遺恨

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  ─18─  目の前で、人が当たり前のように死んでいく……。こんな異常な状況が続き、俺の心は麻痺し、涙ひとつ出なかった。  いったい、いつまで続くのだ。そして、俺はここに来てどれくらい経ったのだろう……そう、漠然と考えていた。 「あきら、大丈夫か?」 「………………」  目の焦点が合っていない。 「あきら……あきら! こっちを見るんだ! 気をしっかり持て!」  正気を保てなくなれば、ここでは死を意味する。 「──お兄さん」 「あきら!」  思わず、あきらを抱きしめる。いつの間にか、あきらに陽太を重ねている自分がいた。 「先生も、俺もついてる。守ってやるから、一緒に出よう……な?」  あきらは、声を上げ泣いた。俺の胸の中で、まるで子どものように……。  しばらく泣いた後、疲れたのか、あきらは眠ってしまった。 「かわいそうに……」  赤井先生が、寝ているあきらの頭を撫でる。 「もう、みんなギリギリの精神状態なんですよね。俺よりも、二日長くいるんですから」 「あのう……、ちょっと怖い事があるんですけど」  あきらを撫でていた手を止め、赤井先生がこちらを向いた。 「ずっと、チャイム鳴ってませんよね」  ハッとした。本当だ、理科室に入ってから結構な時間が経っているというのに、一度もチャイムが鳴っていない。 「これは、どういうことなんですかね。なんだか、嵐の前の静けさのようで、怖い……ですね」 「そうなんです。僕も同じこと思っていました……」  そう言った矢先だった。突然、ドアが開く音がした。 「この臭い……」  振り向かなくとも、この臭いでわかる……。きつい香水の臭い……。 ──桐田優紀だ。  振り向くとやはりそうだった。腹の肉を引きずり、体から滲み出る脂をたらしながら、中へ入ってきた。  逃げようとしたが、桐田優紀の目的が俺らにないことがわかり、二人は固唾を飲み、見守る。  やはり、思った通り目的は、花梨だった。  桐田優紀は、短いその手で動かなくなった花梨を掴み、引きずりながら廊下へと出て行った。こんな状況だというのにもかかわらず、花梨の死体がこの教室から無くなったことに、少しほっとしていた。布を被せてはいたが、同じ空間に死体があるというだけで、少しずつ精神がすり減っていく。まるで、自分の行く末を見てるようで……。 「花梨、どうなるんでしょうね……」 「どうなるんでしょうね……」  そんなこと、わかりきってはいたが、今はただ沈黙を恐れ、意味のない会話で精神を保つ。 「う、うう」  あきらが目を覚ましたようだ。 「お兄さん……」 「大丈夫か?」 「はい……。花梨は?」 「連れて行かれた……」 「そうですか……。俺たちもいつか……」 「おい、まだあきらめるな。俺たちは何がなんでも帰るんだ、そう約束しただろう?」 「──うん」  あきらは、すっかり弱気になってしまっていた。 「あきら!」  床の汚れをモップで拭いていた赤井先生が、あきらに気づき、戻ってきた。 「あきら、大丈夫か?」 「はい、大丈夫です。それより、チャイムって……」 「あきらが寝てる間、一度も鳴っていないんだ」 「えっ? 俺ってどれくらい寝ていたんですか?」 「結構寝てたんじゃないかな? ねえ、先生」 「そうですね。感覚ですけど、三時間は寝てたと思いますね」 「そんなに? そんなに鳴らないなんて、嫌な予感しかないですね」  こんなに鳴らないのは、何かを意味しているのだろうか。この間、一度も教室から出ていないが、校内は静まりかえっている。人の気配どころか、化け物の気配さえ感じない。  そろそろここに来て一日が経とうとしているのに、一向に陽太には会えないのはなぜだろう。移動している時に廊下でばったり出会ったとしてもおかしくない広さだというのに。もしかしたら、いい隠れ場所を見つけているのかもし れない……そうだと願いたい。それに、まだ他に生存者はいるのだろうか。    あきらが目覚め、化け物も出て来ず、少し、気の緩みが出ていた時だった。 「そうだ!」  赤井先生が、何かを思い出したようで、少し大きめの声を出した。 「なんです?」  胸を押さえながら、赤井先生の方を見た。 「す、すいません。驚いちゃいました?」 「はい、少し。ちょっと気が緩んでて。でも大丈夫です。それより、何かありました?」 「はい。僕たち日記を見ようとしていたこと、すっかり忘れていました」 「そうだった! 俺も完全に忘れてました」 「鍵は開けてありますから、見ましょうか」  そうして、薬品棚から日記を取り出した。 七月一日  どうしよう。お母さんになんて言えばいいんだろう。まだ、バレてないと思うけど。今日、理科の実験中に花梨が薬品をこぼして、私の制服にかかり、制服が焼けてしまった。なんの薬品かわからないが、太ももを火傷したみたいで、赤くなってて痛い。花梨たちは笑っていたから、きっとわざとだと思う。でも先生は危ないからふざけないようにと、私と花梨を叱った。制服が焼けたことは何も言ってくれなかった。休み時間、ハンカチを濡らし、木の下で冷やしていたら、陽太が来てくれて話を聞いてくれた。そのあと赤井先生も来てくれて三人で話した。なんか、うれしかった。味方は少ないけれど、私にとって、この二人は強い味方。まだまだ頑張れる。いつもありがとう。
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