遺恨

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─26─ 「私はここで見張っています」    三分の一ほどしか残っていない割れた鏡で、自分の顔を見る。 「この数時間で老けたな」  ただ息をしているだけの、屍のような顔をしている。次々と目の前で人が殺されていくのを目の当たりにし、精神はとっくに崩壊している。  なぜ廃校舎の蛇口から出るのかは謎だが、冷たい水で顔を洗い、再び鏡を見る。すると突然、電気がちかちかと激しく点滅をはじめた。 「これは……」  割れた鏡に映っていたのは、赤井先生と凜華だった。また、幻覚だ。 「凜華、神野が昨日、俺の家に来たんだ。親と喧嘩したから泊まらせてほしいって」 「えっ? なによそれ! それで泊まらせたんですか?」 「まさか。俺には凜華がいるんだからそんなことしないよ。ただ、凜華があまりにも不憫で。親友だった神野に裏切られたんだから。ひどいよな、本当に。でも、俺が守ってやるからな」  そう言うと、赤井先生は凜華にキスをし、慣れた手つきでスカートの中に手を滑り込ませる。若い凜華の体はすぐに反応し、吐息まじりの声が漏れた。 「凜華が二十歳になるまで、先生、待ってるから」と、耳元で囁いた。 「嬉しい、先生……」  いつの間にか点滅は止まっており、幻覚も終わった。    あの二人の間には、体の関係もあったのか。だが、凜華はまだ中学生だぞ。さっき、係長から聞いた話を考えると、この頃から生徒に手を出していたということになる。──とんでもない男だ。それに、赤井先生が言っていた神野の話も、本当かどうか疑わしい。嘘だとしても、どうして嘘をつく必要があったのか……。凜華を焚きつけ、いじめをさせる意味がわからない。 「風太さん、大丈夫ですか?」  時間がかかっていることを心配した赤井先生が、声をかけてきた。 「う……」  慌てて出ようとした時、また、耳鳴りが襲ってきた。  今回の耳鳴りは、今までで一番激しく、眩暈もその分酷い。立っていることもままならず、床に倒れ込む。 「体育……館……倉庫……お願……い」  幻聴が消えたと同時に、耳鳴りも眩暈も治まった。 「今、行きます」辛うじて出た小さな声で、返事をする。  眩暈の衝撃が、まだ体に残ってはいるが、なんとか立てそうだ。   ──体育館倉庫。  今の幻聴からして、おそらく最後になるだろう。全てがわかる、そんな気がする。今までの幻聴、幻覚、そして、ここに呼ばれたことの意味が。 「すみません、遅くなりました。少し考え事をしてまして」 「顔色悪いですよ? 大丈夫ですか?」 「──はい。ところで、凜華さんは?」 「凜華も今、来ると思います」 「遅れました」  まだ顔色はすぐれないが、さっきよりはましになったようだ。 「大丈夫ですか?」 「はい、もう平気です」  気が付くと、凜華からねばっこい話し方は消えていた。 「次に行く所なんですが、俺から提案があります」 「どこ……ですか?」  赤井先生の顔が引きつる。 「体育館倉庫です」  その言葉を聞き、二人とも言葉を失っているようだった。 「どうしました……?」 「風太さん、そこって……神野が自殺した場所です」 ──そうだ! 逃げることに精一杯で、忘れていた。こんな重要な場所を。 「そうですね、すっかり忘れていました」 「そこに行って、どうするんですか?」  凜華の問いかけに、正直戸惑った。さっきの幻聴のことを話すべきかどうか。 「悟に、聞いたんです。体育館倉庫が隠れるにはちょうどいいと。もしかしたら、陽太がいるかもしれないと思って。それに、自殺した場所だったことを忘れていたので、尚更、行って確かめたいな……と」  幻聴のことは言わないと決め、悟の言葉を利用させてもらった。 「私はそこでいいですよ」  凜華は、全てを諦めたかのような口ぶりだった。 「僕も、そこで……」  歯切れの悪い言い方だったが、行くしかないと観念したのか、それ以上は何も言い返してこなかった。  俺たちは、一言も発することなく、体育館へ向かった。その途中、今までのことを思い返していた。    俺がここへ来てどれくらいの時間が経っているのだろうか。チャイムが鳴らなくなり、時間という概念が消え、真っ暗な宇宙に放り出されたかのように、見えない時の中を彷徨っている。  陽太とここを出ることを目標に、手がかりを探し、ひたすら生き抜いてきた。結局、はっきりとした原因も掴めていなければ、なんの手がかりも見つけていない。幻聴や、幻覚、日記が、その手がかりとして俺に与えられているとするなら、何も解き明かしていない。  ただ一つ言えることは、赤井俊介は犯罪者であり、理由はわからないが、凜華を焚きつけ、神野をいじめるよう仕向けたこと。  日記や幻覚を見る限り、いじめは美雪の介入により、予想をはるかに超えるひどいものだったが、それが自殺の直接的な原因ではなさそうだ。  卒業間近、大きな裏切りがあり、生きて行く気力を奪うような出来事が神野の身に起きたのだ。  神野が信用していたのは、陽太と赤井先生。そのどちらかが絡んでいるに違いない。消去法で考えれば、赤井先生になる。陽太は最後まで味方だったと、あきらも言っていたし、あの涙が物語っている。  そうなると、赤井先生と見て、間違いなさそうだ。  凜華を焚きつけていたことを知ってしまったのか? それなら確かに、大きなショックを受けるだろう。だが、それではまだ弱い。神野は相当強いはず。なにせ、このいじめを耐え抜いてきたのだから。 ──わからない。まだ、ピースが足りない。その最後のピースがきっと、体育館倉庫にあると、信じている……。          
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