Ⅳ ネトラの髪飾り

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Ⅳ ネトラの髪飾り

「ネートラッ」  食事と風呂を終えたネトラの西の部屋に、一人の客が訪れた。彼女の姉代わりを務めるこの家の長女、アメニアである。  ジャフリー星工房は、主に、ラーヘルを主人とした家族で構成されてる。妻のミーシャと三人の子供たち。上から順に、カリム、マドゥル、そして末っ子にして唯一の女の子アメニアだ。  彼女は、部屋の隅にある椅子を二つ並べ、片方に自分が座ると、ネトラに向かってもう片方の椅子を叩いた。ネトラがそこへ腰を下ろす間に、アメニアは抱えていた籠から道具を取り出す。  七年前、ネトラがこの家にやって来た時から、面倒見の良いアメニアはまるで実の姉のように、別の言い方をするならば友達のように、ネトラの世話を焼いた。年齢としては二歳しか変わらないが、彼女は大人びていたから、ネトラにとってははっきりと「姉」だった。  その頃からアメニアは、風呂が終わった後にネトラの部屋にやってきて、髪を整えてくれている。手先が器用なので、ネトラも気持ちよく身を委ねる。 「あ、ネトラ、今日はなんか違う紐だね」  横の髪を束ねていた紐を解いたアメニアが声を上げた。 (そういえば、今日は母さんからもらった紐にしてたんだ)  髪紐をしげしげと眺めたアメニアは、紐の一部に付けられたガラスのような宝石をランプの明かりにかざした。 「可愛い!」 「そう?」 「うん。とっても可愛いよ。ネトラがこんなの持ってたなんて知らなかった」 「昔、母さんにもらったんだ」 「へえ。この、宝石かな? これが、綺麗」 「ああ、それ、星なんだよ」 「え、そうなの?」  そうだよ、と頷きながら、ネトラはアメニアから髪紐を受け取った。 「母さんが作ってくれた星なの。ほら、母さんの星だから、もうただの石になってるけど」  星には種類がある。永久性の星と、瞬間性の星だ。永久性の星は、その輝きをずっと保つことができる。多少経年劣化はあるものの、その光と、そこに込められた力は消えることなく宿り続ける。  一方瞬間性の星は、一瞬しか光らない。無論、作り手によってその「一瞬」には差があるが、いずれにせよ長くは持続せず、時間を経れば経るほど力が弱くなっていく。ただしその代わりのように、瞬間性の星は永久性の星よりも美しく明るく輝き、大きな力を発揮する。  ネトラの父と母という人も、星作りの職人だった。しかし職人としての二人の性質は両極端。  父はその性格のごとく、穏やかに、静かに光り続ける永久性の星を。  母は、天性の気性の荒さ同様、爆発するような力を秘める瞬間性の星を。ネトラの髪飾りに使われているのは、彼女の母が自分の娘のために作った星だった。 「ああ、そっかあ。ラナータさんの星だもんね。すごいなあ。輝きのピークを過ぎても、こんなに綺麗なんて」 「……うん。本当だよ。これを作ってもらったのはたぶん、私が三歳や四歳の頃だから」  それは、この家ーーすなわち、いとこであるアメニアやマドゥルやカリムの住む家に、ネトラが引っ越すことになる前の話だ。  あと一週間もすれば十三歳になるネトラが三歳の時と言えば、もう十年ほど昔に遡る。それほど長い間、瞬間性の星がその形と光の余韻を保っているのはごく希少なケースと言えた。  それは、ネトラの母ラナータの、彼女にしか与えられなかった才能による賜物だ。  ラナータは、この町にあるただひとつの星工房、すなわちジャフリー工房の次女として生まれ、兄であるラーヘルを軽々と凌駕する作星の能力を持っていた。もはや天恵としか言い様のないその圧倒的な才能は、彼女の名を大国中に広めても尚十分にお釣りが来た。やがては王族からの依頼をも引き受けるようになった彼女に結婚話を持ちかけたのが、他でもない、後にネトラの父となる人だったわけである。  そうして生まれたのがネトラだ。  天才と言われた両親を持つ、でき損ないの星職人。 「はい、できた」  櫛で丁寧に髪をすき終えると、アメニアは満足そうな顔で立ち上がった。ネトラは自身の髪に触れ、アメニアの技術の高さにいつも通り、感心しながら、ネトラは彼女に頭を下げる。 「ありがとう、姉さん」 「ふふ、誕生日の日には、凝った結い方にしてあげるよ」 「本当?」 「うん。ああ、そっか、あと一週間だもんね。もう少しだなあ。それまでに、どんな風に結ぶか考えとかないと」  そう言って思案し始めるアメニアに、ネトラは曖昧に微笑んだ。 「それも嬉しいけど、姉さん、仕事の方も頑張らなくちゃいけないでしょう? 気を取られて、おろそかにならないようにね」 「大丈夫よ。そこのところはね」  アメニアはネトラに笑って、それから、じゃあねと手を振った。 「おやすみ、ネトラ」 「うん、おやすみ、姉さん」  彼女に手を振りながらネトラは、胸が潰れそうに痛むのを感じていた。  あと一週間と、アメニアは言った。それはもちろん、ネトラの誕生日まで、ということもあるだろう。けれど、それだけではない。先ほどの、無理に笑ったようなアメニアの顔を思い出しながら、ネトラは心の中で呟く。 (クラストさんが行ってしまうまで、あと一週間)  ジャフリー星工房の面子が一人、欠けるのだ。そのことを、仕事仲間であるカリムやマドゥルやアメニアは、どう感じ、その感情とどのように対峙しているのだろう。 「……寂しいよ」  思わずこぼれた声に返事をする者は、一人きりのこの部屋にはいない。部屋が、急に広く思えた。 (大丈夫、大丈夫だから、落ち着くんだ)  なにが大丈夫なのか自分でもわからないまま、ネトラはランプの灯りを落とし、暗い部屋の中、ベッドの上でぎゅっと膝を抱えて眠りについた。
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