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「先輩、この子が今回の対象ですか?」
「そうよ。さあ早く連れて帰るわよ、後輩」
どんよりとした曇り空の下、2つの人影が道端に置かれている段ボールの前で立ち話をしています。
背格好としては、中学生くらいでしょうか。1人はフードのついた黒いコートを着ておりドクロの形をしたリュックを背負っています。後輩と呼ばれた方ですね。
もう1人は、その後輩よりも頭2つ分低く、白のコートを着ています。先輩と呼ばれた方です。こちらは、リュックは背負ってはおりませんが、腕に赤い腕章を付けており、教育係と書いてあります。あと、お洒落なのか頭に下顎なしのしゃれこうべを乗せています。
目の奥が赤く光っているのは仕様でしょうか。
「でも、見て下さいよ。まだ魂は出ていませんし、こんなにも元気なんですよ」
そう言って後輩は段ボールに手を伸ばすと中に入っていたものを持ち上げます。
うす汚れてはいますが、首には赤い首輪が付けられており、茶色の毛に少し垂れている三角耳。ハァハァ言いながら口をだらしなく開けて愛嬌のある顔をしているそれは、小犬でした。まあ、小犬と言っても両手で抱き抱えないと持てないぐらいの大きさはありますが。
「えっ……ああ、そうね。どうやら死ぬまでには時間があるわ———まあでもリストに載っている以上は連れて行くのは必然なんだから」
先輩は、懐から黒い手帳を取り出し、パラパラと捲り開いたページを突きつけます。
そこには、犬種や生年月日等といった小犬についての情報が記載されていました。因みに名前は『タロウ』と書かれており、小犬の顔写真も横に付いています。
「でも、こんなにも元気なのに……何が原因なんですか?」
「さあ、そこまでは分からないわ。死ぬ運命は決まっていても死因は変わるから……ぎりぎりにならないとわからないのよ。
出来れば苦しむ事なく死んでくれればいいんだけどね」
思うところがあるのか、先輩は、深くため息をつきながら手帳をしまいます。
「先輩」
「ん?……わぷっ」
突然、先輩の視界が暗くなり柔らかく生暖かいものが顔を覆いました。
「ちょっと何を….」
強引に剥ぎ取ったものは小犬でした。相変わらずハァハァ言っています。
「死ぬまで時間ありますし、せっかくなら戯れましょうよ」
「駄目よ、私達は極力生者に関わっては」
「大丈夫ですよ、犬ですし。それに、先輩いつも言っているじゃないですか、魂を連れて行くだけが仕事じゃないって。死者を、安心させるのも仕事の内だって」
「それは……わかったわよ。今回だけよ」
やれやれといった感じで小犬の頭をかきます。気持ちよさそうに目を細めるのを見て先輩もまた頬が緩むのでした。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
さて、青空とは程遠い、どんよりとした曇り空の下、誰もいない公園で追いかけっこが始まっていました。
「ちょっ、はぁはぁ…早っ….い」
「ハァハァハァ」
少女は必死になって逃げ回りますがすぐ後ろで荒い息が聞こえてくるものですから、立ち止まる事が出来ません。
遂には、少女は逃げ場を失いゾウの姿をした滑り台の前に追い詰められてしまいます。
「くっ…」
それでも何とかしようと左右に視線を送り逃げ道を探しますが、それを待って貰える程甘くはありませんでした。
それは、少女に覆い被さるように飛びかかり、その勢いで彼女はバランスを崩し地面に倒れ込みます。
「きゃっ……ちょっ、くすぐったい」
そして、ハァハァ言いながら追い詰めた少女を舐め回し始めました。それこそ読んで字のごとく舐め回しです。
「ばかっ…どこ、舐めっ……く」
くすぐったさと恥ずかしさとで、少女は顔を赤らめ声を洩らし———と、
さて、字面的にはぎりぎりですが、何て事はありません。先輩と小犬のタロウが公園で戯れているだけです。端から見たら微笑ましい光景です。
そして、それを少し離れたベンチに座り見つめている者もいました。その瞳には非難めいた物が含まれています。
「……楽しそうですね、先輩」
リュックを抱き抱えながら、その者は呟きます。はい、後輩です。片足では足らず両足での貧乏ゆすり、頬をぷくりと膨らませる姿から察するにご機嫌ななめですね。
「楽しそ…..じゃない!助けなっ…..よ」
襲われているーーーもとい小犬の激しいスキンシップから先輩はなんとか逃れようと身をよじっています。
しゃれこうべがなす統べなく地面に転がっています。
「あーあー、さっきまで『生者に関わっては駄目よ』なんて言っていた人が楽しそうに…..ずるいです」
「だから楽しんでないってば。何でこいつは私のところばかりに」
引き剥がして距離を取ろうとするも小犬は、それを軽やかにそして時折フェイントをかましながら華麗に互いの距離をゼロにしていきます。
「てか、こいつ私の胸ばかりに来ていない?」
確かに、先ほどから重点的にコート越しにでも分かる山2つに飛びついているようにも見えます。その証拠に白いコートだからこそ汚れが目立っています、その部分が主にです。
「…..先輩、彼氏がいないからってオスを誘惑しないでください」
後輩の瞳から徐々に光が失われていきます。漆黒の闇に染まる寸前です。
「誰が好き好んで犬畜生なんかに。わー、バカ!!コートの中に入ろうとするな!!」
「………..先輩、私ちょっと散歩してきますね。あとは、若い二人でどうぞ。」
「待て待って後輩!!こうはぁぁぁあああい!!」
暗い笑みを浮かべその場から立ち去ろうとする後輩。必死に止めようとするも先輩の声は届くことはありませんでした。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
さて、目の前でイチャイチャ?を見せられ少々ご立腹な後輩です。
「ずるいよ先輩。モフモフをあんなに堪能出来るなんて。所詮、オスは皆獣なのよ!胸か!でかいのがいいんか、バカ野郎!!!!」
まるで、酔っぱらいの如く管を巻きながら歩いていく後輩。気付けば先ほど小犬を拾った場所に来ていました。
「ここは、さっきの…..うっ、ひっくひっく….うぇぇん」
拾った時の事を思いだしたのか、後輩は先ほど道端に置いてあった段ボールの前で泣き出してしまいました。
てか、この子はどんだけ小犬と遊べなかったのがショックだったんでしょうかね。まるで、この世の終わりのような絶望感です。
「え、何でここで泣いてるの」
ほら、通りかかった人が困惑しちゃって声をかけてきましたよ。
「ふぇっ」
振り返れば、後輩よりも背の低い小学生くらいの少年がドン引いた表情をして立っていました。少年からしたら見た目年上の女性が道端で泣きじゃくっていたのですから、そんな表情にもなります。
それでも、声を掛けただけでも立派です。
「….誰?」
「いや、こっちこそ誰なんだけど」
少年の最もな返しに、後輩は、ズビビと鼻を啜り事の顛末を語りだします。
「……タロウが…オェ…胸で……オスは……ヒック……獣で」
「っ……タロウ?」
説明と言っても後輩は、嗚咽を漏らしながらなので単語でしか聞き取れませんが、少年は何やら小犬の名前に引っ掛かったようです。
「ねぇ、そのタロウって」
「てか……ズビッ……あなたは私が見えるんですか?」
「……えっ?」
少年の言葉を遮り不意に素朴な疑問を口にする後輩。
死神は、基本寿命を迎える者に見えるとされていますので彼女のこの発言は不思議でもなんでもないのですが、少年からしたら泣いてた女性が更に電波な発言をして来た訳ですから、この場から逃げ出したくて堪らないでしょうね。
その証拠に無意識に腰が引けています。
ただ、それでも、踏みとどまったのは、後輩の呟いたタロウと言う言葉が気になったからでしょう。
「ねぇ、そのタロウって段ボールに入ってた犬の事?」
そう聞かれ後輩は、少年と段ボールを交互に見つめ、何かに納得したかのようにパンッと顔の前で両手を打ち合わせたのでした。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「タロウ!!」
「キャンキャン!!」
公園に到着するなり少年は走りだします。視線の先にはタロウの姿があり、そして、小犬もまた少年の姿を見つけるやいなや走りだし、そのまま抱きあうといった感動の再会イベントが発生しました。
「先輩生きてますか?」
その傍らでは、先輩が地面に横たわり「汚された」と呟いています。
「ありがとう、お陰でタロウに会えたよ…..って、どうしたのその人、ベトベトだけど」
「大丈夫です。少し犬とじゃれあっていだけなんで」
後輩の言葉に少年は慌てた様子で頭を下げます。
「あ、ごめんなさい。
もしかしてタロウに舐められたんじゃーーーこいつ昔から異常なまでに舐め癖があって。
男の人には行かないんだけど、何故か女の人にはそうするんだよ。全員じゃなくて一部の女の人だけにね
多分、犬好きそうに見えるからだと思うんだけど」
少年は、不思議そうに且つ純粋な考察を語っていますが、後輩は、へーっと適当な相槌を打ちながら先輩の方を見てます。
先程のやり取りもあり原因は一目瞭然ですからね。特に一部分をジトッと睨んでいますよ。
「うぅ、後輩。あとで覚えておきなさいよ」
よろよろと起き上がった先輩は、後輩に寄りかかりリュックをまさぐると中から服を取り出します。
「ちょっと着替えてくるわ」
そう言って公園の隅に置いてあるトイレに向かった先輩を見送ったあと後輩は少年に話しかけます。
「じゃあ、君はその犬の飼い主で間違いないんですね」
「うん、本当は引っ越し先じゃ飼えないから捨ててきなさいって親に言われたんだけど、やっぱり心配になって戻って来たんだ」
安心せた表情でタロウを撫でる少年。それを見て後輩はすぅっと目を細めます。
「……へぇ、そうですか。それでーーーどうするんですか?」
「え?」
「だって、飼えないんですよね。なのにあなたは戻って来た。飼うつもりで戻ってきたんですよね。
それとも、自分の罪悪感を失くしたいがために戻って来たんですか?元気な姿を見られたからこれで安しーーー」
「ーーー後輩」
早業で着替え終わった先輩。いつの間に戻って来たのか後輩の制するように彼女のリュックを引っ張り脱いだ服を詰め込みます。
「ちょっ、先輩。汚れた服をいれないで下さいよ」
「うるさい、助けなかったんだからそれくらい我慢しなさい。
君、ごめんなさいね。この子、命が絡むことに過剰に反応してしまうから」
「いえ….」
「でも、実際どうするの。このまま連れて帰るの?」
「それは….家…に連れて帰ると親に怒られるから毎日ここに来て世話を」
「世話?毎日ここに来て?その間この子をここに1人で残すんですか?それに大体雨でも雪でも、嵐の日でも来れるんですか?」
「後輩!」
「何ですか!」
「小犬と遊んでていいから、席を外してくれる?」
そう言うと先輩は、少年の手から後輩の手へと小犬を移動させます。
「….っ!?いいんですか、ひゃっほーい!!」
遂に念願のモフモフを堪能出来るとなって、フィギュアスケーター顔負けにくるくる回りながら離れて行きました。あまりの変貌ぶりに少年はポカーンと口を開けています。
気持ちはわかります。
「あの子の事はほっといていいわ。気にしたら負けよ」
だそうです。
「単刀直入に言うわ。私達は死神なの。本来正体は明かさないようにしているし、こういった事は言わない方がいいんだけどあなたの為に今回は伝えるべきだと思って。
あの小犬、あと10分の命よ。まあ、正確には9分54秒ね。」
「な、何言ってんだよ。死神なんて」
「まあ、突然言われてもそうよねーーーちょうどいいわ。そこの足下の蟻だけど三秒後に死ぬわね」
「蟻?」
そう言って足下を見る少年。その際に右足を動かしてしまい、蟻を踏み潰してしまいました。
「ねっ」
「いやいやいや、地味すぎる。証明するにしたってこれじゃあ地味すぎるよ!!」
「えー….そんなこと言われてもね、他に証明しようがないし」
「はぁはぁはぁ….」
「大体どうやって死ぬんだよ、あんなに元気なのに」
少年が指差す方向では、後輩が逃げた小犬を追いかけ回しています。モフモフしたい彼女ですが、小犬からしたら彼女の異常なまでのモフモフに対する執着に本能的にヤバイと感じたのでしょう。
「さあ?」
「さあって、やっぱり嘘なんじゃないか」
「はぁはぁはぁ…」
「嘘じゃないわよ。私達が分かるのは死ぬタイミングだけ。死因なんて、その時の状況によって変わるんだから正確に知る術はないわよ」
「そんな無責任な」
「はぁはぁはぁ……」
「無責任な訳じゃ……って、後輩!!早く犬を捕まえてなさいよ、さっきからはぁはぁ煩いんだけど!!」
先輩が、苛立ちを覚えながら後輩へと向くと、後輩は未だに小犬を追いかけてます。あ、小犬が華麗なターンからカウンター気味に頭突きを顔面にかましました。
後輩の鼻血が綺麗な弧を描いています。
「……あれ?あそこにいるわね」
「し、死神さんっ…」
「何よ」
震える少年の声に振り替える先輩。二人の傍にはぶよぶよの脂肪を纏った体を恥ずかしげもなく披露する裸体の太った男が立っていました。毛という毛はなく灰色がかった肌。淀んだ目がこちらを見下ろしており、歯が所々抜けているせいか開いた口からだらだらと涎を垂らしています。
「………燃えろ」
躊躇はありませんでした。それを認識してから、およそ0.5秒。
呟く先輩の言葉に反応するように頭に乗せていたしゃれこうべの両目に赤い光が灯ったかと思うと男は火に包まれました。
「ア…アアアア………アアアアアアアア!!」
仰け反る男から、少年を庇うように距離をとる先輩。
「せんぱーい、流石にそれは私でも引きます」
地面に横たわったままガヤを飛ばす後輩。
「うっさい!!変態には死よ!!」
だそうですが、良い子も悪い子も真似しないように。
「それに、人じゃなくて悪霊だし」
「えっ?」
少年は、小さく驚きながら先輩を見ます。
男が火を振り払います。灰色がかった肌は焦げ、焼けた皮が捲れたその下からピンク色の何かが露出しています。
それを見て少年は口を押さえます。凄惨な姿に吐き気を催したのでしょう。
「君、正気を保ちなさい!!悪霊は、弱った人間に近付き自分達の怨念に引きずり込むの。
恐らくは、あなたの罪の意識につけ込んで」
「アアアアアアアアア!!!!」
先輩の言葉を遮るように叫ぶ男。どこから発声しているのか人の声ではない叫びに、少年に更なる恐怖と嫌悪感を植え付けます。
咄嗟に耳を塞ぎますが、本能に訴えかけてくるそれは、少年の精神をゴリゴリに削り狂わせ正常な判断を奪います。
少年は無意識の内に自分の両耳を掴んだかと思うと思いっきり引きちぎーーー
「ーーーやめなさい!!」
止めたのは先輩でした。少年の手を掴み声で制します。
「あ、僕…」
虚ろな目をしている少年に先輩は、背中に庇いながら苦々しげな表情を浮かべます。
「後輩!!」
「はーい」
先輩の呼び掛けに後輩が動きました。
背負っていたリュックに手を突っ込み、がさごそと探った後、手を引き抜くと後輩よりも長い丈の大鎌が握られています。到底リュックに入りそうにもない大きさです。完全に質量が度外視されています。どこかの青い猫型ロボットのポケットみたいです。
「それっ!!」
後輩の可愛らしい掛け声とは裏腹に可愛らしくない速度で男に近付くと大鎌を思いっきり横一線に凪払います。
その膂力は、巨体を浮かせ吹き飛ばす程です。
「あれ?」
後輩は、大鎌の切っ先を見つめ首を傾げます。
「どうしたの後輩?」
「………あー、先輩。あれに刃物が効かないかもです。柔らかくて弾力がある分、刃が刺さり--ー」
話している最中の後輩が一瞬で消えました。そして遅れて聞こえてくる衝突音。いつの間にか後輩は、公園の隅にあるジャングルジムを破壊する形で突っ込んでいます。
「なっ……後…輩!?」
そして先ほどまで後輩が立っていた場所には男が立っています。醜悪な笑みを浮かべ、先輩と少年を見つめています。
(まずい。長引けばこの子の精神が壊れる)
この場から逃げようと彼女は咄嗟に少年の手を引きます。
そしてーーー不意に男の顔から笑みが消えました。目を見開き口をへの字に曲げています。
「なに?」
「手を繋ぐ……女性と……子供のくせに…………」
男が、何やらぶつぶつ呟いています。
言っている内容は聞き取れませんが、その目には憎悪という感情が見て取れます。
「よく分からないけど今がチャンスかしら」
先輩は、少年の手を掴んだまま距離を取ろうとします。ただ、急に動いたせいで少年はよろめきそのまま先輩の胸にダイブしてしました。
「アアアアアアアアア!!」
その瞬間、喉が張り裂けんばかりの怒声が響きまわたります。そしてーーー
「ーーーアアアア………年上とイイイイイイ……イチャイチャ……とイチャイチャしやがってふざけんなああああ!!羨まし……色欲に溺れたガキがぁぁぁああああああ!!!!!!」
それはそれは、流暢な言葉での嫉妬心満載の叫びでした。
そして、姿も醜悪だった見た目から眼鏡をかけた小太りの全裸姿の一般男性へとフォルムチェンジしています。いや、全裸の時点で一般男性ではないですが、とにかく嫌悪を感じさせる異様さはありません。
「えぇっ……」
「えと……怨霊ってのは存在自体があやふやだから怨みという概念で干渉してきてやっかいなんだけど
直情的になって思想が明確化されれば自分を取り戻し生前の姿を成形するのーーーそれは魂の安定に繋がるから怨念を垂れ流す事は無くなるのよ」
急な状況の変化についていけず困惑している少年を見て先輩は説明をしています。
「だからまあ、ああなったら分かりやすくていいんだけど……ただーーー燃えろ!!」
しゃれこうべの両目が光ります。また火を纏う男ですが、今度はお構いなしに二人に突っ込んできました。
「確実な指標があると行動に迷いがなくなるのが厄介なのよね」
先輩が、少年を突き飛ばします。
「これで……どうだ!!」
先輩の声に呼応するように両目の輝きが濃くなり、今度は火柱を立てました。
完全に男の姿が見えなくなる程の大火です。
「これで」
安心し少年に振り替える先輩。
「……っ!?後ろ!!」
少年の言葉に咄嗟に前を向く先輩。どこが顔なのかも分からないくらいに黒く焼け焦げた塊が腕らしきものが伸び先輩の首根っこを掴みます。
「アバズレには死を」
「だ、誰が……アバズ……レよ」
先輩は振りほどこうとしますが、少女の足が簡単に地面から離れされます。
「は、離せ!!」
少年が男の腕に飛びかかりました。
「熱っ!?」
痛みに手を離す少年。見れば、両手が火傷を負っています。どうやら先程の火の熱が残っているようです。
「バカ……早く、逃げ……なさい」
先輩がか細い声で少年を促します。しかし、聞くよりも先に男の蹴りが少年のお腹を捉えました。
抵抗する間もなくその場に膝をつく少年。痛みと苦しみとで、朦朧する意識。
それを見て男は少年へと手を伸ばし、そしてーーー
「ワンワン!!」
ーーー小犬が男の顔に飛び付きました。
ジューという音と肉の焼ける臭い。ですが、小犬は怯むことなく食らいつき爪を突き立てます。
「アアアアアアアア!!」
男は、小犬を強引に引き剥がします。ブチブチと嫌な音が聞こえてきますが、構わず引き離すと地面に叩き付けました。
「……ぁ」
「この畜生が!!」
小犬のお陰で生まれた隙に先輩は男の手から逃れると懐に潜り込み体にしゃれこうべを触れさせます。
いつの間にか赤く変色していたしゃれこうべが、すっと男の体に吸い込まれていったかと思うと、
「焼き付くせ!!」
叫ぶのと同時に男の穴という穴から炎が噴出します。
「ーーーーーー!!!!」
まるで声さえも炎に焼き付くされているかのように声にならない悲鳴を上げ、収まる頃には黒煙が男の体から立ち上っていました。
「こうっ………はい!!」
「ウェルダンなら刃が通る!!」
いつの間にか男の傍まで駆け寄っていた後輩。斜め下から切り上げるように大鎌を振ります。
体が二つに分かれた男。声もなく散り散りに消えていくのでした。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「目、覚めた?」
少年は木陰のベンチに横になっていました。目を覚ますと先輩が覗き込むようにして見下ろしています。
「あれ?僕は」
「大丈夫?あいつに蹴られて気絶しちゃったのよ」
「そうなんだ……あ、タロウは!?」
少年は、がばっと起き上がると辺りを見渡します。
少し離れた場所で、後輩とタロウがまた追いかけっこをしています。
「なっ……残像だとっーーーごはっ!?」
あ、丁度タロウが背後に回り込み頭突きを喰らわしたところです。
「生きてたんだ」
ほっとする少年に、先輩は罰の悪そうな表情を浮かべます。
「言ったわよね、私達は死ぬタイミングが分かるって。そしてーーーそれが外れる事はないの」
「え、どういう」
少年に気付いたのかタロウが、鳴き声をあげて駆け寄って行きます。先輩が自分の胸を抑えて嫌な顔を浮かべているのは、タロウの視線が少年と先輩との間でぶれているからでしょうね。
それでも、最終的には少年を選んだようです。
少年もまたそれを見て片膝をつくと両手を広げタロウを迎え入れようとします。
そしてーーータロウは少年の体をすり抜けてしまいました。
振り返る少年。タロウは不思議そうに小首を傾げています。
「なん……で」
「後輩」
先輩の呼び掛けに、後輩が静かに少年の傍に移動します。手にはタロウが抱かれています。
「た、タロウ……?」
「正確には、肉体だけで魂はそっちのタロウです。さっき悪霊に叩き付けられた時のが致命的になったようで」
呆然とする少年に魂の方のタロウが寄り添い、クゥンと小さく鳴きます。
少年は、もう一度抱き上げようと試みますがやっぱりすり抜けるだけでした。
「なんで……さっきの人も霊なんだよねーーーだったらなんで触れないの」
「死を受け入れず現世に未練や怨念を残した者の中には、現世とあの世の狭間に囚われる者がいる
そして、今回はあなたが私達と関わった事から干渉しやすくなったみたいですね」
少年の問いに、後輩はタロウの肉体をそっと少年の前に置き答えます。
タロウは、目の前の自分の体を不思議そうに鼻を近づけて臭いを嗅ぐ仕草を見せています。
「じゃあ、尚更なんでタロウは」
「受け入れているのよ。自分の死をーーーこの子はちゃんと受け入れているの」
先輩の言葉に少年は、泣きそうな顔を浮かべます
「受け入れてるって……そうだよね、やっぱり僕を嫌ってるって事だよね」
「嫌ってるってーーー何を言ってるんですか」
「だって、死を受け入れてるって未練がないって事でしょ!!僕の事なんて嫌いだから……だから」
不意に先輩が、少年の言葉を遮るように両手で彼の頬を挟むと顔を上げさせました。
「えっ……えっ…」
「うぇっ!?」
急に顔をホールドされ互いの吐息がかかる程の距離で顔が近いせいか、顔を赤らめながら困惑する少年と、咄嗟に自分の手で両目を塞ぐも指の隙間から覗き込む後輩の二人をそっちのけで、先輩は優しく微笑むと、少し頭を後ろに倒しました。そしてーーー
ーーーゴチィィンと鈍い音を響かせたのでした。
後ろに仰け反る少年。目を丸くし固まる後輩。綺麗な頭突きをかました先輩。そして、わぅ?と首を傾げるタロウ。
よく分からない情景がこの場に広がっています。
「な、何っ…」
額を押さえる少年に構わず先輩は胸ぐらを掴みます。
「よく聞きなさい!!あなたがそんな調子ではこの子はちゃんと成仏出来ないわ。
もし、さっきの悪霊みたいに狭間に囚われてしまえばこの子は苦しむの。二つの世界から体を引っ張られるようなものだから。
その苦しみは想像を絶するわ。あなたはそんな苦しみをこの子に与えたいの?」
少年は、何も言わずただ、ブンブンと顔を横に振ります。
「動物ってのは人間みたいに複雑な感情表現は出来ないわ。だからこそ、その人に対して素直で、そして今の自分の心をストレートにぶつけてくる。
この子は、あなたに捨てられたかもしれない。でもあなたを見つけて走り寄って来たって事は嬉しいって気持ちがこの子の心を占めていたんじゃないの。
……あなたが傷ついた時に守ろうとしたこの子の思いは、本物だったって分かるでしょ。
だからこそ、最後にそんな顔で別れていいの?後悔やいじけた言葉が別れの言葉でいいの?
ちゃんと謝って笑顔で送りなさい」
先輩の言葉に、少年は目をゴシゴシと擦り小さく頷くと、タロウの前に座り直し顔にそっと手を置きました。
勿論、触れる感触はありませんが、それでもタロウは気持ちよさそうに目を細めています。
「……二人きりにしてあげましょ」
先輩は、そっと立ち上がると後輩にそう耳打ちします。
後輩は、何か言いたげではありましたが、涙を流しながらも笑う一人の少年と尻尾を振り元気に鳴く一匹の小犬の姿を見てふんと鼻を鳴らすのでした。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
一瞬火柱が立ったかと思うとその紅炎に飲み込まれた肉体は一瞬にして焼き消えました。あとには何も残らず少年は、ただじっとそこに向かって手を合わせます。
手には赤い首輪が握られています。
「…ありがとう」
そう言って立ち上がる少年。振り返れば誰もいませんでした。閑散とした公園内には先程の二人の少女の姿はなく、勿論タロウの姿もありません。
まるで夢だったのかと思う程誰もいない光景でしたが少年の握る首輪が現実だったのだと証明しています。
少年は、空を見上げまた小さくありがとうと呟くのでした。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「いや、まあ、目の前にはまだいるんですけどね」
後輩は、少年の顔の前で手を振る仕草を見せますが少年はリアクションを取る事なく歩きだします。
勿論、ちょっと感傷に浸った行動を見られたから恥ずかしくてわざと無視をしている訳ではありませんよ。
「亡骸を火葬して肉体がなくなった事で、私達との干渉する接点はなくなり見えなくなった。いつもの事とはいえ、こういった時の別れ際って淡白よね」
先輩の腕に抱かれたタロウが一鳴きしますが、少年は気付かず公園から出ていったのでした。
「でも、先輩良かったんですか?亡骸とはいえ、現世側の肉体を焼き尽くすなんて」
「仕方ないでしょ。あの子の家アパートなんだから亡骸なんて埋葬出来ないし、死体を持って家に帰らせる訳にもいかないしーーー今回だけよ」
そう言って嘆息する先輩に後輩は、ニヤニヤと笑みを浮かべながらすり寄ります。
「……何よ」
「先輩のそういう所、私は好きですよ」
後輩は、先輩の腕からタロウを取るとくるくる回りながら歩き出します。
案の定、タロウは体を捩ると後輩の顔を足蹴にして逃げ出しました。
逃げるタロウと追いかける後輩。
それを見てバカね、と呟きながら先輩は振り返ります。勿論、公園内に少年の姿はありません。
ただ、何かに満足したようにフフッと笑うと一人と一匹を追うように歩き出したのでした。
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