02「運命のその出会いは」-2-

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02「運命のその出会いは」-2-

 翌日の午前9時、手術開始。約1時間半で無事終了。  沙菜は病人よろしく点滴につながれ、病室のベッドに横たわっていた。 (私、どうしてこんなところにいるんだろう。私は看護師。そう、看護する側の人間なのに!)  それが今は看護される側――患者である。  安静のため、おおよそ5日間の入院が見込まれる。沙菜にとってはとてつもなく長い日数である。 (私がこうやって横になっている間にも、同期の子達はいろんなことを吸収してるんだよね。出だしで躓くなんてついてない)  沙菜は点滴のボトルを恨めしく眺めた。  手術から2日後、沙菜は点滴の管が抜け、昼から5分粥食を食べられるようになった。 「先生、リハビリを兼ねて散歩がしたいです」  配膳された5分粥を感謝の気持ちを込めてペロリと平らげた後、回診にやってきた三野に安静度の制限軽減の希望を伝える。 「程度によるけど、どこまで行きたいんだ?」 「小児科病棟です」 「別館じゃないか。硬膜外麻酔が抜けたばかりだし、何かあると困るな」 「まだ、病棟の皆さんにご挨拶ができていないんです。本来ならもう一スタッフとして働かせてもらっているはずなのに、自分が不甲斐ないばっかりにこんなことになってしまって」 「わざわざ小児科に挨拶に行くの?」 「はい。私、小児科病棟所属ですから。小児科病棟で働きたいって希望していたんです。その希望をかなえてもらえたんだから、頑張らなきゃ」  沙菜はベッド脇の床頭台に手を伸ばし、茶封筒を取り出す。それから中にしまっておいたネームホルダーを取り出し、それを三野に見せた。 「あれ、でも」 「何ですか?」  不思議そうに沙菜が首を傾げたのを見た三野は、一瞬笑顔を固まらせて小さく首を振る。 「いや。なんでもない」  その時、タイミングよくPHSが鳴る。三野が呼び出されたようだ。 「はい。ああ。わかった。今行く」  三野はPHSの通話を切る。 「外来に呼ばれたから行ってくる。散歩はそうだなあ……今日は病棟内だけにしておこうか」 「えー」  沙菜はあからさまに不満そうな表情になる。 「心配なんだよ。僕の大切な患者さんだから」  そう言って三野は病室から出ていった。  沙菜はうまくはぐらかされたことを感じ、軽く頬を膨らませてベッドに横たわった。  たしかに、腹痛を虫垂炎だと疑わずに気合で乗り切ろうとした結果、腹膜炎一歩手前まで重症化させてしまった自分に非がある。沙菜の体の異常にいち早く気づき、そしてあれよあれよという間に治療を施してくれた三野には感謝している。主治医というより友達のような軽いノリでやけに馴れ馴れしい態度なのは気になるが。  でも、やはり気持ちは焦ってしまう。せっかく看護師になれたのに。初めが肝心だというのに。  せめて、自分の所属する病棟で挨拶を済ませてから入院でもよかったのではないだろうか。  寝てばかりいると、いろいろと考えてしまい気持ちが高ぶってきてしまう。       やはり気分転換もかねて散歩へ行こう。そう思い上半身を起こし、カーディガンを羽織る。その時だった。  コンコン!  病室のドアがノックされ、ドアが開かれる。  やってきたのは、眉がハの字に下がった穏やかフェイスの中年看護師。 (看護部長さんだ!)  部長とは面接とオリエンテーションの際に顔を合わせたことがある。 「ええとぉ! あ、佐倉さーん! 具合はどうなのぉ?」  部長はのんびりとした口調で沙菜のベッドまで歩み寄ってきた。 「はい。もうすっかりよくなりました」 「そう。よかったわぁ。入ったばかりなのに、こんなことになってしまって、本当にお気の毒だわぁ」 「ご迷惑をおかけしました」 「迷惑だなんて! あなたが気にすることは無いわぁ。病気ですもの!」  なんていい上司だろう。沙菜は優しい部長の気遣いに感謝した。 「それでね、あなたにご相談があるのよぉ」  それまで笑顔だった部長の表情が、さらに笑顔になる。  なぜか、その笑顔が怪しく沙菜の瞳に映る。 「実はねぇ、退院したら、この外科病棟に勤務してほしいのよぉ」 「は?」  沙菜は大きく瞬きをした。  部長は今、なんと言った?  外科? 「外科病棟に配属された新人看護師さんがこれなくなってしまってね」  どういうこと?  沙菜は青ざめる。心なしかお腹も痛くなってきた。  入職してからたった数日で新人たちが根を上げるほど、ここはブラックな場所なのだろうか? 「うちの外科はちょっと変わっててね。救急外来も兼科することがあるせいか、仕事の内容がとーんでもなくハードなんだけど、その分責任感は培われるし、とてもやりがいがあるわぁ。 若いうちから救急と外科を学べるなんてめったにないチャンスよ!」  部長は沙菜の手をギュっと硬く握り締めてくる。 「で、でも小児科病棟」 「私はね、あなたに期待してるのよぉ! お願い!」  部長、必死である。  こうなると沙菜はもう何も言えない。 (私、どうなっちゃうんだろう)  退院したら小児科病棟へ戻れるんだと思ってた。それなのに……。 +++++  翌日。看護師たちと共に創部の処置にやってきた三野に昨日看護部長が来たことを伝える。 「昨日、看護部長がお見舞いに来てくれました。それであの、私」 「言われたんでしょう? この病棟配属に変わったって」  三野よりも先に口を挟んできた人物は看護師の司瀬雫だ。 「よかったじゃない。外科病棟の看護師のお仕事の偉大さを患者目線で知ることができて」  雫は20代後半の勝気そうな印象を与える女性だが、実際にオペ室での術中介助の立ち回り方や病棟での仕事ぶりを見ていると、かなり腕の立つ看護師であると沙菜にでもわかる。 「もしかして、三野先生もご存じだったんですか?」  沙菜は、小児科病棟に挨拶に行きたいと告げた時の三野の態度を思い出す。  三野は少し間を置いて頷いた。 「そう。だけど昨日の時点できみ自身が聞いてなかったなんて知らなかったよ。小児科病棟に挨拶に行く前に知れてよかったね。知らないままこれからよろしくお願いしますなんて挨拶に行ったら、小児科のスタッフも対応に困ったんじゃないかな」  そこへ入院当日、担当になってくれた看護師の菅野がやってくる。 「三野先生、外来で杉先生がお探しでしたよ。庵野さんの腹部CTについてだそうです。あ、佐倉さん、これからよろしくね」  菅野は三野に用件だけ伝えにきたようで、すぐに病室から出ていく。 「わかった。包交が終わったら、外来に行く」  三野は沙菜の創部に消毒を施した後、ドレッシング剤を貼付し処置を終える。処置の後片付けをしている最中、雫のポケットに入っているPHSが鳴った。ナースコールと連動しているため、患者が看護師を呼んでいるのだとわかる。 「(PHSの番号を見ながら)あー、武田のおじちゃまか。痛み止め欲しがる時間だもんね。じゃ、お先にー」  雫はガーゼや消毒液の乗ったワゴンを押して病室から出ていく。 「明日、退院してもよさそうだね。経過は外来でフォローしよう」  予定通りの日数ではあるが、あっさりと退院許可が下りた。 「わ! ありがとうございます!」 「嬉しそうだね」 「はい!」  沙菜は今までで一番の笑顔を三野に向ける。 「でも、残念だったね。小児科を希望していたのに」 「それは……」  それはもちろん残念ではあるが、働く前から病院に迷惑をかけてしまった以上、希望通りの部署で働かせてほしい等とは言えない。 「どこの部署でも、看護師として働かせてもらえるんですから、頑張ります。外科で経験を積んだ後でも、小児科に異動させてもらえるチャンスはあると思うし」 「そっか」  三野は沙菜に向かって手を差し伸べる。その手を沙菜は不思議そうに見つめ、ゆっくりと瞬きをしながら三野を見上げた。 「僕も外科病棟のスタッフだから、これからよろしく」 「よろしくの握手……ですか」 「え、何? もしかしてこういうのセクハラ?」 「いえ。まあ、いいですけど」  なぜか上から目線な態度で沙菜は三野の手を握る。  温かい、大きな手だった。 (この手で、お腹の悪いところを治してもらったんだ)  それに入職式の途中、激痛のあまり倒れそうになっていた体を支えてくれた。 「ありがとうございます。三野先生」 「ん?……うん」  意外に素直な反応を見せる沙菜にやや拍子抜けした様子の三野だったが、彼も多忙な身。杉先生に捜されていることを思い出し、病室から出ていく。 「よーし。スタートは少し遅れちゃったけど、頑張ろう!」  誰もいなくなった病室で沙菜は一人、握り拳を作って天井に向かって掲げた。
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