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塾が終わるのは二十一時。
自転車の前かごに重いリュックを入れ、夜の大通りを走って帰る。
学校へ行き、部活をやって、塾に行く。ぼくの毎日は変わらない。
塾への行き来に使う自転車は、母さんが昔使っていたママチャリだ。
帰りは、遠回りでも大通りから帰る。
「夜は危ないから、明かりの多い道を通りなさい」というのが、母さんの言いつけだ。
別に守らなくてもバレやしないが、万が一裏道を通って事故ったら、ぼくの葬式で母さんは心の底から悲しめないだろうし、なによりぼくの人生にケチがつく気がする。
それにこの時間は車も少なく、まっすぐな車道を飛ばしていけば、裏道とそんなに変わらない時間で家に着くことができる。
ついこのあいだまでのぼくは、大通りを全力で走って、一分一秒でも早く家に帰りたいと思っていた。
最近はそうでもない。
じいちゃんが一緒に住むようになったのだ。
ばあちゃんが認知症になって、老人ホームに入ったのがきっかけだった。
父方の祖父である神田のじいちゃんは、昼間からお酒を飲んで、競馬新聞を読み漁る日々を送っている。
ぼくがいやなのは、四六時中、愚痴を言ってばかりいるところだ。
昔の知り合いの悪口を言い、テレビのニュースにむかって文句を言う。
ばあちゃんには「まともに会話できん」といって、会いに行こうともしない。
しかし神田のじいちゃんにそれを言ったら〝同じ〟になるから言わない。
ぼくは母方のおじいちゃんの方がだんぜん好きだった。
細身でしわのよった顔は一見怖そうに見えるが、初孫であるぼくをかわいがってくれていた。
病弱だったおばあちゃんはぼくが生まれる前に亡くなっており、遠い田舎にひとりで暮らしていた。
会えるのは年に一回ぐらいだったが、夏休みにおじいちゃんの家に遊びに行くのは好きだった。
農家だったおじいちゃんは、畑にできたトマトやきゅうりをとって、トラックの荷台でそれらを食べさせてくれた。
とれたての野菜はおいしかったし、トラックの荷台に乗るのは楽しかった。
おじいちゃんはお酒を飲まない人だった。
口数は少なく、愚痴を言うところなんて聞いたことがない。
ぼくはそういう大人に憧れている。
おじいちゃんは去年、自宅で倒れた。
脳卒中で見つかったときにはもう息がなかった。
五歳年上の神田のじいちゃんは、健康に気を使わず、生活習慣病のオンパレードだが、あんなに元気に生きている。
世の中、理不尽だと思う。
そんなことを考えて夜道を走っていると、自転車の前輪が宙に浮き、ぼくは暗闇の中に落っこちた。
後々分かったことだが、道路の下に埋まった水道管は老朽化で破裂していた。漏れた水で地面がゆるんで、縦横四メートル、深さ二メートルの穴が開いていたのだ。
道路は音もなく壊れていた。
壊れたことに誰も気づいていなかった。
ぼくは知らずにその穴に向かって自転車を走らせ、自転車ごとすっぽり穴に落ちたのだ。
落ちた後、ぼくは意外と冷静だった。
なぜ穴があるのかなんて考えなかった。
けががなかったので、ぼくは足をあげ、サドルに両足を乗せて立ち上がる。
ぼく自身は穴から脱出するのは簡単でも、自転車を引っ張り上げるのは無理そうだった。
地上にあがってすぐに、警察と救急車がやってきた。
歩道を歩いていた通行人が電話してくれていたらしい。
自転車をそのままに、ぼくは無理やり病院に運ばれた。
検査の結果、特に異常はなかったが、念のため、ぼくは一日だけ入院することになった。
事故の連絡の入った母さんは血の気をなくして病室に駆け込んできたが、ドアをあけるや否や、ため息をついた。
そのときぼくは、院内のコンビニで買いこんだスナック菓子をほおばり、スマホで動画をみていたからだ。
病院のベッドの中で、ぼくは穴に落ちたママチャリのかわりに、クロスバイクのかっこいい自転車を買ってもらうことを思いついた。
事故が理由ならば、母さんの財布の紐もゆるむに違いなかった。
けれど次の日、警察の手で穴から救出されたママチャリは、前かごがゆがんだだけで、無事ぼくの家に届けられてしまった。
塾が終わり、くねくねとした暗い裏道を通って帰る。
大通りは穴を埋める工事でしばらく通行止めになっている。
事故後も、ぼくの毎日は変わらなかった。
神田のじいちゃんは、あいかわらず昼間から酔っぱらってうるさいし、おじいちゃんとの思い出は、変わらず胸の奥に大切にしまってある。
だけど、道が壊れてから、ひとつだけ変わったことがある。
ぼくは気づいていないことだ。
「明日の授業だるいな」
ぼくは愚痴をいうようになった。
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