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ずるい恋人
「お兄ちゃんありがとー!」
「うん、もう風船放さないようにな」
そうだ。
忘れてはいけない、彼はお人好しモンスターである。
放課後デートを取りつけ、浮かれたままちょっと飲み物を買いに彼の側を離れたら…これだ。
ものの数分で彼はもう誰かのヒーローになっていた。何あれ格好良い。とりあえず写真を…あぁ、両手塞がってる…。
風船を持った女の子を笑顔で見送った彼に近づこうとすると、今度は別の人物が彼に話し掛けた。老夫婦のようである。
さっきの澤くんの行動…女の子が手放して飛んでいきそうになった風船を持ち前の運動神経でキャッチした超格好良い姿…を見ていたんだろうか。何かを手渡している。それに澤くんがお辞儀をして、彼らが孫でも撫でるみたいに彼の頭に手を伸ばしたところで…間に入った。
「お待たせ。この方たちは?」
「あぁ。なんか、お菓子くれた」
「さっきのこの子、格好良くてねぇ。風船を取ってあげてたのよ。それで惚れ惚れしちゃった」
「へぇ、そうなんですか」
しっかり見てましたけど?そんなの、店の中からばっちり見てましたけど。それでまたこうして声を掛けられるんじゃないかってハラハラして、大急ぎで店から出てきたんだけど。やっぱりだ。
澤くんは俺といる時は、それほど見知らぬ人に話し掛けられることはない。そりゃそうだ、俺がいるからね。彼の隣から、背後から、不用意に近づくなオーラを放っているので。
しかし元来の人が好いオーラのせいか、彼はどうも話し掛けられやすいらしい。さっきみたいな格好良いところを披露しちゃったら尚更。
ちょっと目を離した隙に言葉通り老若男女モテモテになる彼に俺は気が気じゃない。彼は自分の魅力にとんと気づいていないが、そういうところだ。あまりにも自然に人のために動いてしまうし、それを誇示したり自慢したりもしない。だって彼にとっては「普通」だから。
そういう姿勢も格好良い…じゃなくて、心配だ。ただの親切な人ならいいが、今朝の女みたいな奴に目をつけられたらと思うと…気が気じゃない。
澤くんはモテすぎて心配だと話した時も、「お前の方が何十倍もモテるだろ」と笑い飛ばす彼だ。そのなんてもどかしいことか。
こんなに優しくて格好良くて可愛くて格好良くて無防備で馬鹿で可愛いきみのことを周りが放っておくわけないじゃないか。
そう問い詰めたくなったけど多分全く聞かないだろうと思って言ってない。でも思ってはいる。ずっと。
彼のお人好しさは美点だし、切っても切り離せない彼の一部だし、大好きだし、なくてはならないものだけど。
その優しさをもっと自分のために使ってほしいし、こんな風に無意識に周囲を魅了するのも正直やめてほしい。めっちゃハラハラする。
なのに本人はまるで無頓着に人をたらし込むから、俺は後始末…じゃなくて色々なお片付けに奔走している。わざわざ言うことじゃないし、それも俺の勝手でやっていることだけど。
「藤倉?飲み物さんきゅ。…どしたん?」
「ううんと、誇らしさと嫉妬心と心配と己の不甲斐なさとやっぱり誇らしさと色々で揺れ動いてたとこ」
「…?何か分かんないけど、忙しいな?」
「うん、まぁね」
俺の勝手なんだけどね。
あの老夫婦はもうどこかへ行ってしまっていて、澤くんの手にはおかきと思しき小さな袋が二、三個残されていた。その一つを、俺に渡してくる。
「ほい」
「これ、澤くんがもらったやつじゃん」
「こんなに食えないし、手伝ってよ」
そういう言い方を自然に選ぶ彼は本当にお人好しの化身みたいな…。お人好しの化身ってなんだろう。
「いつも言ってるけど、澤くんはもっと自分の欲に忠実に、」
「………てるよ」
「え?」
「だから、なってるよ。これだって、お前と一緒に食った方が、美味いかなって、思ったから…」
「………」
「藤倉…?」
「はぁぁあああ」
「えっ、なに。溜め息でかくない?俺何かやらかした?」
「うん、やらかした。今すぐ帰ろう。俺ん家に」
テイクアウトで。
「え、えっ!?」
あまりにも自分の魅力に疎い恋人には、もっと自覚を持ってもらわないと。
恐らくまた俺の後ろで真っ赤な顔になっているだろう彼の手を引いて、さっさと駅へと向かった。
俺たちを、というか彼の格好良い行動の一部始終を見ていたであろう野次馬にはふっと渾身の笑みを置いていく。それだけで簡単に惚けた顔になるその他大勢。これで記憶が塗り替えられればいいけれど、彼の格好良さには遠く及ぶまい。
片手に持っているアイスティーがカランと氷を溶かす音に紛れて、彼が小さく「………ずるい」と零す声がした。
さて、なんのことやら。
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