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目覚めてからのジェーンは、お医者様から安静にするよう告げられたことにより、部屋から出ることを禁じられた。
とても退屈だったが、ジェーンの身を案じたルトガーや母のイドナが、毎日のように顔を見せに来るので、その時は楽しく過ごすことができた。
イドナは感情的な女性だ。
父親のハンスとは十歳ほど歳が離れており、とても若くて美しい。
だが、もともとは男爵令嬢だったらしく、上級貴族としての教育を受けていない為、やや冷静さに欠ける一面が見られた。
「ジェーン、調子はどうですか?」
「平気です」
「お腹は空いてませんか?」
「少し前に食べました」
「なにか甘いものは?」
「いりません」
記憶を失ったジェーンを心配して、イドナは甲斐甲斐しく世話を焼く。
しかしイドナとは対照的に、ジェーンはどこか無機質な様子だった。
あまり笑うことはせず、同年代の子と比べればハキハキと意見を口にする。
そんな様子のジェーンに、イドナは圧倒されてばかりだった。
だが淡々としたジェーンに戸惑うのは、なにもイドナだけではない。
朝食の時間へと話は戻るが、その時に食事の準備をしていた使用人の少女の1人が、ちょっとしたヘマをやらかしたのだ。
ジェーンよりも年上の少女だが、1か月前に入って来た所謂新人であり、やや要領の悪い一面が目立つ。
今日はスプーンやフォークを、机へ並べる前に落としてしまった。
「あっ! もも、申し訳ございません……」
この世の終わりかのように顔を青ざめさせる少女に、ジェーンは首を傾げた。
なぜ物を落としたくらいで怯えているのか、分からなかったのだ。
年配の使用人が新しい物を用意しても、少女はプルプルと震えていた。
その様子に、まるでジェーンが何かしてしまったような気持ちにさえなる。
何に怯えているのか分からないが、ジェーンはスプーンを手に取った。
お腹が空いているため、まずは温かいスープを飲むことに。
「…………いただきます」
「……へ?」
驚いた声を出した少女を、隣に立っていた使用人が睨む。
慌てて口を噤んだが、ジェーンには訳が分からなかった。
「……どうかしましたか?」
「い、いいえ……なんでもございません……」
「申し訳ございません、お嬢様」
年配の使用人と共に、少女も頭を下げる。
それを見て、ひとまずジェーンは気にしないことにした。
この家に住んでいた記憶のない自分では、事情を把握するのに時間が必要だったからだ。
まだ状況にも慣れていない為、ひとまず食事に集中する。
静まり返った室内で、使用人に見守られながら食べるのは、いささか気まずい時間だった。
しかし食事を終えると、使用人たちは早々に片づけをして部屋を出ていく。
使用人たちを見送り、ジェーンはこっそり扉を開けた。
外からは、先ほど出て行った使用人たちの会話が聞こえてくる。
「……お嬢様が記憶喪失というのは、本当のようですね」
最初に話し始めたのは、食事前にヘマをしていた少女だった。
「以前は物を落とせば凄く怒られたのに……」
「それに見た? お嬢様の食事の様子」
少女と年の近い、使用人の声。
「以前はスープに入ってる野菜すら嫌がっていたのに、今日は綺麗に平らげていたわ」
「……記憶が無くなったっていうより、人が変わったみたい」
「どちらにせよ、以前のお嬢様より随分マシね。癇癪で物も投げつけられないし」
「そ、そうかな? 今のお嬢様は、ちょっと冷たい感じが……」
「熱いって文句言われて、淹れたての紅茶を掛けられるより良いじゃない! アンタも本投げつけられて泣いてたでしょ」
「貴方たち……無駄口を叩いている暇があるなら、馬小屋の掃除にでも行きますか?」
「あっ……」
「す、すみません……!」
年配の使用人の言葉によって、二人の会話は中断された。
ジェーンは、そっと扉を閉める。
どうやら記憶を失くす前の自分は、そうとう我儘だったらしい。
良く思われていないことを知り、ジェーンは先ほどの使用人たちの様子に納得する。
だが同時に、今の自分には関係ないな、とも感じていた。
以前の自分を覚えていないせいか、どこか他人事のようにしか思えない。
それこそ使用人の少女が言っていたように、自分は冷淡な人間へと変わってしまったのだろう。
何故かは分からないが、それでも良いと、ジェーンは思っていた。
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