遺恨

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─20─  技術室の前に着き、あきらがドアを片手で開ける。 「先生!」  開けた途端、甲高く、ねばっこい甘えた声の女性がこちらに向かって突進してきた。彼女の目には、赤井先生しか見えていないようで、俺らを無視し、飛びつくように抱き着いた。その反動で二人は後ろへ倒れる。 「凜華! 危ないじゃないか!」  赤井先生は彼女を受け止め、抱き着く凜華を体から離した。 「先生に会えるなんて、生きててよかった」  この女性が凜華か……。かつての、神野桃花の親友、そして、いじめの主犯。 「凜華も、美雪も無事だったんだな」 「なんとか、無事でした」  言葉の語尾が、ねばねばと伸び、今にも糸を引きそうな話し方だ。非常に不快で、耳障りだ。それに、赤井先生の腕に自分の体を寄せ、胸を押し付けているように見える。赤井先生の顔は明らかに引きつり、困惑している。  少し離れたところに、静かに立っていたのは白田美雪。凜華とは正反対で、冷静に二人を見ているといったところだ。 「他に誰か、見かけなかったか? 陽太とか」 「他に? ずっと前に花梨を見たけど、はぐれたわ。陽太は知らない」  陽太は知らない……。その言葉だけ、明らかに声色が変わった。 「あれ? あきらじゃない。まだ生きてたんだ」 「なんだよ、その言い方」 「会って早々、やめろ」 「ごめんなさあい」  いちいち気に障る話し方だ。 「先生、その後ろにいる人、誰?」 「陽太のお兄さんだよ。陽太を探しに来たんだ」 「──陽太の? ふーん」  一瞬にして興味を失ったようだ。  それにしても、凜華は神野ほどではないが、綺麗な顔立ちだった。大人な雰囲気で、とても二十歳とは思えない。  美雪は綺麗だったが、冷たい空気を纏っている女性だった。凜華さえも見下しているような、何を考えているのかわからないといったところだ。それに比べ、凜華はわかりやすい。赤井先生の事を好いているのはあきらかだった。学生時代も、こうして纏わりついていたのが目に浮かぶ。  凜華とはこれ以上関わりたくなく、技術室の窓から外を眺める。 「あきら……」  そばにいたあきらを呼ぶ。 「おい、これ見てみろよ」  さっきまで、赤い霧に覆われていたはずが、霧がなくなり、ただの暗闇に変わっていた。 「霧が無くなってますね。これって、いい兆候なんですかね……」 「どうなんだろうな。赤い霧よりはいいような気もするがな」  ひとつひとつの変化に、何かの意味を求めてしまう。少しでも答えに近づいているという実感がほしいのだ。  凜華に気を取られ、技術室の探索を忘れていた。  技術の授業の記憶は全くなかった。個人的には一番記憶に残っていない授業で、教室に入っても何も思い出せなかった。  大きな作業机が何台かあり、壁際には木材が乱雑に積まれてある。のこぎりなどの、工具が散らばっているところをみると、二人はここで化け物と争ったのかもしれない。  そういえば、今まで戦うという概念はなかったな……。  しばらく探してみたが、日記もなければ幻覚も起きなかった。相変わらず凜華は赤井先生から離れようとはせず、時より腕を絡ませながら談笑してる。 「あきら、凜華は昔からだったのか? 赤井先生のこと……」 「はい。赤井先生が担任になったとき、かなり喜んでいましたからね。最初は憧れくらいでしたけど、いつの頃からか、あんな風に纏わりつくようになってましたね。先生はうまくあしらってましたけど、凜華は本気で好きだったんじゃないですかね。男として」 「先生も大変だな……」  先生のことだけ考えていればよかったのに、なんで神野のことをあんなにいじめるまでになったんだろう。  体がまだ痛かった俺は、椅子に座ることにした。自力で歩けるようにはなったものの、叩きつけられた衝撃が、まだ体のいたるところに残っていた。  ゆっくりと椅子に腰かけると、何かを踏んだ感覚があった。 「あきら、日記があったぞ」  どうやら椅子の上にあり、その上に座ったようだ。 「先生、日記ありました」  先生を呼ぶと、金魚のふんのように凜華もついてきた。 「何よこれ。そんなのどこにもなかったわよ」  凜華が不満そうな顔をしている。 「とりあえず読んでみますか」 十一月二十五日  技術の授業で、また嫌なことがあった。小さな棚を作って、やっと完成したのに、凜華たちがわざとその棚を床に落とした。頑張って作ったのにバラバラに壊れてしまった。でも、それはいいの。私の棚はいいのよ。許せないのはその後。凜華が陽太の棚まで壊したの。「仲良くあんたのも壊してあげる」って言って。最低。陽太にひどいことをするのだけは許せない。 十一月三十日  陽太が怪我をした。  凜華が私を押し、のこぎりで木材を切っていた私は手を切った。その時に、陽太が怒り、凜華の肩を押したとき、まわりにいた香織たちが陽太を突き飛ばしたの。転んだ時に足をひねったみたいで、すごく痛そうだった。歩くのも辛そうだった。いつも陽太は私を庇い、傷つく。もう、どうしたらいいのかわからない。  日記を読み終え、凜華を睨みつける。 「──何よ。こんな日記、本当なわけないじゃない。桃花の日記が残ってるわけないでしょ? 廃校になってるに」 「お前は何も知らないんだな。神野はメッセージを残しているんだよ。だからお前らが何をやってきたのか全てわかるんだよ」  凜華は何を言われようと、何も響いていないようだった。そんなことより、先生に夢中のようだ。 「こんな最低なことをして、なんとも思わないのか? 反省はしないのか?」 「反省?」  凜華は鼻で笑いながら続けた。 「私たち、何も悪い事してないわよ。全部自業自得なの。私を裏切ったんだから」 「自業自得ってなんだよ。裏切たってなにをだよ!」 「桃花はね……」 「やめろ、凜華」  赤井先生が、話を遮ってきた。 「こんなことで時間を費やすより、もっと手がかりを探しましょうよ!」  凜華に直接聞けばいじめた理由がわかり、大きな前進になると思うのだが。 「先生、お言葉ですけど、いじめの原因がわかれば、大きく前進するんじゃないですか?」  今まで、意見をするなどしてこなかったが、ここはどうしても譲れないと判断した。 「凜華が本当のことを話すとは思えません」 「先生ひどい! 嘘なんてつくはずないじゃない!」 「凜華には聞いていない」  赤井先生が冷たく言い放つ。 「確かに、そうですけど……」 「神野も、自分の言葉で語りたいから日記を残しているんじゃないですか?」  赤井先生の、いつもとは違う雰囲気に圧倒され、これ以上意見をする気にはなれなかった。 「──そうですね。引き続き、日記を探しましょうか」  今ここで赤井先生と争い、仲間割れを引き起こすことは、お互いにとって決していい結果を生まない。それに、言われてみれば、凜華が本当のことを話すはずはなく、自分に都合のいいことだけを話すに決まっているよな……。少し、頭を冷やすことにしよう。    
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