ブランコは揺れる、シードケーキはおいしい

1/6
7人が本棚に入れています
本棚に追加
/6ページ
 あのブランコは、いつも耳障りな音をたてた。  きい。きい。    漕ぐたびに、小さな悲鳴のような音が降ってくる。公園の管理が良くなかったのだろう。そういえば、他の遊具も塗装が剥がれていたり、ベンチがぐらぐらしたりしていたけれど、一度も直されたことはなかった。  私が彼女と出会ったのも、その公園だった。  ブランコは私の特等席だった。ほかの子は親とボールを蹴りあったり、友達とほかの遊具で遊んだりしていて、ブランコには近づこうとはしなかった。  ――あのブランコはだめ。古くて危ないから。  小さい子がブランコで遊ぼうとしたとき、そう言って母親らしい女の人が止めていたのを見たことがある。私は鉄くさいブランコのチェーンにつかまって、軽く揺れながら、その言葉を聞いていた。  私を止めるひとなんて誰もいなかった。  小学校一年生のころだっただろうか。いつものように「特等席」に座っていると、ふいに隣から声が聞こえてきた。  きい、という音とともに。 「ひとり?」  いつの間にか年上の女の子が隣のブランコに座っていて、こちらをのぞきこんでいた。長い髪とはっきりとした目鼻立ち。五年生か六年生か、そのくらいに見えるけど、声と口調が妙におとなびていて、緊張したのを思い出す。  私がうなずいたのを見て、彼女はブランコを揺らしはじめた。 「危ないんだってね、このブランコ」 「……そうみたい」 「親御さんは止めないの?」  オヤゴサン、という言葉は知らなかったが、親のことを指しているのだなとなんとなく分かった。思わず目が泳ぐ。 「あの。なんか、そういうの気にしないみたいなんで」  早口で言って、それきり黙りこむ。親と公園でいっしょに遊んだことなんて一度もない。家でだってない。  この話題には触れてほしくなかった。  そう思っているのが顔に出ていたのか、彼女はふうん、と軽く返事をし、 「私はシオリ。あなたは?」  そう言って、にこりと笑った。 「……優羽(ゆう)」 「ユウ。ユウちゃん。いい名前だね。少し可愛すぎるかも、だけど」  妙なことを言うな、と思うと同時に、シオリさんが立ち上がった。 「ユウちゃん。バドミントンはできる?」 「う、ううん。道具持ってないから」 「貸してあげる。待ってて、うち近くだからすぐ持ってこれるよ」  返事も聞かずに走り出していってしまった。公園から出て行くシオリさんを目で追うと、確かに公園のすぐ向かい、しかもここいらの家二、三軒分はあるだろうという大きな屋敷に入っていった。高い塀に覆われて家は二階部分しか見えないが、古びていてもきちんと手入れされていることだけは分かる。  シオリさんは言った通り、三分もしないうちにバドミントンの道具を持って走ってきた。  バドミントンはできない、と繰り返す前に、シオリさんはラケットを一本渡してきた。 「すぐにできるようになるよ」  それから私とシオリさんは、公園でたびたび遊ぶようになった。シオリさんはいろんな遊び道具を持っていた。バトミントンはもちろん、サッカーボール、柔らかいフリスビー、三輪スケートボード。どれも私の持っていないものだった。  私の欲しかったものだった。 「ユウちゃん、学校は楽しい?」  一度だけ、そうきかれたことがある。私はどうしようかと迷った。正直に言うべきだろうか。けれども、シオリさんの大きな目に見つめられると、嘘をつくことはできなかった。 「……行ってない」  それだけ返した。反応が怖かった。不登校なんだ、かわいそう、という言葉を予想して、逃げたくなった。  でもシオリさんはそうなの、とだけ言って、フリスビーを渡してきた。 「投げてみて。ユウちゃん、最近どんどんうまくなってるよ」  ふと、胸の中にある重いものがなくなった気がした。  暗くなりかけると、シオリさんは「またね」と言って遊び道具を抱え、向かいの家に駆けていく。その後ろ姿を見送っていると、私はいつもさびしくなった。早く明日になればいいのに、と、走るシオリさんの背中を見るたび思った。  公園を出、少し歩いて裏道に入る。ビルとビルの隙間にはさまるように建っている、幅の狭いアパートが私の家だった。一階の階段脇にはゴタゴタと自転車が置かれ、並んだ郵便ポストのいくつかからはチラシがあふれている。  三階まで階段を登り、鍵を開ける。狭いダイニングキッチンの奥、六畳間から物音がした。今起きたところかもしれない。 「何時?」  お母さんの寝ぼけた声が聞こえてくる。六時前、と答えると、がばりと布団がめくられる音がした。 「やだ、寝坊した! 今日タッチャンと同伴なのに」  タッチャンという男の人は知らないが、新しいお客がついたということだけは分かった。今晩は帰ってこないということかもしれない。どちらでもいい。お母さんだって、いつ帰るか連絡なんてしてこないだろう。  お母さんの化粧は二時間はかかる。ごたごたと化粧道具やヘアセットの用意がテーブルに広げられるのを背に、私はインスタントラーメンの用意をしはじめた。 「あ、私の分はいらないから」母さんの声が飛んできた。「タッチャンがおごってくれるんだ。創作日本料理。ねぇ、創作日本料理って結局なんなのかよく分かんないよね」  私は返事もせず、薄汚れたポットの中でお湯が沸く音を聞いていた。  つまんない子、というひとり言が、背中にぽとん、と当たった。
/6ページ

最初のコメントを投稿しよう!