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第四章 Ⅰ.
部屋に満ちるのは、機械の音だけだ。
唇を濡らした珈琲は、未だ少しの温もりを持っていた。程よい苦味が鼻腔を抜ける。この熱はきっと、すぐに冬が攫ってしまうのだろうけれど。
抗えない重みに従いカップを卓上へ戻す。把手から身を引く手の甲に、機械から排出される紙が微かに触れた。
文字の振動。打ち付けられる記憶の震えを聞く。タイプライターに酷似した機械は、ざらついた唸り声とともに徐々に紙を吐き出していた。半ばあたりに差し掛かったそれを一瞥し、再び視線を落とす。
引き寄せた指でなぞる文章は、ここ数ヶ月のアレクシスの記憶を示していた。最初は、前回の分と繋がるリリディ街。三ヶ月の滞在を終えて、祖国への帰路を踏み出したところだ。既読の場面を軽く捲り、それから改めて、過去を辿った。
今回も、アレクシスの目に映る僕は、何を考えているのか分からない人間だった。悠然としていて我儘で、どこか余裕を持っている。決して短くはない年月を彼とともに過ごしてきて、その記憶を何度も見てきたけれど、この認識だけは毎回変わらなかった。当然ながら僕にそんな意図はなくて、文字を撫でながら苦笑する。
余裕なんてない、在るのは恐怖だけなのに。
捲る。
機械人形だから当然だけれど、この数ヶ月もの間、彼は全ての記憶を記録していた。
クリスティとの再会、真偽の調査。エルメのお嬢さんやマックスと話してフール・マリッジへ。そして、あの日の舞踏会。
アレクシスの隠し事は、その記録から知ることが多い。彼は口が堅いから、何かを隠している事に気付いてもある程度は放っておいたのだけれど――今更ながら、色んなものを見てしまったのだなと思う。そしてそれをこうして知るのは、やっぱり少し決まりが悪い。
居心地の悪さを感じながら、それでも黙って手を動かした。そうして読み進めていくうちに、やがていくつかの文章が目に留まるようになる。新たに受け取った紙もまた目を引く箇所があり、ぼんやり眺めつつ指を唇に掛けた。
なんというか、今回の記録は随分と曖昧な描写が──いや、空白部分が多い。
偽物のエルメ嬢との茶会や、廃棄寸前のフィリップを見つめる箇所。あの舞踏会の片隅で彼女と話した内容だってそうだ。
エルメ嬢の指の動きに何を感じたのか、フィリップの目に映る光に何を見たのか、彼女と交わした最後の会話にどんな意味があるのか。それら多くのことが、彼の記憶では随分と曖昧な表現に留まっていた。
大方、いずれ僕に読まれることを考慮して、こうした文章に至ったのだろう。もしかしたら僕が記憶を読んだあとも、彼はずっと口を閉ざし続けるつもりだったのかもしれない。彼なら、アレクシスなら、きっとそうする。
ともあれ、と息をつく。
恐らく彼らは、ここで企てた。機械人形による、機械人形のための計画を。
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