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─30─
──神野桃花だった。
手には紐のようなものを持っている……。
俺は全てを悟り、しっかりと見届ける覚悟を決めた。神野の最期を、ひとつも逃さぬよう、注視する。
神野は落ち着いていた。もう既に、心はこの世にはないのかもしれない……そんな雰囲気を纏っていた。
天井の梁を見上げ、手に持っていた紐をそこに結ぶ。引っ張り、強度を確かめた後、その下に跳び箱を移動させた。
神野桃花は、ポケットから桃色の封筒を取り出し、床にそっと置いた。
靴を脱ぎ、跳び箱の上にあがった。
「桃花!!」
凜華が、悲鳴混じりの声を上げ、幻覚の神野へと駆け寄った。
俺は咄嗟に「うるさい! お前らが神野を殺したんだ! 黙って最後まで見届けろ!」と、怒鳴り声を上げていた。それを聞いた凛華は唖然とした表情のあと、覚悟を決めた表情へと変わった。
神野は、跳び箱の上にのぼり、ポケットから何か取り出した。
白イルカのかわいいキーホルダーだった。神野はそれを大切そうに両手で包み込み、胸にあてると、涙が頬をつたった。
神野の一連の動作は、静かでゆっくりと丁寧に行われていた。
──そして。
神野桃花は動かなくなり、この世から去った。
見届けたあと、俺は、自然と涙が溢れていた。
神野にとって、死へと向かうこの苦しみと、二年間の苦しみ、どちらが耐え難いものだったのだろうか。
確かめる手段は、もうない……。
神野が最期を迎えたというのに、幻覚は終わる気配を見せない。
──その時、誰かの走る足跡が聞こえたきた。咄嗟にドアの方へ振り返る。
勢いよくドアが開き、そこにいたのは赤井俊介だった。
「ごめん、遅れた。桃花が先生を呼んでくれるなんて、嬉しい…………な」
浮かれた声で話しながら入ってきた赤井俊介だったが、目に飛び込んできた光景に、驚愕し、立ちすくんでいる……と思ったが、すぐに、間違いだと気づかされた。
「──なんだよ。つまんねーな」
その言葉に、赤井俊介の本質を見た気がした。
この男は、究極の利己主義だ。自分の有益になることにしか興味がない。そして、その対象が自分に利益をもたらさないことがわかると、途端に興味を失くす。
しばらく、神野を眺めたあと、何かを思いついたように、辺りを見回し始めた。赤井俊介の視線が、神野の足元に向けられた時、動きが止まった。
そこには、神野がポケットから出した、桃色の封筒があった。その封筒を拾い上げ、中身を取り出した。
便箋が一枚、入っていた。これは、遺書なのか……。
赤井俊介は、表情ひとつ変えずに読み終え、一瞬、破り捨てる動作もしたが、すぐに便箋を封筒に戻し、自分のポケットに仕舞った。
そして、部屋を出て行った。
ここで、ようやく幻覚が終わった。
神野はあえて、先生を呼び出したんだ。先生が原因で死んだという現実を突きつけようとしたのではないだろうか。もしかすると、こうすることで、先生が変わってくれるという思いもあったのかもしれない。しかし、実際は──。
「おい、あれは遺書だったんじゃないのか?」
「あれを遺書というなら、遺書だろうさ」
「なにを言ってるんだ? 何が書かれていたんだよ。そして、それをどこにやったんだ!」
赤井俊介は、薄ら笑いを浮かべた。
「あれは、埋めたよ。あの木の下にな。自分で持っていても、捨ててしまったとしても、バレる可能性がある。だが、あの木の下に埋めておけば誰も掘り起こさないだろう。それに、今頃、土に帰ってるさ」
木の下に埋めた……?
──そうか。そこら中にあの木の絵が貼られたいたのは、遺書が埋まっていることを示していたのか。ずっと見つけてほしかったんだ。自分の最期の想いが綴られた遺書を、誰かの目に、触れてほしかったんだ……。
「かわいそうに……」
意識外から漏れ出した声は、シンプルなものだった。
神野は、この時をどれだけ待ち望んでいたか。誰にも死の真相をわかってもらえず、少しずつ、人々の記憶から消え去られていく……。
「陽太のお兄さん……」
凜華が、泣きはらした真っ赤な目で俺を見ている。
「どうした?」
「マットの上……」
「うん?」凜華に言われるがまま、マットに視線を落とした。そこには、先程まで無かったはずの、日記が置かれていた。
「最期の、日記だ……」
マットに腰掛け、ノートを手に取る。
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