『眠れない夜』もありますわ。

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『眠れない夜』もありますわ。

聖女なんかじゃない! 第1章:ある日、聖女にされました。 第12項:『眠れない夜』もありますわ。 あらすじ:酷すぎない? ------------------------------ 私から解放されたコーラルは意気揚々と部屋を出てき、他の聖女達も自由時間を有意義に過ごしているのか、誰一人として戻って来ない。 広い部屋に私は独り。 いや、その方が都合が良いんだけどね。 両壁に並んだ12台のベッドのうち、マットレスの敷かれたベッドが10台。枕元に小さな人形や読みかけの本が置いてあって、それぞれ使用者の好みがうかがい知れる。ほとんどの聖女は名前も知らないけれど。 私に割り当てられたベッドは部屋の真ん中よりもやや手前にあって、他のベッドよりも少しだけマットレスが厚い。白くふっくらとしていて使用された形跡は無いから、新しいものが用意されたみたいだ。 ざらざらしたシーツに浄化の魔法をかけて腰を下ろすと、ラビットダンス侯爵家の私室のベッドとは比べ物にならないごわごわとした感触。白いシーツをめくってみると、ワラの束が積まれていた。 私室では綿の詰まった柔らかいマットレスを使っていたけれど、聖道院で同じマットレスが使われていると思うことが間違いだったらしい。 タメ息を吐いて横たわると、窓から差し込む光が黄金色から深い紺へと変わっていた。もうすぐ日が落ちる。体は鉛のように重くベッドに沈んで、ぼんやりと今日あったことを思い出していた。 たった1日なのに初めての経験ばかりだった。 立場を失うことも、聖女になることも。 始まりは不躾な使者。そして、気分が悪くなる院長。それから『聖剣の儀』で怖い思いをしたわ。怖がる顔を見せたくなくて我慢していたけれど、剣を向けられて平静でいられる訳が無いじゃない。 あの剣は『選び断つ剣』、聖剣フロントフッド。 悪しき存在を選んで切る聖剣と言われている。 オイラー様に近付く令嬢たちを端から罠に嵌めたのは悪い事に入らないと思うけど、私がした悪い事なんていくらでも思いつく。乳母の目を盗んで大人な本を読んだり、ナニミールの隠していたオヤツをつまみ食いしたり。 どこにでも居そうな鳥でさえ2つに切れてしまった。 だから私も切られると覚悟をしていたけれど、結果は見ての通り腕は残ってちゃんと動く。そうして、聖女だと納得させられた。 あの時、偽物の聖剣にすり替えられていたのかしら? いえ、鳥は背骨まで両断されて夕食の材料になっていたのに、私の腕は鈍痛が走っただけで傷はついていない。あの鳥にどんな罪があるのか知らないけれど。剣をすり替える暇も隠す場所も無かったはずだから、やっぱり、あの剣は相手を選んでいるのよね。 でも、私を聖女にしてどうするの? 私を聖女に仕立て上げた令嬢たちは、本当に私の腕を切るつもりだったのかしら?何となくだけど、それも違うと思う。腕は治癒の魔法で繋ぐことができるし、腕の動きが悪くなったくらいでは、婚約者の地位ははく奪されない。と、思う。 では、令嬢たちは何をしたかったのかしら? 私が聖女になったら婚約者の席が空くかもしれないけれど、でも、きっとオイラー様が知ったら、私を助け出してくれるわよね。そうよ。オイラー様はすぐに私を迎えに来てくれる。 ふふっ。 オイラー様が迎えに来るまで、私は悲劇のヒロインをしていればいいのよ。 そう思うと少し気が楽になった。 ------------------------------ 安心した私は眠ってしまったらしい。 夢の中で母の嗤い声を聞いた気がして跳び起きた。 いつの間にか辺りは真っ暗になっていて、体が寝汗でぐっしょりと濡れていた。聖女たちもそれぞれのベッドで寝ているようで、あちこちから大きなイビキが聞こえてくる。お父様のを聞いたことがあるけれど、やっぱり気持ちのいいものじゃ無いわよね。 それに、イビキは判るけどギリギリと硬いものが擦れるような音は何かしら? 浄化の魔法をかけて髪を整えていながらうるさい音に悩まされていると、突然、隣のベッドから大きな笑い声が聞こえた。 「うふふっ、私の勝ちよ!うふふふふ。」 目を凝らして見ると聖女が大の字になって寝ていた。眠ったままクスクスと笑ったりして気持ち悪い。これが寝言なのかしら?お母様意外といっしょに寝た覚えなんてないんだから。もしかすると、私が夢の中で見た継母の嗤い声は彼女の寝言だったのかもしれないわね。 カラカラに乾く喉を魔法の水で潤してから、私はそっとベッドを降りた。中途半端に起きて眼が冴えてしまったのもあるけれど、周りがうるさくて眠れそうになかったのよ。 10人も詰め込まれた部屋は人の吐く息で暑くなっていたみたいで、星明りの射す廊下に出て窓を開けると夜風が冷たくて気持ちよかった。 ぼんやりと景色を見ていると、向かいにある東棟のドアからかすかに灯りが漏れていることに気付く。貴族のための客室がある場所。あそこに泊まるような貴族なんているとは思えないのだけど。 疑問に思った私は灯りに誘われる虫のようにふらふらとエントランスホールに繋がる階段を降りた。吹き抜けの壁一面に取り付けられた大きな窓のおかげで明るいけれど、ガランとした空間は寂しい。 「新入りじゃないか。眠れないのか?」 誰も居ないと油断していたら、エントランスホールの隣にある守衛室から声をかけられた。守衛は2人いて、片方は私が聖道院を訪れた時も出迎えてくれた人だ。この人に会った時にはまだ、私がラビットダンス侯爵家から追い出される事になるなんて思っていなかったのよね。 「ええ、目が覚めてしまいまして。貴方は今朝もいたわよね?」 「交代のヤツが急用で休んだから、帰るに帰れなくなったのさ。」 朝には丁寧に頭を下げて私を招き入れてくれたのに、今の彼は遠慮なく答える。すでに私を貴族として認めていないのかもしれない。まぁ、今は気晴らしに話をしたくて、畏まってもらっても疲れるだけなので良いけれど。 「お気の毒様ですわ。ところで、貴族向けの客室から灯りが漏れているようでしたけど、どなたかいらっしゃるの?」 「ハクビ子爵が泊まっている。まだ起きているみたいだから、オレ達も仮眠が取れねえんだ。」 本当に聖道院に泊まる貴族がいるらしい。でも、ハクビ子爵と言えば確か王都に住んでいる貴族だったはず。聖道院なんかに泊まらなくても馬車に乗れば家まですぐに帰れるはずよ。だから、続けて彼が泊っている理由を尋ねようとしたのだけど、それは奇妙な声に遮られた。 「あん。や~だ~。」 階段の上のドアの開く音に続いて下品にさえ感じる媚びた女の声。姿は見えないけど、たぶん聖女の声だと思う。コーラルじゃ無い事だけは判るけど、来たばかりの私にはどの聖女か判別がつかない。 「ホントだよ。部屋に戻ったら、もっといっぱいしてあげる。」 続けて聞こえてきた声は男の人で、鼻にかかったような声に変わっているけど聞き覚えがあった。たぶん今しがた話に出てきたハクビ子爵。何度か挨拶されたことがあって、まだ若いけど優秀な人だと紹介されたと記憶があるわ。 「ほんと?」 「今試そうか?」 だけど、こんな猫なで声を出すような人には見えなかった。今のハクビ子爵の声を聞いているとなんだか、胸の辺りがざわついて、首筋に鳥肌が立つのよ。 「やんっ。ちゅ。ちゅ。あん、れろれろれ。」 嫌がりながらも拒否していない、妙に心を掻き乱す女の声。それから衣擦れと何かに吸い付いて舐めるぴちゃぴちゃとした音。しばらく同じような音が続いていた気がする…。扉が荒々しくバタンと閉められてやっと私は自分を取り戻した…。 「チッ。お楽しみは良いけど、聞こえる場所でやるんじゃねぇよ。」 「さっきからラウンジにいたからな。酒が入って気が昂ってんだろ。」 再びエントランスホールが静かになると、守衛の2人は都合の悪い物でも聞かせてしまったかのように、私の顔を見て頭を掻いた。だけど、守衛の人たちの悪態は私の耳を素通りしていた。…自分を取り戻したと思ったのに…。 男の人の囁く、痺れるような甘い声。 あんな声は聞いた事もない。そして、水のようなぴちゃぴ茶と言う音は何かしら?なぜか、お腹が疼いて頭がしびれる。 ぼーっとした頭のまま守衛の2人に、しどろもどろに挨拶をして部屋に戻った気がする。 硬いベッドにもぐりこんで、私は目を瞑ったけれど、脳裏にはずっと声が聞こえてきていて、悶々としたまま私は眠ることができなかった。 ------------------------------ 次回:新章/聖剣の相手をしろと言われましても。~『聖女の朝』は早すぎですわ。
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