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─24─
あきらを失った喪失感で、立てずにいた俺を、突然の耳鳴りが襲った。以前と同じ耳鳴りだ。意識が遠のく程の大きな耳鳴り。
「見つけて……お願い……見つけ……」
また、隣で囁かれるような幻聴が聞こえた。切実さが増しているような声だった。
「大丈夫ですか?」
赤井先生が心配そうな顔で覗き込む。
「はい、また耳鳴りがしてました。でも大丈夫です」
「先生、これからどうするんですか?」
震える声で、凜華が話しかけてきた。
「あと、三年生の教室だけでしたよね?」
「はい。三年生の教室で最後です」
そう答えると、凜華が困惑する顔で「化け物がいないんです……」と、怯えている。
「どういうことです?」
「三年生の教室に化け物が見当たらないんです、チャイムが鳴っていなにのに……」
確かにしばらくチャイムは鳴っていない。それなら、化け物は教室にいるはずだ。
「じゃ、どこに行ったんですかね……」
四人、顔を見合わせる。
「と、とりあえずいないなら、教室に入っちゃいますか?」
赤井先生の問いかけに、三人、黙って頷き、俺は静かに立ち上がった。
最後の教室だ。
「ここは……」
ドアを開け、飛び込んできた光景に、二の足を踏む。三年生の教室は今までと違い、明るく、当時のままだったのだ。廊下の朽ち果て具合との違いに戸惑う。
「明るいのもちょっと不気味ですね」
「ええ、今までとの差が……」
この明るさと綺麗さは、心を落ち着かせるどころか、乱している。
凜華と美雪も戸惑っているのが見て取れる。
教室に入り、全体を見渡したが、陽太はいないようだった。いったいどこにいるというんだ。全部の教室は確認したし、トイレだって見た。しかし、どこにもいなのだ。どうしたらいいんだ……。
ここまで来て、陽太も見つけられず、あきらも助けることができず、未だ何も解決策も導き出していない。
自分自身に落胆していると、ふと、スマホのことが頭によぎる。
「そうだ……」
俺は、名島亮介に「電話をするかもしれない」と言っていたじゃないか。何か手がかりを見つけてくれているかもしれない。慌ててリュックサックからスマホを取り出し、電波を確認するも、やはりだめだ。それに、待ち受け画面の時刻も、霧に巻き込まれた時間で止まっていた。あきらも言っていたが、ここに来た時点で繋がらなくなったと言っていた。これも神野の仕業だろう。
「どうしました?」
スマホを手に持ち、意気消沈している俺を見て赤井先生が声をかけてきた。
「もしかしたらと思って、スマホを確認してみたんです。電波が無いどころか、時間も止まったままでした」
「僕も、何度か確認してますが、風太さんと同じ状態です」
スマホは諦め、教室を探索した方がよさそうだ。いつ、化け物が出てくるかわからないしな。
「なんでもいいから、手がかりになりそうなものがあったら教えてほしい」
赤井先生が女性二人にも協力をお願いし、四人、手分けして調べることにした。
この教室に入り、まず目に入ったのが、神野のものと思われる机。二年生の頃より傷が増えており、机の上には白菊が活けられた花瓶が置いてあった。この机の傷や、花瓶も、ここにいる二人が関わっていると思うと、一緒に行動していることに疑問を感じる。いじめの原因がなんであれ、度を超える嫌がらせには、七人の人格を否定せざる負えない。
二年生の教室では、確か、交換日記が机の中には入っていたはずだ。ここには、何が入っているだろうか。
「なんだ、これ……」
机の中に入っていたのは、スマートフォンだった。
「なぜ、こんなものが……」
これは何を意味するのか。
頭の中で、この数時間の出来事を呼び起こし、次々に取捨選択していく。
全ての意識を頭の中に集中していると、握りしめていたスマートフォンが突然震えだし、思わず落としそうになる。思いもよらない事態に、鼓動が一気に激しくなりながらも、辛うじてスマホの画面を確認する……。
「──係長だ!」
何も考えず、すぐに出る。
「係長!」
「五十嵐か!?」
「係長……」
自分でも驚くほどの情けない声が出た。スマートフォンを持つ手が震え、両手で支える。
「お前のスマホにずっとかけていたんだが、繋がらなくて困り果てていたんだよ。そしたら、俺のスマホに知らない番号からかかってきて、いつもなら出ないんだが、出てみたんだ。なんか気になってな。しばらく無言で、いたずらだろうと思って切ろうとしたとき、ノイズが聞こえてきて……その向こう側に、かすかにお前の声がしたんだ」
「俺の声が?」
「ああ。電話はそこで切れたんだが、どうしても気になってその番号にかけ直したんだ。そしたら、お前が出てくれたんだ」
これは、俺にかかってきた無言電話と同じで、きっと神野の仕業だろう。いったい何が目的なのか一向にわからないが……。
「なんにせよ、声が聞けてよかった……生きていてくれてよかった。それでさっそくだが、今すぐそこを出た方がいい」
「えっ? どいうことですか?」
息を呑む音が聞こえるような沈黙の後、静かに話し出した。
「──落ち着いて聞け。まず、そこには、お前の他に誰かいるのか? いや、名前は出さなくていい、はい、か、いいえで答えてくれ」
声が微かに震えている係長に、こちらも自然と体に力が入り「はい」と、答える。
「よし。じゃ、その中に赤井先生はいるか?」
「──はい」
「よし、わかった。今から話すことに対して、返事以外の声を出さないこと、冷静さを保てよ、いいか?」
「──はい、わかりました」
係長の差し迫る口調に、落ち着きを取り戻し、意識を声に集中させる。
「──そこにいる赤井俊介は、犯罪者だ」
係長の言葉を一度では理解できず、頭の中で、何度か反復する。繰り返す度、意識の外側にあった言葉が、どんどんと近づいてきて、目の前にくっきりと現れた時、頭を鈍器で殴られたような強い衝撃があった。
「大丈夫か?」
「──はい、大丈夫です」
「今、犯罪者と言ったが、正しくは、逮捕はされなかったんだ」
「どういうことです?」
「被害届が取り下げられたんだ。被害者によってな」
「えっ?」
次々に飛び出してくる、物騒な言葉に聞き返すことしかできない。
「手短に話すぞ。赤井先生は、半年前までいた中学校の女子生徒を、無理やり襲ったんだ」
「それって……つまり……」
「──強姦だ」
もういい、お腹いっぱいだ。胸やけがする。
「──そうですか」
「被害者の両親が、一度は警察に相談したんだが、根掘り葉掘り聞かれたり、学校で噂になってしまったりと、彼女が精神的に耐えられなくなったんだ。それで突然、被害届を下げると言い出したそうだ。早い話、泣き寝入りだ。でも、事を重く見た学校側が、赤井先生を解雇したようだ」
なんて胸糞の悪い話なんだ。こんな奴が野放しにされるなんて。
「いいか、何度も言うが、冷静なれよ。今、変な動きをしたら、何をしでかすかわからんからな」
「わかりました」
「よし、それでいい。あと、警察に連絡しておくから」
「──いえ、たぶん意味がないと思います」
「意味がないってどういうことだよ」
「帰ったら詳しく話します」
「──そうか、わかった。それはともかく、出られそうなのか?」
「係長のおかげでたぶん出られると思います」
ここで、唐突に通話が切れた。しかし、十分すぎる情報を手に入れることができた。神野はこの話をどうしても俺に伝えたかったのだろう。この話を聞いた今、いじめの原因となった神野の裏切りも、信憑性が薄れてくる。これからは慎重に動き、真実をしっかり見極めていかなければならない。それでなければ、いつまで経っても陽太に会えないような気がしてならない。
さて、電話のことをなんて三人に説明するかだな……。
「風太さん、電話……」
「はい。神野さんの机の中にスマホが入っていたんです。それで、俺の上司からそのスマホに電話がかかってきて、ある程度は説明はできました。でも、どれだけ理解してくれたかはわかりません……状況が状況ですから。一応、警察にも連絡をお願いしました」
「警察?」
この二文字に、赤井先生の顔が一瞬曇る。女性二人は真剣な顔つきで、俺の話に耳を傾けている。
「でも、俺たちのことは見つけられないと思いますけどね」
すると、美雪が「ねえ、そのスマホで直接警察に電話したら?」ともっともらしいことを言ってきた。
「俺も、そうしようと思ったんだが、上司との通話も途中できれてしまって、もう、うんともすんとも言わないよ」
「あら、そう……」
「一応、連絡はしてくれるみたいだから、運がよければ見つけてくれるよ」
警察という二文字を聞いてから、赤井先生は上の空といったようで、一点を見つめている。
「あの、いいかしら?」
凜華が、手に何かを持っている。
「陽太の机から日記が出てきたんだけど……」
「陽太の?」思わず反応する。
「そうよ。とりあえず見てみる?」
「そうだな、見てみるか」
ようやく正気を取り戻した赤井先生が、ノートを凜華から受け取り、読み上げた。
七月三十日
キャンプ、すごく楽しかった。普段、あんまり話さない人たちとも仲良くなれたし。それにしてもみんな、赤井先生のこと好きなんだなー。なんか大人。私が陽太を好きなこと、内緒にしてたけど言っちゃった。恥ずかしい! でもみんな、陽太も私のことが好きだと思うって言ってくれたから、嬉しかった! 早く夏休みが終わって、またみんなに会いたいな。
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