遺恨

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─5─  音楽室を出た俺は、次に、目の前にある美術室に行くことにした。  隣が二年生の教室なため、慎重に、音をたてないよう、ドアを開ける。  美術室は音楽室より暗く、かろうじて中が見えるくらいだ。六人が座ることができる机が六台ほどあり、絵の具の臭いが教室全体に広がっていた。  壁際にはイーゼルが並べられており、そこには絵が乗せてあるようだが、暗くてよく見えない。懐中電灯を照らし、近づき、見てみる。  三台のイーゼルには一枚づつ、絵が乗せてあった。  一枚目は、一本の大きな木の絵。その大きな木は、まるで写真のように丁寧に描かれていた。  二枚目は、一枚目と同様、大きな木の絵。しかし、全体的に暗い印象で、一枚目がカラーで二枚目はモノクロといった感じだ。そして三枚目……。  ──息を呑んだ。  地面から血を吸い上げたように見える、真っ赤な木が描かれていた。それに、二枚目までの画力がプロだとするならば、この三枚目は、就学前の子どもが書いたような絵。ただ、毒々しさだけが、この絵から伝わる。  今はまだわからないが、きっとこの絵も、何か意味があるのだろう。  それにしても、この部屋の絵の具の臭い、入って来た時より、キツくなっているように感じられる。頭が痛くなってきた……。早く出た方がよさそうだと思った俺は、ドアの方へと向かった。そして、ドアに手をかけた時だった。  背後で、かさっ、という音がした。一瞬で背中に緊張が走り、ゆっくり振り向く。近くの机から音がするようだ。  恐怖で、今すぐに部屋を出たい気持ちと、陽太だったら……という思いがせめぎ合い、逡巡する。  しかし、気になる……。意を決し、机の下を覗く……。 「あああああ!」 「……ああああ!」  お互いの声に驚きパニックになる。 「だ、だれ?」 「き、君こそ」  そこにいたのは見知らぬ青年。おそらく、陽太の同級生だろう。  その青年は髪が長く、うしろで結んでいた。体が大きく、机の下できつそうにしている。驚きはしたものの、生身の人間に会え、内心ほっとしている。 「俺は、陽太の兄、五十嵐風太だ。弟を助けに来た」 「陽太の? 陽太、いました?」 「い、いや、まだ会えてないんだ……」 「そうか……殺られてなければいいけど」 「殺られる? もしかして、誰か殺られているのか?」 「はい、俺の目の前で……。それに、陽太とは途中まで一緒に行動していたんです。でも、化け物に襲われて逃げているうちに、はぐれちゃって……」 「そうか……」  既に殺された人がいると聞き、死の足音が近づく。だが、確実に陽太は生きていた。大丈夫だ、陽太ならきっとうま逃げているはずだ。 「化け物は今、教室の中にいるみたいだけど……」 「はい。またチャイムが鳴ったら、あいつら出てきます。その繰り返しです」  やはりそうだったか。 「授業時間は、現実と同じなのか?」 「──時計見ました?」 「え……?」 「この学校に入ってから、スマホも使えないし、時計も止まっているんですよ」  なに? 全く気付かなかった……。腕時計を見てみると、だいぶ前に止まっている。この時間だと……霧の中に入った頃だ。あの時から、もうすでにおかしくなっていたのか。 「でも、感覚的に同じくらいの授業時間なので、そろそろだと思います」 「そうか……参ったな」  これはいつまで続くのだろうか。彼たちは今の状況を二日も続けているんだろ? よく正気を保てているな……。 「そういえば、まだ名前聞いてなかったよね」 「あ、そうでしたね。俺、あきらです」 「あきらくん、君たち、こんな所で二日間もよく耐えてるな」 「えっ! 二日しか経ってないんですか? 体感ではもう、一週間位、ここにいるように感じますよ。──正直もう、限界です。何度も死にそうになりましたし。だからいっそのこと、餓死で死んだ方がましだって思うんですけど、この中だと不思議とお腹も空かないし、喉も乾かないんです」 「──それじゃ、一生ここで逃げ続けるか、奴らに殺られるしかないってことか……」  まさに、生き地獄。 「そうだ。今回のいきさつを教えてほしいんだ」 「いいっすよ。確か、一か月前くらいに同窓会の案内状が来たんです。それで、幹事が神野になってて、いつまでくだらないことやってんだろって思いながらも、友達が出席するって言うんもんで、俺も行くことにしたんです。でも、場所が廃校だったんで不気味な所でやるんだなって。それで当日、友達三人でここに来たんですけど、途中から霧がひどくなって、気づいたら学校に着いてて……」 「同じだ。俺もそうなんだ。霧で見えなかったんだけど、気が付いたら目の前に学校が……」  霧が、ひとつのポイントになっているのか。 「とりあえず学校に入ろうってなって、ドアを開けようとしたんですけど、なぜか開かなくて。それで、みんなの到着を待ったんです」  そうか。はじめは開かなかったのか。 「ということは、全員が到着したら開いたってことなのか?」 「はい。さっきまで開かなかったドアが、不思議と開きました。それで、入る前に、結局誰が幹事なんだ? ってなったんです。そしたら、そこにいた全員が幹事じゃないとわかって。何かがおかしいと思いながら、学校に入ったんです。あの時に引き返していればこんなことにならなかったのに……」  やはり、幹事は本当に神野桃花だったんだ……。 「それでもはじめは冗談とかどっきりとか、そういう類のものかと思っていたんです。でも、化け物が出てきて、それがあまりにもリアルで。最初の犠牲者が出たことで、さらにパニックが広がり、バラバラに逃げてしまって……今に至ります。でも少しずつわかってきたこともあって……」 「わかったこと?」 「はい。幹事は本当に神野だったこと。そして、これは神野の復讐だということ。全ては神野が引き起こした現象なんです」  薄々、気づいてはいたが、やはり皆その解釈なのか。 「あと、化け物や、幻覚は全て神野のいじめに関するものだと思います」 「一つ聞きたいんだが、神野に対してのいじめとはそんなにひどいものだったのか?」  あきらはすぐには答えなかった。少し黙ったあと、言い訳を交えながら答えた。 「俺の知ってる限りでは……ひどいものだったと思います。だけど、俺はほとんど加担していません」 「でも、見て見ぬふりをしていたんだろ?」 「……はい。神野が死んでから、後悔しました。遅いですけど……」  いじめとは、直接的なことだけではないのだ。見て見ぬふりも、立派ないじめ。まだわからないが、実際直接的ないじめをしていたのは限られた人数だったはずだ。それを見て見ぬふりをして、誰も助けようとはしなかったのだろう。それは、自分が巻き込まれることが恐いからだ。しかし、それは仕方のないことなのかもしれない。誰もがいじめられたくなどない。心理的に、誰かがいじめられていれば、自分に回ってくることがないと、安心するのだ。  ふと、陽太はどうだったのだろうと思った。あの日、流していた涙を見ると、助けたくてもできなかった悔しい気持ち、後悔の気持ち、自分を責める気持ち……。色んな感情が入り混じった涙だったのではないかと思う。  あきらが少し怯えた声で言った。 「そろそろチャイムが鳴りそうですよ……」  あきらの言う通りに、チャイムが鳴りだした。それと同時にあきらはまた机に下へと隠れた。 「そこで大丈夫なのか?」 「ここでしばらくやり過ごしているので、たぶん」  そう聞き、俺も隣の机の下に隠れようとしたときだった。 「助けて!」  突然、荒々しくドアが開き、白のレースが特徴的な、ロングのワンピースを着た、青白い顔の女性が入ってきた。 「お、おい……」  彼女を通り越した視線の先に、蠢く何かが、今にも襲いかかろうとしていた。 「後ろ!」  俺は反射的にそう叫んでいた。 「きゃあああ!」  彼女は転びながら、這いつくばりこちらに近づく。  俺は、どうしたらいいのかわからず、とりあえず彼女を机の下に隠した。  目の前にいる化け物は、顔から下が大きく膨らんでおり、腹が黒く、渦を巻いている。そこから、タールのような黒いどろどろとしたものが垂れだしていた。その腹に、手を突っ込み、腸のようなものを自らひっぱり出している。その顔はもがき苦しむ、苦悶の表情……。まるで痛みを感じているようだった。  あきらが机の下から顔を出し、突然叫んだ。 「ななみ!」  ななみ? 「目のにいる奴、ななみなんだ……さっきまで一緒にいたんだ。さっきまで……」  何? さっきまで一緒にいた女性がこの化け物に?   そして、目の前の化け物がこちらに近づいて来る。もう、机の下に入っても意味がない。  どうする、どうする……。 「た……す……けて」  え……? ──たすけて? 「た、たす……け……たすけてー!」 「あああああ!」  化け物が、泣きながらこちらに走ってきた。机の下にいる二人も慌てて飛び出し、逃げる。  しかし、二人は部屋の奥に逃げてしまい、追い詰められてしまった。幸い俺の方には来なかったので、入口の外に出ることができた。  俺は二人を逃がすため、化け物の注意を引こうと「おい! 化け物、こっちだ!」と叫びながら、ドアを叩き音を立てた。  それに反応した化け物は、ゆっくりとこちらを振り向いた。 「今だ! こっちに来い!」  二人は走って化け物を追い越し、ドアの方へ向かって走ってきた。それと同時に化け物は二人を追い、ドタドタと走り出す。二人は間一髪、廊下へ出ることができ、ドアを強く閉めた。 「おい! なにか棒みたいなものはないか! 探せ! 探せ!」 「ちょっと待って!」  そう言うとあきらが隣の教室に入っていった。 「おい! そこの女性! このドアを抑えるの手伝ってくれ!」 「──は、はい!」  すぐに、あきらはモップを持ってきた。 「──よし!」  とりあえずモップで、引き戸を横に滑らす動きを止めた。 「これも、すぐに壊される。どこかに逃げよう。どこかいいところはないのか?」  二人とも、「そんな所はない」といったような顔をしている。そして次の瞬間、その顔が真顔になった。 「う、うしろ……」  女性が俺の後ろを指さし、青ざめている。 ──振り向く。  まただ! 顔に、虫の羽が無数に刺さっている、あの、身の毛もよだつ化け物。しかも、パッと見るだけでも五体はいる……。 「あ……あ……」  恐怖と絶望で誰も声を出すことができない。  一歩、また一歩と三人は後ずさりをし、どんどん端へと追いやられ、壁がすぐそこに迫っていた。  美術室のドアも壊され、ななみの化け物も出てきた。 「どうするの! ねえ! どうするのよ!」  どうする、どう切り抜ける……。        
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