遺恨

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─1─  ──弟が帰ってこない。    弟と連絡が取れなくなってから、二日が経とうとしている。  五つ歳が離れている大学生の弟、陽太とは、二人暮らしをしている。  わりと、友達の家に泊まったりすることが多いため、あまり気には留めていなかったが、連絡が取れなくなることはなかった。日頃から俺が「連絡だけはよこせ」と、口酸っぱく言っているので、二日も音信不通はどう考えてもおかしいのだ。  三日前、俺が仕事から帰ってくると、陽太が話しかけてきた。 「俺、明日同窓会に行ってくるから」 「同窓会? いつのだ?」 「中学の頃のやつ」 「中学生の頃か。どこでやるんだ?」 「廃校になった学校らしい」 「えっ? あそこでやるのか? もうボロボロなんじゃないのか?」 「うん。よくわからんけど、連絡来たから行ってみるよ」 「ふーん。気を付けて行ってこいよ。あと、連絡だけはよこせよ」 「──はいはい」  そんな何気ない会話が最後だった。陽太は部屋に籠り勉強をしていたし、俺は仕事で疲れていため、すぐに寝たのだ。朝は、陽太が起きる前に出勤した。  今更だが、もっと詳しく聞いておくべきだったと後悔している。  警察に連絡することも考えたが、もう少し調べてからにしようと思いとどまった。  それには訳がある。二人暮らしをするようになってから、お世辞でも仲がいいとは言えなかったのだ。仲が悪いというより、弟が兄離れをしている、と言った方が正しいだろう。そんな弟の気持ちを考え、俺もなるべく執拗に話しかけたり、詮索するようなことはしないようにしていた。だから、家出をしたと言えなくもない。彼女もいる様子だったし、もしかしたら、彼女の家に入り浸ってる可能性も捨てきれない。  ──いや、むしろ、そうであってほしい。   「お疲れさまでした」 「五十嵐、ちょっといいか?」 「──はい」  島田係長だ……。俺は今急いでいる。 「なんか、最近様子がおかしいように感じるが、何かあったのか? 大丈夫か?」 「大丈夫ですよ! 最近ちょっと残業続きだったので、疲れているのかもしれません。お気遣いありがとうございます」  今はまだ、そう言うしかなかった。 「そうか。無理だけはするな。この業界は限りなく黒に近いグレーだからな。なにかあったらいつでも話してこい」 「はい、ありがとうございます」  係長に一礼し、その場を離れた。    会社を出ると、むわっとした空気が俺にまとわりついてきた。さっきまで、冷房の効いたオフィスにいたこともあり、余計に暑く感じる。  最近の北海道は、どうも様子がおかしい。『夏は暑く、冬は寒い』と、いい所がない。避暑地として言われていたはずの北海道は、近年、四十度に近い日が続いたり、北海道ならではの、からっとした暑さが失われ、蒸し暑くなってきている。そう遠くないうちに、梅雨が北海道でも観測されるのではないかとひやひやしている。  これから俺は家に帰り、陽太の部屋で何か役に立つ情報がないか探し、俺が知りうる陽太の友達に連絡をとってみようと思う。そのうえで、何かわかり次第、同窓会会場の、廃校となった母校に行こうと考えている。そうなった場合、会社を休まざる負えない。土曜日までは待てない。その時は、係長に相談しよう。  その島田係長とは、二人でも飲みに行くほど仲がいい。四十二歳で、若い人の話もよく聞いてくれる、憧れの先輩なのだ。今すぐに、事情を話せないのは非常に心苦しい。  部屋に入り、すぐにエアコンのスイッチを入れた。冷房が効いてくるまでの間、窓を開け換気をする。いつからだろう、北海道でもエアコンを使うようになったのは。  着替えもせず、まっすぐ陽太の部屋に入った。すると何かを踏んだようで、足元を確認する。そこには、アパートの鍵が落ちていた。落としていったのだろうか。  それにしても、鍵についているこのイルカのキーホルダーは、いつから使っているのだろうか。確か、昔は白イルカだったような……。年月が経ちグレーのイルカになってしまっている。  部屋は、意外にも綺麗だった。整理整頓がされており、すっきりとしている印象で、机には辞書や勉強に使用するであろう参考書がびっしりと並べられていた。  机の引き出しを開け、何かヒントになるようなものがないか探す。  次に、机の上を見ると、参考書に混ざり、卒業アルバムを見つけた。薄ピンク色のアルバムだ。  『武野咲(ふのさき)中学校』と書いてある。  俺たちは、北海道の武野咲町(ふのさきちょう)の出身で、俺は高校進学を機に札幌に移住した。札幌とは車で一時間五十分程の距離だ。父は札幌の会社で働いていたため、単身赴任で、弟も高校進学を機に母と父のいる札幌に引っ越した。  確か、今回の同窓会は中学生の頃、と言っていた。  ページを一枚ずつめくっていく。  小さい町で、一学年一クラスしかなかったので、すぐに弟を見つけた。 「かわいかったな……」つい、あの頃を思い出し、そう呟いた。昔は「兄ちゃん兄ちゃん」とよく懐いてくれていた。かわいかった……いや、もちろん今でも俺にとってはかわいい弟だ。  生徒一人一人見ていくと、ひとりだけ背景が灰色の女子生徒を見つけ、頭の片隅に追いやられていた記憶が蘇った。 『神野桃花(じんのももか)』透き通るような透明な白い肌と、黒目が大きく吸い込まれそうな瞳が特徴的な女子生徒。このアルバムの写真の中でもひときわ目立つ。  確か、陽太が中学卒業間近、泣きながら帰って来た日があった。俺はたまたま実家に帰って来ており、今までこんなことがなく、母と慌てたことを今でも鮮明に覚えている。 「神野が死んだ。神野が死んだ」  何を聞いてもそれしか答えず、困惑した。もちろん、同級生が亡くなることがショックなのはわかるが、陽太の取り乱し方は異常だったのだ。  少し落ち着いてから事情を聞くと、ゆっくりと陽太は話はじめた。 「神野は中学二年の頃からいじめられていたんだ。そして、体育館倉庫で首を吊って死んだんだ……俺は何もしてやれなかった……」  まさかの自殺だった。こんな小さな町で自殺などすぐに広まり、騒然となった。神野の両親は当然学校に抗議し、徹底的に調べてほしいと訴えた。  しかし、遺書が無かったことが余計にこの件を拗らせた。  両親は当時、いじめられていたとは全く知らなかったと言う。神野桃花は両親に心配をかけまいと、一人でこの辛いいじめに耐えていたのかもしれない。  いじめがあったことは認めた学校だったが、誰が関わっていたかは結局わからずじまいだった。いじめていた奴らはだんまりというわけだ。  その後、両親は、この町を出て行った。  いじめの一件から五年。その頃の生徒たちは成人を迎えた。その祝いも兼ねての同窓会なのだろう。  その他の生徒も見ていくと、一人、今でも付き合いのある友人を見つけた。名島亮介……そうだ、この子の兄が俺の同級生にいたはずだ。確か以前、居酒屋でばったり会い、連絡先を交換したはず。  慌ててスマホをポケットから取り出し、名前を探す。  ──あった。名島ゆずき。さっそく連絡を取ってみる。 「もしもし、ゆずき?」 「おう! 風太! どうした?」 「突然すまん。変なこと聞くけどゆずきの弟って今、連絡取れるか?」 「うん? 亮介か? 今一緒にいるよ。どうした?」 「──ちょっと俺の弟について話を聞きたくて。亮介君に代わってもらえるか?」 「あ、ああ」  名島ゆずきは、戸惑いをみせながらも、弟に代わってくれた。 「もし、もし……」 「突然すまない。陽太の兄、五十嵐風太です。いつも弟がお世話になってます。妙なことを聞くんだが、三日前に同窓会があったことは知ってるか?」 「ああ、同窓会の案内状来てましたけど、俺、あんまりいい思い出がないから行かなかったんです」 「案内状?」 「はい、案内状来てましたよ。たぶん陽太にも来てたはずです」 「そうか。あとで見てみる……それで……ここからが本題なのだが、陽太が同窓会に行ったきり帰ってこないんだ。何か知ってるか?」 「え……やっぱり帰ってきてないんですか?」 「やっぱり?」 「はい。俺も一昨日連絡したんですけど、音信不通で。ちょっと心配になったんで、彼女に連絡してみたんですよ。そしたら彼女も心配してて……」  悪い予感が的中し、全身の血の気が引いていく。 「じゃ、やっぱり失踪したということか……」 「失踪?」  亮介の声に、隣にいるであろうゆずきも「えっ?」と思わず声を上げた。 「ああ。実は家出でもしたのではないかと思っていたんだ。しかし君の話を聞いてそうじゃないとわかった……」 「俺、同窓会に行ったと思われる友人に連絡してみます。何かわかるかもしれないし」 「そうしてくれるとありがたい」 「また折り返し連絡します」 「ああ、ありがとう」  名島亮介は案内状が来ていたと言っていたな。同窓会に、持参しているかもしれないが、一応探してみるか。  机の引き出し、ベッド横の棚を調べるも、見当たらなかった。陽太の部屋にはこれといってヒントになるようなものはなく、うなだれるようにそのまま床に足を投げ出し座った。何気に、ベッドの下に視線をやると、何か、白い紙切れが見え、手を伸ばす。 「これは……」  案内状だった。裏を見てみると、ある文字に驚愕する。 『幹事・神野桃花』と書いてある。 「悪質だな」思わずため息が漏れる。こんなことを書くなんて、幼稚すぎる。  そもそも、なぜ陽太は同窓会に行ったのだ。中学生の頃の話は極力避けていたのにもかかわらず……  あいつ、もしかして、いじめに加担していたとかじゃないよな……。  いや、あの時の取り乱し方を見れば、とても加担していたとは思えない。  その他には、「返信不要」と書いてあった。  同窓会参加者の出欠は、確認しなくていいのか?   「もしもし」  名島亮介からだ。 「わかりました! 同窓会に行った友人数名に連絡してみたんですけど、全員音信不通なんです! もしかしたら、集団で失踪したかもしれません!」 「なに!」  集団失踪という言葉のインパクトに圧倒され、言葉に窮する。 「あきらかにおかしいです……」  その通りだった。なにかがおかしい。 「明日、その学校に行ってみるよ。そして、これから警察に話してくる」 「行くんですか? 警察に任せないんですか?」 「弟が心配なんだ。それに警察はすぐに動いてはくれないかもしれないしな」 「そうですか……でも、本当に気を付けてください」 「ああ、ありがとう。電波が繋がるかわからないが、何かあったら連絡させてもらってもいいかな?」 「はい、もちろんです! いつでも出られるようにしておくんで」 「頼むよ、ありがとう」  その後、兄のゆずきとも少し話をし、電話を切った。  この電話で、話が変わってきた。同窓会メンバーがもし、全員帰ってきていないとなると、事が大きくなりそうだ。そうなると、気づいた家族が警察に届け出を出している可能性もある……。だが、今のところその情報はまだこちらには来ていない。  とにかく今は、弟の無事を願うだけだ。        
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