第六話「天に昇っていけたら」

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 唯花の告白に俺は言葉を失った。  これまでの溜め込んできた想いが、いっぱいに詰まっていることは痛いくらいに分かったから。  唯花の綺麗な瞳から一筋の涙が零れ落ちる、それは絶望の淵にある女性から零れるものとしては、あまりに切ないものだった。  俺はどう言葉を掛けていいかは見つからなかったが、気付けば金網を乗り越えて、涙をこぼす唯花のそばに立っていた。 「やめて!! これ以上、近付かないで!! 本当にここから飛び降りるからっっっっ!!!!」  激情に震える大きな唯花の声が木霊した。  心が冷え切って、どこにも行き場のない小鳥のように、弱々しい唯花から溢れる感情。どうしてこんなに唯花が傷つかなければならないのか、俺には分からなかった。 「止めないで浩二!! 私が生きている限り、真奈ちゃんを傷つけることになるなら、私は死ぬしかないじゃない!!!」  懸命に首を振って、俺を拒絶して屋上から飛び降りようとする唯花を俺はなんとか助けようと、その身体を掴んだ。 「そんなわけない!! 唯花が生きていて真奈を傷つけているなんてそんなことあるわけない。ずっと一緒に生きてきた、唯花のおかげで今がある、俺と真奈にはこれからもずっと唯花が必要なんだ!!!」  一度掴まえた唯花の身体を決して離さないよう、力を込める。  無事を願う真奈のためにも、ここで引くことは許されなかった。 「好きでもないのに優しくしないでつ!! 本当に痛くて苦しいよ。  もっと、真奈ちゃんを苦しめちゃうよ……浩二の一番大切な真奈ちゃんを傷つけちゃうよ、私はそんなの嫌なの!! 図々しく浩二のそばにいようとする、そんな私を許せるわけないよ!!!」  頬を赤く染め、泣き腫らしたまま、俺の腕を離そうとする唯花。  こんな唯花は見たくなかった。    俺は拒絶しようと暴れる唯花を、一度掴まえた唯花を離さないよう金網に身体を押し付けて、ギュッと力を込めて強引に抱き締めた。  肌が触れ合い、温かい唯花の体温が伝わってくる。俺は泣き止まない唯花をなんとか救おうとしていた。 「俺は俺のためにも、真奈のためにも、唯花のためにもこれからもずっと笑っていてほしいんだ、歌を歌っていてほしいんだ」  出来るだけ優しく言葉を込める、それが唯花を苦しめることだとしても、今の俺には言葉を止めることは出来なかった。 「人を好きになることが間違いだなんて俺は認めない、そんな理由で死ぬだなんていうのなんて、もっと許さない、絶対に許しちゃいけないんだ!!」 「私、そんなに上手に笑えない、歌ったりできないよ……っ!!」  力の抜けた唯花を信じて俺は身体を離した。 「すぐに出来なくたっていい、いくら泣いたっていい、それでも俺は唯花に生きていてほしい。  俺が笑わせてやる、一人になんてしない。  だから、いなくならないでくれ」 「好きって気持ちがずっと消えなくても? 一生消えなくても? また、迷惑を掛けることになっても?」 「うん、誰も望まない選択をするより、ずっとマシだ。  唯花は唯花のままいていいんだ。自分の気持ちに正直でもいいんだ」  俺は唯花と目を合わせ、大きく頷く。  唯花に信じてもらえるように、少しでも辛い気持ちを分け合えるように。 「それじゃあ、本当にただのわがままな女の子になっちゃうかな……。  そんなのは私じゃないよ、私なんかじゃないよ」 「じゃあさ、いつもの唯花に戻れるよう、一緒に頑張ろうぜ。  思いやりがあって、優しく、歌が大好きで、家庭的で、友達想いで、家族想いの唯花にさ」 「簡単に言いすぎだよ……そんな恥ずかしいこと」  少しだけ、ほんの少しだけ我慢しきれず唯花は嬉しかったのか、泣き止むことなく優しい微笑みを取り戻して、頬を赤らめながら浩二のことを見た。  死の淵に立って、風前(ふうぜん)灯火(ともしび)となっていた唯花の瞳から、ようやく光が戻った。  ギリギリのところで生きる希望を取り戻した唯花は、その震える身体で風が吹き付ける中、俺の腕を掴んだ。 「浩二はさ……私が家族と喧嘩して家を飛び出した時も迎えに来てくれたよね。公園で一人泣いていた私を慰めて。  なんでなんだろうね、浩二にとっては普通のことで。でも、私にとってはとっても嬉しくてずっと忘れられないくらい特別なことで……いつも、現実から逃げようとしたってこうなっちゃうんだ。  どうしてこんなことで、許しちゃうんだろうね……私って。  やっぱりバカなのかな……自分で決めて、飛び降りる覚悟もちゃんと出来ていたはずなのに……」  本音を介した唯花の言葉が心の奥深くまで染み渡るようで、今までよりもさらに唯花を近くに感じた。  気付けば空はすっかり夜空へと移り替わり、夏がもう近くまで来ているのにも関わらず、今日の風は肌寒かった。  唯花の気持ちが落ち着いたところで、生と死の境界である場所から俺たちは離れた。  たとえ辛いことがあったとしても、自殺しようとする人の気持ちを分かろうとは思わない。    唯花には、死んで悲しむ人がたくさんいる。  救い出す理由はそれだけで十分だった。 「怖くなかったか……?」 「怖いに決まってるよ……」  その言葉を聞いて俺は安心した、唯花は自分が死ぬことを望んでなんていないって、そうはっきりと分かったから。  帰り道、唯花は知枝から聞かされた”自分が真奈を苦しめているという真相について話してくれた”。唯花は知枝から聞かされた話をそのまま信じているようだった。  俺は突拍子もないものでとても信じられなかったが、唯花が信じてしまっている以上、この場で否定することは出来なかった。 「さっき私が言ったことは忘れて。  ずいぶん思い返したら恥ずかしいこと言っちゃったし、浩二を好きでいる権利は私にはないから。  だから、聞かなかったことにして欲しいの」  俺はそんなこと受け入れ難かったが、唯花の強い意志に根負けして納得することにした。    唯花があのライブで告白しようとしていたことは衝撃的なことで驚きでいっぱいだった。  本当にあの時、告白されたとしたら、自分がどんな返事をしたのか、考えてみても答えはすぐに見つからなかった。 「それじゃあおやすみ、明日も学園は休むと思うけど心配しないで。  たぶん、気持ちが落ち着くのにしばらくかかると思うから、そっとしておいて。  後、真奈ちゃんには会えなくてごめんって伝えておいて。    それだけ、バイバイ浩二、本当は探してくれて嬉しかったよ」  帰り道を歩いている内にすっかり外は暗くなっていた。  永弥音家に着いた唯花は言い放った言葉の後で、玄関の扉を閉めた。  心配しないでと言われてそんなことが出来るわけがなかったが、それを伝える間もなかった。  俺は、これ以上唯花と話すことは出来ないので、真奈に報告するため家に戻った。  真奈に唯花を家へ帰したことを告げると、心底安心したように”よかったね、おにぃ”と言って安堵している様子だった。  結局、俺は唯花の部屋で見た、布団や毛布に付着していた血の跡について追及することはなかった。
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