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─6─
──チャイムだ、チャイムが鳴った。
一斉に化け物たちが教室へと戻っていく。
「助かった……」
安堵していると、先程出会った女性が、あきらに向かって怒りだした。
「ちょっと、あんた! さっき二階で私を囮にして逃げたでしょ!」
「そんなことしてないよ! むしろお前だろ! 俺を奴の前に突き出して逃げたのは! 俺のせいにすんなよ!」
「なによ! 昔はいきってたくせに、随分と弱虫になったじゃない。まあ、昔から、逃げてばっかりだったかしらね」
「お前に何がわかるんだよ! 俺は変わったんだ! 神野のことがあってから変わったんだよ! もう後悔はしたくないからな!」
あきらは、神野のいじめの件を悔やんでいるようだった。それに比べ、この二十歳とは思えない、色香を漂わせた女性は、外見と中身が合っておらず、ちぐはぐのようだ。当時を知っているわけではないが、成長しているとは思えない。
「おい、お前ら、今はそれどころじゃないだろ。とにかく今は、出られる手がかりを探したり、隠れられる所を探すのが先じゃないのか?」
「──確かに、そうですね」
あきらはすぐにそう答えた。
「っていうか、あんたは誰なのよ」
まだ興奮気味の女性が、今度は俺に突っかかってきた。
「俺は五十嵐陽太の兄で、風太だ」
「あー、陽太のね。ふーん……」
何か、意味ありげな返しで、少し気にはなったが、話が長くなりそうな気がし、そのまま話を進めた。
「俺は弟を探しにきたんだ。だから何が何でも弟を連れてここを出る。だから何か手がかりになるようなものを探す」
「俺も手伝います。というより、俺も一日も早く出たいんで」
「ありがとう」
結局、女性は何も言わなかった。名前さえ名乗らず、俺も聞く気にもなれなかった。
次に向かったのは職員室前にある図書室。
今度こそ、何か手がかりになるものがあればいいのだが……。
「図書室に入ろうと思う」
「わかりました」
静かにドアを開ける。
中は、広々とした利用しやすそうな図書室だった。本棚もたくさんあり、本もぎっしり入っている。
真ん中には机が何台か置いてあり、そこで本を読めるようになっていた。
その机を囲むように本棚が並べられている。他には、壁際に一人用の机やソファもあり、充実していた。
「ずいぶん、過ごしやすそうな図書室だな。俺がいたときとは大分変わっているような気がするんだが」
「はい、校長が変わってからなんです。その校長が読書の時間を作るようにとのことで、ゆっくり読めるスペースを設けたんです。俺も結構利用していました」
いい方針だと思う。大人になってから読書が大切だとつくづく実感している。
ふと横を見ると、女性がなにやら落ち着かない様子だ。
「何かあったのか?」
「う、うるさいわね。何もないわよ!」
なんでこの女性はこんなに反抗的なんだ?
「お前、借りた本、返すのを忘れてて問題になったとき、神野に押し付けたらしいじゃないか。だから仕返しが怖いんだろ」
「な、なによ! あんたに関係ないでしょ! それにあれは桃花が盗んだのよ!」
「お前、何年経っても変わんねーな。可哀そうな奴」
あきらがそう言うと、耳を真っ赤にして怒鳴った。
「あんただって大概じゃない! 見て見ぬふりして、逃げたでしょ!」
「だから、後悔してるって言ってるじゃないか! ──ななみじゃなくてお前が殺されればよかったんだよ!」
「あんたなんにも知らないのね! ななみは外面だけよくて、腹黒いから殺されたのよ!」
腹黒い……。その言葉、なにか引っ掛かる。腹黒いななみがやられた……。腹黒いななみが……。
「あっ!」
あることに気づいた俺はつい、大きな声を出してしまった。
「何よ! 驚かさないでよ!」
「どうかしました?」
「ああ。君たちは気づいているかもしれないが、さっきの化け物、ななみって言っていたよな? それに、今、君は腹黒いと言っていた……。たぶん、あの化け物は殺された人間の性格を表していたんだよ!」
「性格を?」
「ああ。さっきの化け物、腹が黒かっただろう?」
「言われてみれば……そうかも」
血の付いた上靴といい、さっきの化け物といい、何か関連があるはずだ。全て神野桃花に関連づいているのは間違いないとは思うが。
「俺は、もう少し手がかりがないかここで探す。君たちは休んでてもいいが、離れない方がいい。なるべく一人にならないほうがいいと思うんだ」
「はい。俺も何か探してみます」
女性は相変わらずふてぶてしい顔をして、椅子に座り、足を組んだ。
手がかりと言ってもな……。何を探せばいいのかさえわからない。そもそも出る方法なんてあるのだろうか。
とりあえず、懐中電灯を照らしながら本棚を見ていくと、入口側にある、棚の一番下の段に、何も書かれていないノートが入っていた。
妙に気になる……。
ノートを手に取り、少し明るい場所に持っていき、見てみることにした。
「これは……」
ノートはシンプルなものだった。俗に言う、大学ノートといったものだ。
一枚めくると、『神野桃花』と、横文字で、右下に書かれていた。
当たりだ! 宝物を見つけたような興奮を覚えたが、その気持ちを抑え、また一枚めくる。
すると『いじめが始まった日』と、赤い字で、今度は真ん中に書いてある。
「日記か……?」
窓の外を見ていたあきらをすぐに呼んだ。
「日記ですか? こんなもの、どうしてここに……」
困惑するあきらと一緒に、次のページへと進む。
八月十八日
夏休みが終わって、一日目。突然、誰も口をきいてくれなくなった。どうしてだろう。私、何かやったかな
夏休み開け早々に、始まったのか。理由もわからず、突然、無視をされ、どれほど困惑したか……。
まだ、ここから始まる本当の地獄を彼女は知らないのか。
八月二十日
これはいじめだと思う。話かけても、無視。話してくれたとしても、最低限のことしか話してくれない。親友だと思っていた凜華も、無視。こっちも見てくれない。せめて、私が何をしたか教えてほしい
日記は短い文章だったが、沈痛さは伝わってくる。
遺書もなく、皆が口を割らなかったため、いじめの理由は未だにわかっていない。同窓会の意図はそこにあるのかもしれない。
九月一日
ひどい。ひどすぎる。朝、教室に入ったら、私の机の上に白菊が置いてあった。ひどいよ。私が何をしたって言うの。放課後、赤井先生に話したら、驚いていた。みんなに話してみると言ってくれたが、今回は断った。これ以上ひどくなりたくないから。明日からどうしたら……
「お前ら、こんなひどいことやっていたのか?」
軽蔑する目で、あきらを見た。
「い、いや、俺は……」
あきらは、ばつが悪そうな顔をしている。過ぎたことをいつまでも言うのはよくないと思ったが、黙ってはいられなかった。
とうとう、始まったのか……無視以外のいじめが。これが、一年以上も続くのだから恐ろしい。
いじめていた奴らはよく、一年以上も自分たちの間違いに、目を背け続けられたものだ。中学生だからといっても未熟すぎるだろ。善悪の区別もつかないのか?
──気が知れない。
日記は、ここで終わっていた。この続きがどこかにあるのかもしれない。もう少し図書室を探してみた方がよさそうだ。
「──チャイムだ!」
静かな図書室に、授業の終わりを告げるチャイムが鳴り響く。
「チャイムだ! 来るぞ!」
あきらと女性は机に下へ、俺はすぐ移動できるように、とりあえず本棚の後ろへ隠れた。
教室のドアが開く音がする。どうやら、奴らは徘徊しているようだ。
一度、足音が遠くに行ったかと思ったら、すぐに戻ってきた。そして──。
図書室の前で止まった。固唾を飲み、足音に集中する。
ドアが開いた……。
「ブン」と、羽の音がする。
またか──。またあいつらが徘徊してやがる。あいつらは常に徘徊し、見回り担当といったところなのかもしれない。しかし、そいつらは少し見渡しただけで、すぐに出て行った。だが、違う音がする。
「カサカサ」
なにかが走り回っているような……足音がする。
──今度はなんだ?
すると、ぴたっと足音が止まった。それと同時に、あきらと一緒に隠れていた女性の叫び声がし、慌てて本棚から顔を出す。
「やめてやめてやめて!」
そこには、四つん這いになり、机の下から女性を引っ張り出そうとしている化け物がいた……。
──ねずみ。
大きさは、人間並みに大きいが、あれはねずみと言っていいだろう。
体に毛はなく、皮が弛んでおり、薄いピンクグレーのような色をしている。しかし、顔は人間の女性……。長い髪の毛を前に垂らし、少しだけ見える、退化し濁った目と、異常に長い歯……。
──醜い。
そのねずみの化け物が、女性の肩をかじり、机の下から引っ張り出す。暴れる女性を前足で抑え、首元の肉を引きち切るよう食べている。前歯が刺さる度にピュッと血が飛び出す。
隣で動けなくなっていたあきらに、血が飛び散ったとき、パニックに陥ってしまった。
「あ、あ、ああああああああああ!」
あきらは、床に広がる血に足を滑らせながら、机の下から飛び出し、図書室を出て行った。
俺は、あきらも女性も助けることができず、ただただ、本棚の隙間から一部始終を見ていた。
──見ていたというより、目を離すことができなかった。
体は、助けたいという気持ちより、「身を守れ、動くな」という脳の指令が優先され、身動きひとつとれなかったのだ。
はじめは、叫び、暴れていた女性だったが、次第に動かなくなっていった。
そして、それと同時にチャイムが鳴り、また、安息が訪れた……。
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