして喉を潤すと、体中に心地良く染み渡っていく感覚を覚えた。 「前回倒れてから半年近く、何の問題なく元気に見えてたけど、達也の見解はひょっとして違うの?」  詳しい達也の説明を聞けば、今より少しでも気持ちの整理が付くと唯花は考えた、少しでも事情を知ることで自分を納得させられる。唯花にとってはそれが自身の安心にも繋がると思ったのだ。 「この前、庭園に真奈ちゃんが来た時に、実体を持たない少女の霊と会話をしたそうだ」  達也が持ち出した話題は、心霊がらみのもので直接関係することか判断の付きづらいものだった。 「それが、何か関係あるの? 小さい頃ってそういう見えない友達がいたって珍しくないんでしょ?」  心霊体験に限らず、子どもの頃はぬいぐるみに話しかけるように、見えない存在との会話を楽しむこともあるものだと、唯花は思ってきた。  だが、達也が考えていたことは、もう一段階踏み込んだものだった。 「強い幻覚や妄想を見る体験が持続的に発生するようになれば日常生活を送るのは困難になる。通常、そういった症状が見られれば抗精神病薬(こうせいしんびょうやく)などの治療薬を投薬(とうやく)し対処する必要がある。  現状、真奈は子どもということもあり、そこまで深刻な状況とは思えないから、軽い薬に抑えてはいるが、幻覚を繰り返し見るようなら、それ相応の対応が必要になってくる。症状が悪化して手遅れになってからでは遅いからな。  もちろん、日常生活に問題が生じないなら気にしないでいいと言えなくもないが、いずれにしてもケースバイケースだよ。  慎重に症状を診ながら対処する必要がある」  達也は精神疾患のケースと当てはめながら説明した。  そこまで深刻なものと考えたくはないが、それでも知ることで健全な対応や対処を考えることが出来るのも事実だった。  サイコシスの症状がみられるなら「精神病性がある」、そう考えるのが精神病の世界である。  こうしたことを考えるのも、達也が真奈の健康を願ってのことだった。 「……でも、前回以上に目が覚めるのに時間がかかるようなら、より警戒が必要ってことよね」 「そうだね、睡眠障害は油断してると大変なことになる。  普段の日常生活では気付かない程度でも、突然こういう事態は起こり得るだろうから」  話せば落ち着くかと思ったが、知れば知るほど唯花の中で不安は増してしまうのだった。 「それと、忘れてたけど私、謝らないと」  唯花は今日のことを謝りたいと思い。言葉を続けた。 「ごめんなさい、今日、真奈ちゃんと浩二を誘ってライブハウスで歌ってたの。  ちょっとした気分転換だったんだけど、達也や舞には内緒にしてた」 「そうか……いいんだよそれは。家族ぐるみの付き合いだろ?  わざわざ言わなくったって、唯花の気持ちは分かっているよ」 「うん……ありがとう、達也には伝えておきたかったから」  こう親し気に会話を繰り広げたものの、二人とも内面的に苦しい感情を秘めているのが現実だった。  達也は唯花の浩二への”恋心”にとっくの昔から気づいていて、今回の一件も彼女なりの求愛行動であることは嫌でも分かってしまっていた。  一方、唯花は達也には今の事務所に所属してのアイドル活動を未だに内緒にしていることもあり、なかなか本音で会話できない部分があった。それに今回は本気で浩二に告白するつもりだったので、達也を誘うことは迷いなく無理なことだと分かっていた。 (……達也は私に甘すぎるよ、いつも。そういう部分、嬉しい時もあるけど、もっとちゃんとしっかり言って欲しい、平等に扱ってほしいって思う時だってあるよ。  私だって独占欲のある、感情的な人間で、聖人君主じゃないんだから)  思わず下を向いて、缶を握る手に力が入った。  自分のしていることが嫌になる、そんな感情を普段から持ち合わせた唯花には、達也の優しい部分は時に自分を苦しめてしまうのだった。
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