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プロローグ
彼女の名はアナベル。永き時を生きている魔女だ。
見た目は『人』でいうところの二十歳前後くらいだが、実年齢はそれに十をかけた数……つまり、二百歳になる。
『迷いの森』と呼ばれる、周囲を濃い瘴気に覆われているため何人たりとも立ち入ることのできない場所に、師と二人でひっそりと暮らしていた。
アナベルの師は年齢の割に我が儘で子供っぽく、同居生活はかなり大変だったが、毎日はとても充実していた。
しかし、つい先日、六百歳の天寿を全うした師が旅立つ。
アナベルへ「これから人と交流を持ち、見聞を広めよ!」との遺言書を残して。
アナベルとしては、これからも森の中で師を偲びながら一人で生きていくつもりだったが、遺言に従い生まれて初めて森の外へ出ることを決意する。
師も今の自分と同じ年に百年間ほど世界各地を転々としていたようで、その頃の話をよく聞かせてくれた。
四百年も前のことなので、現在とは人の事情が異なっているかもしれないが、アナベルに不安はない。
せっかく外へ出るのであれば師の言葉通り見聞を広めようと、悲しみの中で前を向いたのである。
長年暮らした家は大した広さがなかったこともあり、必要物資はすべて空間魔法で作り出した収納へ入れてあったため、持ち出す荷物はほとんどなかった。
森の中では自給自足の生活だったが、人の世界ではお金が必要となると聞いていたので、それを獲得するための手段も考えてある。
今まで使わずに置いてあった魔物の素材や薬草で作ったポーションを売り、生活を営んでいくつもりだ。
◇
迷いの森の中を歩くこと十日。アナベルは、ようやく外に出ることができた。
森の中は鬱蒼と木々が生い茂り昼間でも薄暗かったが、森の外は日が差し込みとても明るい。
目がこの明るさに慣れるまでに少々時間がかかりそうだが、気分はどんどん高揚してくる。
日が落ちる方向へ歩いていけば人が暮らす集落があると師は言っていたけれど、大昔の情報なので鵜吞みにはできない。
(もし集落が無かったら、その時に考えよう……)
あまり深く考えず、アナベルはそのまま歩き続ける。
途中で様々な魔物に出くわしたが、全て彼女の食材と素材になった。
アナベルがそんな旅を半月ほど続けるうちに、周囲にポツポツと人家が増えてきた。
◇
「そこの綺麗な姉ちゃん、これから俺たちと飲みに行かないか?」
この集落の一番の繁華街と思われる場所で宿を探していたアナベルは、見るからに柄の悪そうな男二人組から声をかけられる。
魔法の思念伝達で、彼らの言葉が理解できることは確認できた。
でも、まさか、こんなにも早く師が懸念してた事態に遭遇するとは……思わず大きなため息が出た。
師の遺言書には、アナベルが必ず守るべき注意事項も記載されていた。
【一、絶対に、魔女と気づかれてはならない】
歴史を遡れば、魔女が人から迫害を受けてきた時代もあったようだが、師が旅していた頃には、迫害ではなく利用されていたのだという。
特に貴族に知られれば、『一生飼い殺し』もしくは『一生籠の中の鳥』だと怖い顔をした師から言われ、アナベルが『貴族には、絶対に近づかない!』と心に刻んだことは今でもはっきりと覚えている。
【二、人前ではベールで顔を隠すか、見目を年嵩もしくは幼く見えるよう変身をし、生活をせよ】
師によると、魔女はその魔力の影響で人の男性から好まれやすいのだとか。
過去に迫害されるようになったのも、一人の魔女を巡って時の権力者たちが争い国が傾いたことが発端らしいので、貴族に籠の鳥にされてしまうのもこれが理由と容易に想像ができた。
見た目を、老婆よりも行動のし易い少女に変身をするつもりのアナベルだが、その姿では宿の予約も素材の売買をするための冒険者登録もできなことを知っていたので、まだ本来の姿のままだった。
手続きを終え次第姿を変えようと思っていたのに、いきなり最初から躓いてしまう。
「いいえ、結構です。では、先を急ぎますので失礼します」
「おい、ちょっと待てよ! あれ? 足が……」
二人組は足早に立ち去ったアナベルを追ってこようとしたが、当分そこからは動けないだろう。
なぜなら、アナベルがこっそり魔法で足元を固めておいたから。
氷で固めているだけなので、時間が経てば溶ける。
凍らせたのは靴底だけだから、足に影響はないはずだ……多分。
男たちが靴を脱いでまで追ってこないことを確認したアナベルは、悠然とこの場を立ち去ったのだった。
◇
翌日、宿で朝食を済ませたアナベルは、さっそく変身魔法を使う。
部屋の姿見に映っているのは、十歳くらいの少女。
着ている服は、昨日街の古着屋で購入した大人用の冒険者用の服を、体の大きさに合わせて魔法で小さくしたものだ。
万が一にもないが、もし魔力切れで本来の姿に戻ってしまったとしても、服も元の大きさに戻るので裸になってしまう心配はない。
世界各地を旅していた師も行く先々で多くの男性に言い寄られた経験を持っており、それを避けるために男性に変身をしていたが、アナベルは子供になることに決めた。
これならば、姉妹という設定で状況に応じて大人と子供を使い分けられる……そう考えたのだ。
今日は、冒険者ギルドへ再び行くつもりだ。
冒険者登録と、当面の生活資金を得るため素材を売るだけなのに、昨日はギルド内で周りの男性から次々と声をかけられて非常に大変だった。
それを避けるために少女の姿になってみたのだが、結果は驚くべきものだった。
男性は誰一人としてアナベルに関心を示さず、見向きもしない。
(これは、良いかも!)
嬉しさで走り出したくなる気持ちを抑え、アナベルは受付へと向かう。
こうして、アナベルは五十年もの間各地を転々としながら、今まで使わずに溜めてあった素材や薬草で作ったポーションを売り、同時に冒険者として活動をしながら生活を営んでいった。
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