遺恨

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─31─  二月二十三日    もうやめるいきていないほうがつらくないつらいのはもういやだだれもしんじないしんじられないぜったいしんでのろってやるゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさない  「桃花……」  凜華は口に手を当て、そう漏らした。  それもそのはずだ。今までの神野とは比べ物にならないほど、狂気じみていた。字の大きさ、筆圧、乱雑さ。  気持ちをただ羅列したようなこの日記は、張り詰めていた糸が、赤井俊介によって切られ、心が崩壊したことを表しているようだった。それと同時に、全ての感情が憎しみへと切り替えられ、憎悪に呑み込まれている……。    日記をそっと閉じた時、ノートの厚みに違和感を覚えた。ページをめくり、確かめる。 「これって……」 「玄関の鍵だ!」  赤井俊介がそう言うと、ノートに挟まっていた鍵をすぐに奪い取り、そのまま、部屋から飛び出した。  俺もすぐに立ち上がり、あとを追う。 「走れ!」  凜華に声をかけ、全速力で走る。あいつを野放しにしていはいけない。    不思議なことに、俺が走り抜けていくと、魔法が解けていくように少しずつ元の廃校舎へと戻っていく。 「元の世界へと戻っていく……」    赤井俊介が先に玄関に着いており、鍵をガチャガチャと動かしている。慌てているせいなのか、うまく開けられないようだ。 「自分だけ抜け出そうったって、そんなの許されねーよ!」 「なんで開かねーんだよ!」 「俺に貸せ!」  赤井俊介から鍵を奪い取り、鍵穴にゆっくりと差し込み、左に回す。 「──開いた」  カチャ、という音をともに、いとも簡単に開いたドアは、はじめから鍵などかかっていないようだった。  我先に飛び出した赤井俊介のあとに、俺が出る。そして、凜華が外へ出ようと一歩踏み出した時だった。  凜華が何かに引っ掛かったように止まり、突然上に引っ張られるように体が浮いた。それと同時に扉が勢いよく閉じる。凜華は、驚きと戸惑いからか、大きく目を見開き、首元に手を当てている。浮いている足をバタバタと動かし、それはまるで……首が吊られているようだった。  目玉が飛び出しそうなほど突出し、血走っている。何度も首を掻きむしる素振りを見せ、体を大きくよじらせ、半開きの口からは唾液が溢れ出す。  何度も扉をガタガタと引いてみるも、びくともしない。 ──それから数秒後、凜華は動かなくなった。  結局何が起きているのかわからず、ただ狼狽え、何もすることができなかった。  激しくもがき苦しんだ反動で、息絶えた体が、目の前でゆらゆらと揺れている……。  凜華から視線を離し、後ろを振り返ると、赤井俊介の姿が見当たらない。 「しまった!」  凜華に気を取られている間に、逃げられたのかと周囲を見渡す。  ふと足元に視線を向けた時、赤井俊介が持っていた鍵の束を見つけた。拾い上げようとかがむと、足元から白い煙のようながものが流れてきた。上を見ると、ここに来た時と同じような、濃い霧に体が包まていた。  白い霧は、不思議と恐怖感はなく、俺に安心感と落ち着きを与えてくれた。心地よいぬくもりを感じ、自然と目を閉じる。深呼吸をし、ゆっくりと目を開けた瞬間、雲の切れ間から顔を出す月のように、白い霧の中からあの、桜の木が現れた。  落ち着きを取り戻していた俺は、ゆっくりと桜の木へと向かう。近づくにつれ、木の下に、二人、誰かが立っているのが見える……。一人はどうやら赤井俊介。もう一人は……。 「──陽太!!」  陽太が立っている、陽太が……!  喜び、安堵、感動、驚き……全ての感情が一気に溢れ出し、気がつくと走り出していた。 「陽太!」 「お兄ちゃん!!」 「陽太……無事だったんだな……よかった、よかった……」  陽太の顔を両手で包み込み、小さい頃のように頭を撫でた。 「お兄ちゃん……来てくれたんだね」  陽太は俺に倒れ込むように抱きつき、声を上げ、泣いた。  陽太は小さい頃、母親に怒られるとすぐに俺の所へ近寄ってきて、膝の上に座り、泣いていた。俺はそんな時、陽太の頭を撫で、泣き止むまでいつも慰めていたんだ。 「陽太、お前、ずっとここにいたのか?」 「途中からね。みんなとはぐれたとき、化け物から逃げる為に、体育館倉庫に入ったんだよ。そしたら、神野がそこに立っていて、俺をここに連れてきてくれたんだ。だから俺はずっと安全だったんだ」  そうか……。今度は神野が陽太を助けてくれたのか。 「それで、全ての真相を話してくれたんだ。そう──ここいる、先生がしたこともね」  陽太は赤井俊介を睨みつける。 「俺も真相は突き止めたよ。神野が手がかりを残してくれていてな。それに、俺の上司から聞いたんだ。先日、前の学校をクビになってるんだよ……教え子に手を出してな」 「えっ?」 「だから、常習犯だったんだ。懲りるどころか、味をしめたんだよ」 「なんとか言ったらどうなんだよ、先生」  気だるそうに、左から右へ体重移動させながら、ポケットに手をつっこんでいる。 「ああ? なんもねーよ。どうせ殺すんだろ? だったらさったと殺せよ」  上を向き、神野に投げかけるように吐き捨てた。    人間失格……。そんな言葉が頭をよぎったとき、どこからともなく、冷たい空気が俺の肩をかすめた……。  辺りに一体に地響きが鳴り、足元から振動が伝わってきた。立っているのもままならず、陽太と俺は互いに支え合う。  地響きが一段と大きくなった瞬間、桜の木の下から地面を突き破り、勢いよく長い根が飛び出してきた。それを見た赤井俊介は、数歩後退りをしたあと、後ろを振り向き、走り出した。それを逃すまいと、長い木の根が赤井俊介めがけ、ぐんぐん伸びていく。足がもつれ、躓き、這って逃げる赤井俊介の足に、根が巻きつき、桜の木に引きずり込んでいく。うつ伏せになりながら地面を掴もうとするも、根の力に敵うはずもなく、ただ土埃だけがたつだけだった。  抵抗も虚しく、桜の木に勢いよく吸い寄せられ体を強く打ち付けた。  木の幹は、口を開けるようにひらき、そこから無数の手が現れた。赤井俊介をしっかりと捕むと、木の中へ引きずり込んでいった。断末魔とともに、骨が折れるような、鈍く、低い音が轟き、木の幹が閉じるのと同時に、真っ赤な鮮血が辺りに飛び散った。  おぞましい光景を目の当たりにし、本来なら気を失うほどのショックを受けるはずが、「哀」の感情が沸くことはなかった。これでも、一日以上はあの地獄で生き抜いてきた戦友だ。もう少し、何かしらの感情が沸いてきてもいいはず。しかし、今、胸の中にこみ上げてきている感情は「安」  これ以上、彼による犠牲者が出ることがないと思うと、安堵したのだ。私利私欲の為に、人生を狂わされる人たちが増えることなど、許されない。  
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