遺恨

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─23─  男性陣から、廊下に出た。化け物がいないことを確認し、女性たちを廊下に呼び、前に男性、後ろに女性という二列で進む。  静かな廊下だった。  しかし、廊下に出てすぐ異変に気づいた。窓は割れ、消えていたはずの霧が、その窓からドライアイスのように流れ込み、コンクリートの壁は剥がれ、天井は所々落ちている。床は血で濡れていて、歩くたびにねちねちと足の裏を不快にさせる。先程までの、廊下の風景とは全く異なり、より、不気味さが増していた。  いじめの原因や、神野の本性もわかった今、目的を失っていると言ってもいいだろう。 ──いや、俺の目的は陽太を見つけることだ。あまりの恐怖の連続で、ここを逃げ出すことばかりが頭を占領していたが、俺はここに陽太を探しに来たんだ。本来の目的を果たさなければ、どちらにしても、ここを出ることはできない。  視聴覚室は、調理室の隣で、技術室とは真逆に位置する。血で濡れた床を滑らぬようゆっくりと進む。 「入るぞ」  視聴覚室のドアを開け、左右を確認し、中へ入る。薄暗さは相変わらずだった。会議用テーブルが壁際に片づけられており、真ん中には不自然なスペースがあった。他に変わったところはなく、この教室は、はずれか……と思った時だった。真ん中のスペースに何かを見つける。あきらも気づき確かめに行く。 「日記です!」  凜華と美雪は壁際に立ったままだったが、俺と赤井先生はノートに近づきその場にしゃがみこんだ。 一月二十日  あきらに、視聴覚室で先生が呼んでいると言われ行ってみたら、先生はいなくて、その代わりに男子五人が真ん中に立っていた。みんな先生に呼ばれたのかと思ったがそうじゃなかった。突然、ひとりの男子が『この前、お前の下着姿を画像で見てから、本当に見たくなったんだ』と言い出して、私に近づいてきた。怖くなって逃げ出そうとしたけど、ドアを外側から抑えられているようで開かなかった。男子たちにそのまま倒され、脱がされ、触られた。どうにもできなかった。その間、ずっと誰かが動画を撮っているようだった。でも、陽太が入って来て、男子を殴って助けてくれた。動画を撮っていたスマホも取り上げ、陽太の強さに男子たちは驚いて、逃げていった。かっこよかった。陽太はいつも私を見ててくれて助けに来てくれる。だけど、先生には、こんなこと話せないな。    読み上げたあきらは、泣いていた。 「こんなことになっていたなんて……。言い訳になるけど、本当に先生が呼んでると聞いたんだよ。だから……だから、疑いもしなかった。それが、嘘だったなんて……」 「僕も知らなかった、こんなひどいことをされていたなんて……。お前たちは知ってたのか?」 「知らなかった」と、凜華と美雪は横に首を振った。  これはもう、いじめの範疇を超えている。盗撮といい、このクラスの生徒たちは、背徳感を感じる奴は誰もいないのか。教師さえも見て見ぬふりをし、生徒たちは善悪の判断が鈍り、もはや、何をしてもいいのだという無法地帯。そんな中、赤井先生は自分が招いたという罪悪感から、陽太は友情を超えた感情から、神野を守っていたのだろう。  思えば、陽太はいじめの本当の原因を知らされていたのだろうか。そもそも、どこまでの人が、本当の原因を知っていたのだろう。 「風太さん、何か音がしませんか?」  赤井先生が廊下の方を指さしている。よく耳を澄ますと、静まり返る教室に、血で濡れた廊下を歩く音が聞こえる。  凜華と美雪は、壁側からこちら側に寄ってきた。五人、集まり固唾を飲む。 「え……」  ドアがゆっくりと開き、化け物が入ってきた。どのように殺されたか見ていた俺たちはすぐに花梨だとわかった。顔に無数の穴が開いていたからだ。 「ど、どうするの、先生」怯える女性二人が、赤井先生の後ろへ隠れ、ガタガタと体を震わせている。  花梨だとわかったが、何か動きがぎごちない。目を凝らしよく見ると、上から白い糸のようなものが垂れ下がり、花梨の体に繋がっている。 ──それは、操り人形のようだった。  カクカクと不気味な動きに、何が起こっているのかわからず、動けずにいた。  気が付くと、一番前に座っていた俺の体に、いつの間にか糸が巻きついていた。 「どうなってるんだ!」  動けば動くほど、糸が体を締め付け、その糸で体が切れそうな程痛い。あきらと赤井先生が、手で糸をなんとかほどこうとしているが、一向にほどける気配がない。 「手ではだめです! 糸が硬すぎます。鋭利なもので切らないとほどくのはもう無理です!」 「鋭利なものって言ったって……そうだ!」  赤井先生が、ポケットに手を突っ込み、鍵の束を出した。 「これで、なんとか」  鍵を糸に押し付け、前後に引く。その間も糸はきつく体を締め上げる。 「い、痛い……」思わず、声が漏れる。 「もう少しです! 頑張ってください!」  あきらも自分の手が切れているのにも関わらず、ずっと糸をちぎろうと引っ張り続けてくれている。 「切れた!」  赤井先生がそう声を上げた瞬間、体が自由になった。 「ありがとうございます」  糸に気を取られている間に、花梨がすぐそばまで来ていた。 「逃げましょう!」  五人は立ち上がり、四人が左へ、あきらは右から逃げた。 「あきら! 別れたらだめだ! すぐにこっちへこい!」 ──遅かった。    花梨はあきらの方へ体を向け、近づいた。その瞬間、あきらの体が糸に吊られたような動きに変わった。 「あきら!」  すぐ助けに行こうと、あきらの元へ走った。  「来るな!」俺を制止させるようにあきらが叫んだ。  糸で釣られたあきらの腕は、あり得ない角度に曲がり、鈍い音と共にあきらの呻き声が響く。 「やめろおおおお!」  気づいたら、俺はあきらの方へ走っていた。しかし、花梨に突き飛ばされ、床に転がる。 「お兄さんがいなくなったら陽太が悲しむ……。陽太は……お兄ちゃんのこと大好きだって……言っていたから……。絶対に生きてここから出てください!」  這いつくばりながら、あきらの方へ近づく。 「お前も一緒に……生きて……生きてここから出るんだ!」 「お兄さん、俺、変われたかな……」  糸で吊られたあきらの首は、後ろを向き……動かなくなった。 「馬鹿野郎!」  我を忘れ、花梨に突進していた俺は、馬乗りになり殴っていた。だがすぐに、赤井先生に引きはがされ、そのまま引きずられるように廊下へ出た。 「先生! あきらが……あきらが……」 「風太さん、あきらはもう死んだんです。俺たちは逃げなければなりません! 生きるんです!」  どうしてあきらを……。どうしてあきらなんだ! 自分の罪を認め、償おうとしていたじゃないか!  あきらは最期、自分は変われたのか、と聞いていた。  俺は胸を張って言える──もう、昔のお前じゃないと……。    
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