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蠱惑Ⅱ『道順』
横浜の石川町から蒲郡までの道順を尋ねられたのはGW中の平日5月の1日でメーデーの日でした。私は営業職で客と待ち合わせのために石川町駅前の喫茶店に午後1時に待っていました。
「悪いが、今日は行けない」
「えっ、そうですか、次はいつなら宜しいでしょうか?」
「それはこっちから電話する。あんたからは電話しないで」
「もしもし」
この客にはこれで三回ドタキャンを喰らいました。まあ建築資材の営業なんて百にひとつ引っ掛かれば上出来で、それくらい効率のいい商売です。だからキャンセルは驚きませんが、この客は一週間に三回もキャンセルをしたのです。それも自分で決めた日時と場所です。さすがに腹が立ちました。コーヒーを飲み切り外に出ると寿町の労務者達がプラカードを持ってこれからデモに参加する準備をしていました。労務者達を先導指揮するのは色白で細面の青年でした。この青年に労務者を先導する資格は持ち合わせていないだろう。労務者との繋がりがあるとすればずっと上の方で算段している背広にネクタイを締めた恰幅のいい雄弁者でしょう。そいつに言い付けられて来たに違いない。労務者達はどうみても率先して参加しているようには見えません。恰幅のいい雄弁者達に利用されているのでしょうか、仕方なくやっているのが照れ笑いで分かります。
「蒲郡までどうやって行ったらいい?」
丸渕の眼鏡を掛けた初老の男がこっちを見ています。私は周囲を見渡しました。
「あんただよ、あんた」
私は親指で自分を差しました。
「そうあんた。ははあ、蒲郡を知らねえのか。それじゃ仕方ねえな」
男の背には普通サイズの青いリュックがあります。荷が重いのか背中を屈めて歩いています。親指をリュックのヒモに差し込んでいます。重さを親指に感じているようです。
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