02「運命のその出会いは」-1-

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02「運命のその出会いは」-1-

「白衣は準備したし、ナースシューズもちゃんと準備したでしょ。あと……メモ帳とボールペン。あ、ハンカチとティッシュ!」  佐倉沙菜はベッドの上にそれらを置き、次に化粧ポーチを取り出す。ポーチの中には濃すぎず白すぎないナチュラルベースのファンデーションとお気に入りのモカベージュの口紅。 (私もいよいよ明日から社会人の仲間入り。明日になれば新しい世界が広がる。立派なナースになるぞ!)  もともと楽観的な性格の彼女。不安よりも期待に胸を弾ませている。 「佐倉沙菜です。本日よりこの桧羽総合病院に勤務することになりました。小学生の頃から高校生まで合気道を習っていました。ですので、体力と集中力には自信があります」  明日に備え、挨拶の練習なんかもしてみる。 「イタッ」  突然、お腹に激痛を感じ、思わずわき腹を抑えた。 (なんか昨日からお腹が痛いんだよなぁ。緊張のせいかな? ま、寝ちゃえば痛みだって治まるよね)  沙菜はさっさとベッドの上に置かれた明日の準備物品を片付け、布団に入る。右下腹部がズキズキと痛むが明日は大切な社会人生活の記念すべき第一日目。痛い辛いなど言っている暇などないはず。  しかしその日、彼女は痛みのせいでなかなか寝付けなかった……。 +++++  入職式は桧羽総合病院の多目的ホールで行われた。  院長から入職者に対する歓迎の言葉、そしてこれからの活躍を期待する激励の言葉を受けた後、オリエンテーションが始まった。  新たに入職したのは看護師だけではない。医師や療法士、薬剤師、事務員たちなど実に様々な職種の医療従事者たちが一堂に会していた。  あらかじめ席は決められており、そのテーブルの上にはオリエンテーション用紙と名札が置かれている。 (え! 私、小児科に配属って書いてある。夢がかなっちゃった)  沙菜の名札には『小児科病棟』と記載されている。就職試験での面接の際、希望する部署を尋ねられた際に小児科の名を挙げていたのだ。  大学3年生の時に行われた4週間の小児科実習。そこでは膨大な量の予習・復習レポート作成で続く睡眠不足。学んだ知識を活かしきれない実践の厳しさ、指導の厳しさ、と辛い実習が続いていた。だが、辛いと感じる中で、幼いながらに病と闘う健気なこどもたちの姿を見ると、自分も頑張らねばと奮い立つことができた。看護師になったら、病と闘うこどもたちの支えになれたらいいと沙菜は考えていた。 (希望した部署で働けるなんて幸先いい。頑張ろう!)  沙菜は心の中で拳を握り締めガッツポーズをするが、実際は無意識に右下腹部に両手を当てている。  新人たちは緊張した面持ちで簡単に自己紹介をしていく。  3人までの自己紹介がすみ、いよいよ沙菜が挨拶をする番となった。  椅子から立ち上がる。一同の視線が沙菜に集まる。 「え、えっと、佐倉沙菜と申します」  カチコチに固まったまま沙菜は挨拶を始めることとなったのだが……。  青ざめた表情に上擦った声。ベテラン看護師たちの眉がピクっと釣りあがる。 「佐倉さん、あなたずいぶん顔色が悪いけどどうかした?」 「い、いえ、なんでも! あ、あのー、小学校から高校まで合気道を習っていました。ですので、体力と集中力には自信……が」 「なんでもない表情じゃないでしょう。あ、冷や汗が」  一同の視線は沙菜へと注がれた。  沙菜はついに耐え切れず、右下腹部を押さえて二度、大きく頷く。 「すみません。なんだかお腹が痛くて。けど、大丈夫ですから」  言葉とは裏腹に、彼女の額からは汗が滲み出てくる。  ベテラン看護師の一人が、沙菜の押さえている部位に目を光らせた。 「ねえ、そこが痛むってことは、もしかして」  先輩看護師たちは沙菜の周りを取り囲む。 (な、何事!?)  沙菜は先輩たちの反応に怯え、一歩身を引こうとした。しかし、あまりに強烈な激痛が沙菜を襲う。ついに彼女は血の気が引く感覚に抗えず、よろめいてしまう。  意識が……遠のいていく。  沙菜が倒れそうになる寸前、彼女の背後からすっと手が伸びて、素早くわき腹をすくいあげてくれた人物がいた。 「体力と集中力がありすぎるのも、困ったもんだね」  耳元で呟かれる男性の声。その声色は優しく落ち着いているが、どこかしらこの状況を楽しんでいるような含みがある。  沙菜は首だけを横に向け、倒れそうになった自分を支えてくれている人物を見上げた。  そこには白衣姿の青年が笑顔で立っていた。 (え! 何、このかっこいい人は? っていうか、近い近いー!) 「さっきからしきりに右のお腹をさすってるよね。熱は?」 「あ、あの、その、私」  沙菜はまるで警察の尋問を受けているような気分になり、すぐに答えられない。 「三野先生!」  近くにいた看護師が名を呼ぶ。 「体温測って、それから至急で採血と検尿。血算とCRP。結果が出たらまた報せて」  三野は沙菜の返答を待つつもりはないらしく、近くにいた看護師たちにそう言い、次に沙菜を席に座らせてからニコと微笑んでみせる。 「ネーム、逆さだよ。佐倉沙菜君」 「え」  沙菜は慌てて自分の胸ポケットにつけてあるネームに目をやった。  なんと、ネームホルダーに入っている用紙が逆さになっている。  先程ネームを受け取った時、嬉しくてネームホルダーから中身を取り出し、小児科病棟の文字をまじまじと眺めていたのだ。自己紹介が始まり、慌ててしまう際、逆さに入れてしまったようだ。 「じゃあね」  三野は陽気に笑いながらホールから出て行ってしまう。 (な、なんで逆さに!!!)  恥ずかしさと痛みのあまり、頭がクラクラしてくる。  しかし、そんなヒマを与えず、先輩たちは沙菜の体温チェックをしたり採血をしたりとテキパキ動き出した。  そして採血のすんだ沙菜に、検尿のコップを渡す。 「さ、次は尿を採ってきましょう。痛みが強いようだから車椅子を準備するからね」 「で、でも私、その……朝してきちゃって」  痛みと緊張のあまり、尿意などまったく感じない。  もじもじしながら言うと、先輩はキっと沙菜を睨み付けた。 「ダメ! 一刻を争うんだから!」  言葉で背中を押され、沙菜は痛みを感じながら泣く泣くトイレへと向かう。 (先生や先輩たちのあの表情と慌てぶり! きっと私はなにか重い病気なんだ。いったいなんの病気なんだろう! 22年間、 風邪すらひいたことが無いのが私の自慢だったのに!) +++++  絞り出すように採尿を終え、そのまま式典が行われているホールから追い出された沙菜は、外科外来のベッドに病人らしく横たわっていた。  それから約20分後、ベッドの上でカチコチに固まっている沙菜のもとへ、先ほど看護師たちに指示を出した三野がやってくる。 「予感的中だね。明日の午前、運よくオペ室があいてるから緊急ということで予定に組んでおくよ。はい、これは承諾書。家族の承諾も必要なんだけど、ご家族と連絡とれる?」  三野は笑顔のまま言い放ち、手術の承諾書を机の上に置いた。  当然、沙菜の顔色がサーっと青ざめた。 「い、いや! 私まだ22なのに! 先生、私どうなっちゃうんですか! 隠さずに病名を教えてください!」  沙菜は瞳を潤ませながら三野に詰め寄った。  三野はオッといった表情で首を傾げる。 「病名って、あれ……? このデーターを見てごらんよ。白血球1万3千。CRPもあがっている。熱も37度代の微熱。そして右下腹部痛。アッペだよアッペ」  アッペとは虫垂炎のこと。広く「盲腸」と呼ばれている疾患だ。 「きみも看護師としての勉強を積んできたんでしょ? 右下腹部痛を感じたとき、どうしてアッペを疑わなかったの? ともかく、これからすぐに入院手続きとオペにあたっての検査を受けてもらうよ」 「い、嫌です!」 「なんだって?」 「だってこれから自分が勤めようとしている病院に入院だなんて! それにお腹を切られちゃうなんて!」 「きみ、あんなに痛がっておいてよくもまあそんな悠長なことが言えるもんだ。のほほんとしてたら腹膜炎を起こすんだぞ。下手すりゃ命を落とす危険性もある」 「え!」  沙菜は思わずお腹を押さえる。 「でもきみは運がいいね。まったく心配ないよ。執刀医はこの僕だし」 「せ、先生ですか?」 「そう。不安も消え去っただろ? 安心して僕に任せてくれればいいからさ。おーい管野君、 佐倉君に検査の説明と入院手続きをしてあげてくれ。僕の患者さんだから丁重に頼むよ」 「はーい。三野先生の患者様だからVIP待遇にします」  菅野と呼ばれた看護師は元気に返答する。
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