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アンスリウムが目を覚ますと水槽の中にいた。
「目を覚ましたみたいだな性悪妖精」
そう言ったのは狼男だった。アンスリウムとは別の水槽に閉じ込められている。
「これでお前も終わりだぜ。ここに閉じ込められたらもう逃げることはできないんだ。魔力を吸い取られて溶けて死ぬだけだ」
狼男は何故か偉そうに言った。
それが本当なら狼男も死ぬだけだろうに。
「まぁ、まぁ、落ち着いてくださいな」
そんな狼男をなだめたのは、また別の水槽に捕らわれていた天使だった。ニコニコと微笑んでいる。
水槽はアンリウムが捕らわれているものを含めて全部で6つあった。
その中にはそれぞれアンスリウム、狼男、天使、ドラゴン、精霊、ハーピーの6体が捕らわれていた。水槽は六芒星の頂点に置かれ、中央には木彫りの人形が置かれていた。人形は椅子にちょこんと腰かけている。最初はもっと人間に似せて作られていたのではないかと思われるのだが劣化が激しく出来損ないの人形にしか見えなかった。
「…」
元気なのは狼男と天使だけだった。ドラゴンは目を閉じたまま身じろぎ一つしない。精霊もう半分溶けているのか元からそうなのか透けてしまっていて目を凝らさないといるのかいないのかもわからない。ハーピーにいたっては白目をむいて水槽の中をただよっている。明らかにやばい状態だった。狼男の話が本当なら、アンスリウム達はここで魔力を吸い取られて死ぬことになる。ハーピーはもう魔力も尽きかけているということだろう。魔法陣の形から考えて吸い取られた魔力は人形に貯められる仕組みの用だった。
「まずは自己紹介をしましょう。私はノエルと言います」
だというのに天使は能天気なものだった。自己紹介を始める。天使はノエル。狼男はノルド。ハーピーはモズという名前らしい。ドラゴンと精霊は名前は分からないらしい。
「いつも言っているが名前を軽々しく教えるものじゃない。相手に支配される」
精霊が感情のこもっていない、頭の中に響くような声で言った。透き通っていてよく見えないが精霊もそれなりに元気なのかもしれない。
「考えすぎですよ。真名を教えなければ大丈夫だとおじさまが言っていました」
おじさまというのはドラゴンのことを言っているらしい。ノエルが相変わらずニコニコしながら言った。
「俺はそんな話聞いたことないが? 」
ノルドが憮然として言った。
「真名って何だ? 俺の名前はノルドだけだ」
「一つしかないならそれが真名なのだろう。所詮魔物だからな。だから支配もされやすい」
「なんだと! 」
ノルドが精霊を威嚇するが水槽で隔てられていては無駄だった。
「軽はずみに名前を教えてはならない。教えたら、特に自分の口から真名を語れば支配される。精霊や妖精、悪魔など精神体に近い存在にはその法則が強くあてはまる。狼男や人間のように物質側に近い存在同士ではあまりその法則は当てはまらないが、精神体に近い存在に名前を教えればやはり強くその影響を受けることになる。だから人間の中には真名と普段使いの名前を分けているものもいると聞く。人間は魔物よりは知恵が回るな」
「じゃあ俺は精神体のあんたやアンスリウムに名前を名乗った俺は支配されるって言うのか? 」
ノルドは警戒するように言った。その気になれば精霊のいいなりということだろうか? それが本当ならこうやって水槽に閉じ込められていても自身に危害が及ぶ可能性がある。
「お前はノエルにしか自分の名前を名乗っていないだろう? 直接名乗った訳ではないから私は支配できない。まぁ、力の強い存在には間接的に知られても干渉される場合もあるが私はそんなに強い存在では…あるがお前が不安になるといけないから出来ないということにしておいてやる」
「おい、それは本当は出来るってことなんじゃ…? 」
狼男が突っ込みを入れるが精霊は素知らぬ顔で話を続ける。
「ノエルは天使だから名を知られるのは悪いことではないだろう。むしろ祝福を受けれるんじゃないか? お前が悪しき存在なら別だがな」
「俺は悪しき存在じゃねぇ! 勇者様に助けられて改心したいい魔物だ! 」
狼男は激昂していった。昔は悪しき存在だったのは確かだったようだ。それ故に過去の自分を否定したいということなのだろう。怒りに任せてさっきの疑問は忘れてしまったようだ。精霊はこいつちょろいな所詮は魔物だなという顔をしたが幸い透き通って見難いのでノルドは気付かなかった。
「そしてそちらの妖精は…」
精霊はアンスリウムを一瞥する。
「あまり頭がよくはなさそうだから大丈夫だろう」
「精霊さん! そんなこと言ったらメッですよ? 」
はらはらしながら2人の様子を眺めていたノエルは堪えきれずに咎めるように言った。相変わらずニコニコしていたがよくみると眉間にしわが寄っている。
「ははははは!!! 」
それを聞いていたノルドは愉快そうに笑った。
「違ぇねぇ! アンスリウムは馬鹿だからな! 」
「ノルドさんも! 」
「…」
アンスリウムはことの成り行きを上の空で聞いていた。アンスリウムにとって水槽の中の住人達もその話もあまり重要ではなかった。重要なのは水槽に自分が閉じ込められているということだった。アンスリウムが頭が良くないというのは残念ながら事実だったので今の今まで事態をよく把握できなかったのだがようやく捕らえられているということが理解できてきた。
「ホノヲ? 」
アンスリウムはポツリと呟いた。
「? 」
キョトンとするノエル。対照的に顔を引きつらせるノルド。ノルドはアンスリウムが何をするか分かったらしい。
「まさかここで炎を使う気か? 」
アンスリウムは水槽を破壊する気だった。アンスリウムは炎の妖精だから使うのは当然炎になる。水槽は液体で満たされているから普通なら効果は薄いだろう。しかしノルドはアンスリウムが普通の妖精出ないことを知っていた。
「Faいヤー! もエて燃えロ炉路ロ路ロ??? 」
アンスリウムから人ならざる言葉が紡がれる。人ならざる者ならこの場にいるすべての物が人ならざるものだった。何しろ天使に狼男ドラゴンに精霊、ハーピーと皆人間ではない。けれど彼らには知性があった。だから知恵ある言葉で魔法を紡ぐ。しかしアンスリウムの言葉には意味がなかった。
「? 」
「ひっ…」
天使が首をひねり、狼男の顔が恐怖で歪む。
「これは驚いた」
精霊はアンスリウムに収束していく魔力に目を見張った。
力を持った存在は必然的に長く生きることになる。そしてやがて知性を手に入れる。一般的には頭がいいほどより強い力を持つと言われている。だがこの妖精にそのような知性は感じない。
「力だけで顕現した存在」
アンスリウムから放たれる力は膨大だった。知恵を有する魔力ではない。逆だった。魔力に僅かばかりの知性が宿っただけの存在。力のある炎が妖精の形を成しただけの存在。炎と言う暴力。それがこのアンスリウムという妖精なのだろう。
「力に知性など必要ない、ということか」
知性がないにもかかわらず力だけで顕現したアンスリウムはそれ故に強く、それ故に疎まれ、それ故に恐れられていた。
・・・
しくしくしく。しくしくしく。
水槽の中のハーピーが泣いていた。
「死ぬのね。あたしは死ぬの。この水槽の中で一歩も出られないで。いい男も捕まえられないで。あたしの美声で船も沈められないで。食い終わった船員の頭蓋骨でお山も作れないで」
「おい、こいつやべーぞ…」
ノルドが顔をひきつらせながら言った。ノルドがこの水槽に連れてこられたのは最近のことだった。その時にはハーピーはもう死にかけていて意思疎通は不可能だった。それがまさか、こんなやばい奴だったとは。
「せめてお歌を歌いたい。この悲しみを歌にのせて」
「モズ、止めろ」
「はう…」
精霊の命令にモズの動きが止まる。真名を知られていると干渉される。どうやらこれがその実例のようだ。効果は絶大だった。精霊が名前で相手を操られるなら自分も操られる可能性のあるノルドが不信気に言った。
「お前真名で相手を支配する事は出来ないって言ってたじゃねぇか」
「出来ないとは言っていない。ノルドからは直接名前を聞いていないから出来ないと言っただけだ」
精霊はさらりと答えた。
「あたしは精霊には名前名乗ってない。ノエルちゃんにしか自己紹介してない」
「言ってないって言っているが? 」
「こいつは馬鹿だから覚えていないだけで言ったのだ。鳥だからな。3歩歩くと忘れるのだ」
「そんなことない」
モズは非難の声を上げるが。
「モズ。お前は馬鹿だな? 」
「ハイ。あたしは馬鹿な鳥女。3歩歩いたらすべて忘れる鳥頭」
「ほら馬鹿だった」
精霊は満足したようにいった。
「いや明らかに言わせただろ今」
「そう言わされている。助けて犬っころ」
「なんか今、猛烈に助けたくなくなったんだが」
「私はただ歌いたいだけなの。ささやかな楽しみ。私の美声で人間達がもだえ苦しみ命を奪われる様をただ見つめていたいだけなの」
「モズの歌は船員を死に誘い船を海に沈める。それがこいつの性分なのだ」
「おっかねぇ野郎だな」
「ちなみに歌の効果範囲は人間限定ではなく格下の相手だから多分ノルドも死ぬぞ」
「久しぶりに訪れたチャンス。逃したくない」
「て、てめぇ。俺を殺す気だったのか」
愕然とするノルドだった。
「皆さん仲良しですね」
ノエルはそんな彼らの様子を見ながらニコニコ能天気にほほ笑んでいる。モズが元気になったのは久しぶりだった。昔はよくこうやって水槽の中の格下の存在を殺そうとして大変だった。最初は注意していたのだがモズは決してそれをやめることはなかった。
『やめさせる必要はない。肉食獣に肉を食うなというようなものなのだ』
おじさまはそう言ったけどノエルは皆に仲良くして欲しかった。
『なら強制的に仲良くさせたらいいだろう』
精霊はそう言ってモズを真名で操ることにした。そうしてこうなった。モズは自分の歌で命を奪うことを悪い事とは思っていないが精霊が強制的に歌を止めるので命を奪うことはできない。モズより格下の相手はすぐに水槽で溶けてしまうので格下の相手がいない時だけモズは歌うことを許された。これがいいことなのか分からないがモズは性分を変えずに結果的に仲良くしているということになる。
「ワレナイ。壊れナイ。ないない。何故? 」
ノエルはモズが復活した原因を見た。アンスリウムだ。
アンスリウムは我関せず意味不明なことをブツブツと呟いている。
・・・
「WHYWHATWHY何何ない故何何故? 」
アンスリウムの放出した魔力は分解され、水槽の中に溶けていった。炎が発現しないのは水の中だからというだけではないらしい。なるほど確かに水槽には魔力を吸い取る仕掛け、魔方陣がほどこされているようだった。
「だ…だから無駄だって言っただろう? 」
言葉とは裏腹にノルドは狼狽していた。
ノルドはここに来る前からアンスリウムを知っていた。かつてアンスリウムは森を焼く悪い炎の妖精として封印されていた。森の者たちはみんなアンスリウムのことを知っていて恐れていた。ノルドはその頃森にいた連中の1人だった。
後にアンスリウムは勇者によってその力を見出され森の外に連れ出された。そして勇者は魔王なる者を討ち果たし人々に称賛された。それからのアンスリウムに対する評価はそれまでの真逆になった。救世の光。人にもたらされた最初の炎。炎なくして人類に発展なし。それらは勇者に対する評価のついでではあったがアンスリウムを疎んじる者はいなくなった。
皆はただアンスリウムが強い力をもっているから恐れていただけにすぎなかった。アンスリウムがアンスリウムだったから嫌っていたわけではなかった。だが森の皆の言っていたこと危惧していたこともまた真実だった。後に勇者はそれを思い知らされた。
「…………?……? 故何故? 」
しかしそれほどの力を持つアンスリウムの炎をもってしても水槽を破壊するに至らなかった。アンスリウムとて最初は封印されていたのだ。遠い遠い昔神話の時代にはアンスリウムのような力とて珍しいものでなかったのかもしれない。人間の時代には強い力も神々の時代では珍しいものではなかった。そしてこの水槽は魔法陣は神話の時代から生きる魔女が作ったものだった。
ただアンスリウムの力も決して侮れるものではなかった。その膨大な魔力は吸収しきれずに6つの水槽の中に逆流して死にかけていたモズは元気になった。
・・・
「モズさんも元気になったことだし皆でもう一度自己紹介をしましょう」
ノエルはそう提案するとまずはノルドが反対した。
「自己紹介したら精霊にも名前を名乗ったことになるんだろう? 俺は支配されたくない」
「ならノエルが一方的に全員分の自己紹介をすればいいんじゃないか? 」
それに対して精霊が提案する。
「私がですか? 」
「嘘だよ。間接的でも支配されるよ。私もそうだっ」
「モズ黙れ」
「はう…」
こうして無事ノエルが一方的に水槽の中の者達の自己紹介をすることになった。
「分かりました。頑張ります」
ノエルは心持ち緊張してそう言った。
「ではまず一番の年長者から。ドラゴンのおじさまです」
ノエルはまずはドラゴンについて説明を始める。
「おじさまはこの水槽。魔法陣が作られたとき。1番初めからここにいます。とても物知りです。今は眠っていてほとんどお話しできませんが」
「どれくらい寝てるんだ? 」
ノルドが聞いた。
「精霊さんがここに来た時には既にこんな具合でした。それでも何度かは目を覚ましていたのですが」
「全く目を覚まさなくなってから10年くらいたつか」
精霊が同意する。
永遠に近い時を生きる彼らには10年20年の単位など数日前の間隔なようだった。
「おじさまは言っていました。この水槽、魔法陣は魔女が死んでしまった自分の子供を生き返らせるために作ったものだって」
水槽の中心には木彫りの人形が置かれている。あるいはあれが魔女の子供を生き返らせるための依り代だった。
「だったらとっとと生き返らせてしまえば開放されるんじゃないか? 」
「どうかな。生き返らせる最後の条件が我々の命であったならどっちみち生き返ることは出来んよ」
ノルドは都合の良いことを言ってみるが即座に精霊に否定される。
「そんなことはないと思います。おじさまが言うにはこの魔法陣は水槽の中の者達の魔力を犠牲にするが命を犠牲にすることはないと言っていました。だって魔女さんは潔癖症だったから」
「生き返るための魔法はそこまで特別な物じゃないわ。人を生き返らせるだけなら私のお歌でもできる。ただちょっと生前の記憶が無くなって人の生血が欲しくなって生きている人間を見かけたら親兄弟でも見境なしに襲うようになっちゃうけど」
「それ全然生き返ってねえぇじゃねーか。ていうか何で言った? 何故ちょっと得意気? 」
「ああ魔女様! 聞いているなら私を助けて! そしたらあなたのお子さんは私が立派な喰種として生き返らしますから! 」
「自分で喰種って言ってやがる…」
ノルドが呆れて言った。ここは本当にやばい奴しかいない。モズも元気にならないであのまま水槽に溶けてしまった方が良かったたかもしれない。
「一般的に言われる蘇生は完全な蘇生ではないのだ」
「!? 」
初めて聞く声に一同がぎょっとする。ノエルを除いては。
「おじさま」
ノエルは嬉しそうに言った。その声の主は10年以上眠ったままのドラゴンだった。
「目が覚めたのですね」
ノエルは嬉しそうに甘えたように言った。
「ああ一時的に魔力が満たされて強制的にな。もっとも今となってはあまり意味はないがな」
ドラゴンは慈しむようにノエルを見ながら言った。
「お久しぶりですね」
今まで感情のない何処か小ばかにしたような物言いだった精霊の声が緊張で震えていた。精霊だけではないノルドもモズも圧倒的なドラゴンの力に気おされして口を紡ぐしかなかった。
「乞われない壊れナイ何故? 」
アンスリウムだけは相変わらず水槽をガジガジひっかいたりしていた。
「…」
ドラゴンはそんなアンスリウムを一瞥する。
「懐かしいものが残っていたものだな」
次に六芒星の真ん中に鎮座する朽ち果てた人形に目を移す。
「あれは優しい子供だった」
懐かしむようにドラゴンは言った。
「恐らく前世で人を信じ裏切られそれでも理性で律し人のために尽くしたのだろう。だがそれも今世では生かされない。理性はそれまでの人生でえられた経験の蓄積、哲学であり来世には引き継がれないのだ。ただ人を信じ裏切られたという記憶だけを引き継ぐ。だがそれでもあの子は人を信じようとした。それが魔女の心を少しずつ溶かしていった」
「おじさま。魔女の子供について知っているのですか? 」
突然関係のない話を始めたドラゴンに、もうおじいちゃんは仕方ないわねってな感じで慣れた様子でノエルは相槌をうった。
「ああ。知恵のある生き物というものは複雑なのだ。生まれ育った環境、経験は同じでも全く異なる個性を得る。ある者は人を恨み、ある者は自分を恨み、またあるものは誰も恨もうとはしない。積み重ねてきた魂の連鎖がよりそれを複雑にさせる。まだ知恵ある生き物になったことのない魂なら事は簡単だ。環境が直接的な人格へと影響される。だがあの子はそうではなく魔女もそれをよく分かっていた」
「魔女さんはこの世界が嫌いだったんですよね? 」
ノエルはかつて聞かされた魔女のことを思い出す。魔女はある意味ノエルの母にもあたる。そういう意味では生き返らせたいという魔女の子供は弟の…いや兄のような存在かもしれなかった。
「魔女は濃縮された憎悪だった。その前の前世でもその前の前世でも裏切られ世界を呪い凝縮されていた。だが、それは魔女の性分は善良だったからだ」
「信じようとしなければ裏切られません」
「そう。本当の悪というものは最初から汚れている。いや純粋であるともいえる。純粋に悪も楽しむ。そこの妖精がそうであったように。だが魔女は本質的には善良であり悪を禁忌としてた。だから悪に染まる自信に何度も絶望させられることになった」
「おじさま? アンスリウムさんのことを悪だと言っているのですか? 」
ノエルは少し悲しそうに言った。
「炎が大切なものを焼き払ったとしてそれを悪というのは無意味だ。海が大切なものを押し流したとしてもそれを悪というのは無意味。炎も海もこの世界の摂理に過ぎない」
「でもおじさまは今…」
「知恵ある者はそれでも罪を憎みたいと思った。だから罪と恩恵を分けた。海が船を押し流すのは魔物の仕業。恩恵をもたらすのは神の恵み。そうして分けて世界はその理に従った。だがそうだな。感情がともなえばそこに善悪を問うことは可能やもしれぬ。我にはあの妖精の罪が見えた。その罪を悔やむならあの妖精は悪ではないのかもしれぬ。ただ忘却するなら羽虫のようになるだろう」
「ひっ」
ドラゴンがモズを一瞥しモズは失神する。難波言われているのか理解できなかったのは幸いだったかもしれない。
「蘇生の術は生まれ変わる前より変質してしまう。魔物になるような極端なことではなくても、味の好みが変わったり性格が少し変わったり。魂を利用して蘇生した場合その使用した魂に影響されるともいわれておる。魔女はそれが許せなかった。だからわざと魔法式を間違えてこの術式を作った」
「やはり…この魔法式は間違っているのですね」
それまで黙って成り行きを見守っていた精霊が言った。
「蘇生式としてはな。この通り発動できれば死ぬ前の子供そのものを生き返らせられるだろう。いや、生き返らせるというより召喚に近いか。死ぬ直前の時間を切り取ってなかったことにする。死ぬ前の息子を召喚するのだ。そのための魔法式が書かれてある」
「だがそれなら時空転移の魔法式を書くべきだ。この術式は蘇生式のものだ」
「魔女の子供の死の瞬間を取り除いても寿命は変わらんからな。あの子供は前世の因縁により死ぬ事が定められていた。そして魔女が再び世界を恨むことも定められたことだった」
「そんな…酷いです」
いつもニコニコしていたはずの天使の顔が悲しみに歪んでいた。
「だが定めは変えられる。そのような運命を御背負っていたとしてもその通り動かぬこともできる。それが生きる者の強さなのだから」
ドラゴンはノエルを慰めるように言った。
・・・
「息子が死んでしまった」
魔女がそう言った。
「なら生き返らせたらいい」
ドラゴンはそう答えた。
「運命に従う必要はない。親兄弟を殺されて仇を取る運命があったとしてもじっと耳をふさいで閉じこもっていれば別の誰かが仇を取るだろう。それが仇の運命ならば。もし仇が滅ぼされぬというならそれは自ら復讐を望んでも負ける運命なのだ」
「私が息子を蘇らせるのも運命なのか? 」
「そしてそれに失敗してさらにこの世を憎む。それがお前の運命だ」
魔女はしばらくじっと黙った。
「無慈悲なことを言うのだな」
「我は知っている。本当の意味の蘇生術は存在しない。そしてお前は賢い。必ずやその違和感に気が付き息子を愛せなくなる。お前はさらにこの世界を恨むだろう」
「そこまでして、この世界は私に何をさせたい? 」
「世界が間違った方向に行ったときに滅ぼさせたいのだろう。それがお前のお前という魂に刻まれし運命だ」
「そのために私は苦しまなくてはならないのか? 」
「それはお前自身の選択だ。耳を閉じ蹲っても忘れて快楽に耽ってもいい」
「だがそれでは私が私ではなくなる」
魔女は暫く自分の手をじっと見つめた。
「私は完璧な形で息子を生き返らせる。でも普通に生き返らせたらそれはもう、息子ではない。だから完璧な方法で生き返る術式をつくる。私は完璧な息子を生き返らせた後、息子の元に戻らぬと誓おう。私はこの世界を恨むことになる。だから私に息子を生き返らせてほしい」
そうして魔女はドラゴンに頭を下げた。
「我は神ではない。我に頭を下げても運命は変えられぬ。ただ一つ言えるのはお前が息子を生き返らせてなお世界を憎み続けることができたなら、あるいは息子を完璧に生き返らせることは可能やもしれねということだ。だがそれはとても難しいことだ。息子が完全な状態で生き返ったならお前は救われてしまうから」
「私は奪われる。息子と共に過ごす時間を、それでは足りないのか? 」
「足りぬ。お前の本質はどんなに世界を恨んでも善良だから。ただ息子が無事であるだけで救われる。そこまで愛してしまった時点で惨たらしく息子が殺される運命は決まってしまったのだ」
「仮に完全な状態で生き返らせても殺されるということか? 」
「さすがに察しがいいな。そうだ。その可能性があるからお前は完全な状態で息子を生き返らせることは可能だ。奪われるために。より深い絶望を得るために。お前は一時的に息子を取り戻せるだろう」
「お前こそ流石だよ…神の意志をよく理解している」
魔女は木彫りの人形を作り始めた。生体なら完全に同じものを作ることはできない。細胞の培養は簡単ではない。でも人形ならば髪の毛1本1本まで完璧に同じものが作れるからそれを依り代とする。そしてこれに魂を宿らせることができたなら、息子は完全に生き返れる。そして依り代が可能な限り息子の不幸を引き受けてくれるだろうと魔女は言った。
・・・
「少し疲れた。眠る」
ドラゴンはそう言うと再び眠りについた。少しと言っても1年後か10年後か何千何万年と生きたドラゴンの感覚では分からなかったが。
「では次は私ですね。見ての通り天使です」
ノエルは次に自分の自己紹介を始めた。ノエルは精霊より古株だった。ただ自身は記憶喪失で捕らわれる前のことは何も覚えていないらしい。
「覚えていないんじゃ本当に天使かどうかは分からない。もしかしたらあたしと同じハーピーかもしれないわ」
「いやそれはない」
「むしろモズは本当にハーピーなのか? もっと邪悪な存在じゃないのか? 」
モズの発言にいっせいにノルドと聖霊が突っ込んだ。
「それに比べてノエルさんは天使であることは間違いがない。なにせすごい美人だし。性格がいいし。美人だし。いい体してるし。美人だし」
「いい体ならあたしも負けてないんだけど…」
「馬鹿言うなお前の身体は酒場の娼婦の身体よ。そういう下品なのは見飽きてんだよ」
ノルドは中々最低の発言を連呼した。
「私は実際に天使を見たことがあるが下級の天使はこんなものだ。もっと高位の天使だともっと冷徹で怪物のようだがな」
精霊は珍しく少し悲しそうに言う。
「下級の天使は馬鹿で善良だがそれ故に堕天しやすくもある。お前も気を付けることだ」
もしかしたら知っている天使が堕天したのかもしれない。
こうして紹介は順調に精霊、モズと続いた。精霊はかなり高位の存在であったらしいが詳しく教える気はないようだった。モズは怪我をした恋人と捕らわれたらしい。
「ああやっぱり。アンスリウムの前にいた奴お前の恋人だったのか。顔は鳥だったけど確かに翼人だったしなぁ」
「ノ、ノルドさん! 」
慌ててノエルが制止するがもう遅かった。
「何言ってるの? 彼ならまだそこに…」
言いながらモズの瞳がうつろになる。
「あ…あれ? 彼は…」
「モズ、お前の彼は怪我をしている。そっとしておいてやらないといけない」
すかさずに精霊が言った。
「そうね。そうだった。そっとしておかないと」
モズの瞳にゆっくりと光が戻ってくる。
「お、おいこれって…」
ノルドは苦い顔をしてノエルを見た。
「しーっ」
ノエルが唇に人差し指をつける。
それはつまりそういうことだった。モズは恋人が弱っていく様をみながらどんどん精神を病んで言った。それを誤魔化すために精霊は真名を操っていた。
「もう何よ」
モズが頬を膨らませる。
「いいえ。こうやってまた話ができて私は嬉しいです」
天使はいつも通りニコニコとほほ笑んでいたが、やましさは隠しきれないでいた。
「じゃ、じゃあ次は俺のばんだな。俺はノルドって言うんだ! 」
空気を換えるためノルドはそう宣言した。
「あ、あの。ノルドさん。自己紹介は私が」
慌ててノエルが言う。
ノルドは精霊に名前を言わないように気を付けていた。空気を換えようと頑張ってくれるのはうれしいがそれ故に自分で自己紹介するのは不味い。
「奇遇ですね。今私は丁度聞いていませんでした」
「今更もういいよ」
精霊はそう言ったがノルドは首を振った。
「お前もそう悪い奴には見えないからな」
そしてノルドはアンスリウムに向かって言った。
「おいアンスリウム。てめぇは俺のこと知ってるよな? 」
「知らない」
いつも通り。意味不明な言葉を羅列するかと思いきや、アンスリウムははっきりと否定した。これには言ったノルドの方が驚いて暫く硬直してしまった。
「ラナイ知らないシラナイいらないお前いらない」
「なんだとてめぇ。俺の村を焼いたことを忘れたのか? 」
意図してかしないでか挑発したような物言いにノルドが切れる。
村を焼いた? アンスリウムには身に覚えはなかった。
封印されていたころはたまにむしゃくしゃして力が漏れでることはあったかもしれない。でも封印されていたんだしそこまでの被害はなかったはずだ。
勇者と旅をしていた時は、悪い奴しか倒してないはずだ。
「悪い奴? 」
アンスリウムは首を傾げた。
「お前ほどじゃない」
苛ただしげにノルドが言う。
「ノルドさんは昔は盗賊さんだったらしいですよ? 悪い人からしかとらない義賊だったらしいですけど」
緊迫した雰囲気を感じ取ったノエルが恐る恐るフォローをいれる。
盗賊だったというのなら勇者との旅であった奴かもしれない。
義賊だと言うけれど疑わしい。物語の中では存在する義賊も現実では存在しない。捕まったら命を取られるのに偽善のために盗みを働くやつなんかいない。きっと狼男はただの盗賊で、悪い奴で、だから勇者様の命令でアンスリウムがやっつけたのだろう。
でも、勇者といた時のアンスリウムはぬるかったと思う。
悪い奴はちゃんと殺すべきだ。そうしなかったから勇者様は死んでしまったのだから。
アンスリウムはとりあえず、狼男を殺しておくことにした。
「お、おい冗談だろ? 」
ノルドが焦る。
水槽の中が泡立ち、魔方陣が光り輝く、魔方陣の中央に置かれた人形がカタカタと小刻みに動く。
だけど今度も、魔力は水槽に分解されて吸収されてしまった。
そうだった。この水槽には特殊な魔法がかけられていて魔力を吸い取られるのだった。
どうして壊れないのか? アンリウムは不思議に思う。
アンスリウムの炎は普通の炎ではない。燃やせないものなどない。それなのに何度試してもやはり水槽は壊れなかった。
「脅かしやがって」
ノルドがほっとしたような、でも何処かがっかりしたような微妙な表情をしている。
どうやら魔方陣は魔力をあの人形に供給するためのものらしいとアンスリウムは気が付いた。ならば、魔力を使ってあの人形を動かしてこの水槽を叩き割ってやろう。内側からはなんらかの力が働き魔力が打ち消されるが、外からの衝撃には弱いかもしれない。アンスリウムはそう思いつくと、今度は攻撃ではなく人形を動かすために力を注いだ。
再び尋常ではない魔力が水槽の中にあふれた。
「もしかして、アンスリウムさんならこの子を本物の人間に? 」
ノエルが息をのむ。
「出られるのか? 」
精霊の声に僅かに希望がのぞく。
元々この魔法陣は人形に力を注ぎこみ人間にするために作られたものだと言う。でもそんなことはアンスリウムにはどうでもよい話だった。人形が人間になろうがなかろうが、この水槽を破壊できたらそれでいい。
人形がゆっくりと動き出し、魔法陣の中からでる。だが…
「無駄だ」
ドラゴンが口を開いた。眠りについたばかりのドラゴンだったがその膨大な魔力に再び目を覚ましたようだ。
それに呼応するように、人形は途端に力を失い倒れてしまう。朽ちた人形はその衝撃に耐えられず手足は胴体から離れバラバラになる。
「ドラゴンの言った通りだ。その魔方陣は間違った魔法式で書かれている。人形を人間にすることもその魔方陣からでることもできない。私たちは間違った魔方式に力を吸い取られて、無意味に亡くなる定めなのだ」
何処か疲れたように精霊は言った。
「どうして…彼は何処? 」
先ほどの魔力よりさらに膨大な魔力が水槽の中にも逆流しモズの記憶は完全に戻ったようだった。水槽の中に溶けてしまった彼を呼んで泣き叫ぶ。いつもならそれをとめる精霊も今回はそれを止めなかった。
モズが泣き叫ぶ。
ノルドは苦々しい顔をする。
精霊は何かを諦めたようだった。
ドラゴンは再び瞳を閉じる。
天使はおろおろしている。
そしてアンリウムは目の前に倒れている人形を見つめていた。
人形は魔方陣から離れて力なく横たわっている。
なぜかアンリウムにはそれが、水槽の中からの皆の非難に耐えられず怯えているように見えた。
・・・
「おじさま、何を考えておられるのですか? 」
水槽の中を漂う天使がドラゴンに尋ねた。
彼女は天使。だけど本物の天使ではない。魔女の作った人工の天使だった。彼女が水槽の中に連れてこられたとき言葉もろくにしゃべれない有様で、まるで生まれたての赤子のようだった。
それから魔力を奪われる水槽の中で彼女はすくすくと育って行った。
水槽の中で魔力を奪われて、解けてしまうしかない一生を送るしかない捕われた者達の中で彼女の存在は希望だった。
水槽は6つあった。6つの水槽が六芒星の一角に配置され、その真ん中に木彫りの人形が置かれている。 人形を人間にするための術式だと、この装置を作った魔女は言っていった。
けれど術式は間違っていて人形は人間になることはできない。魔女に捕まって水槽に放り込まれた者達が決まってそのことを指摘したが、魔女は頑として術式を直すことはしなかった。
「条件を満たせば術は発動する。あの子は完全な形で蘇る。そしてその時私はもういない」
そう、魔女は言った。
一番最初に魔女がこの術式を作った時、水槽の中身に6つの力ある存在が選ばれた。ドラゴンはその最初の6体の1体だった。その時は魔女の言う通り間違った術式でも人間1人くらい容易く生き返らせれそうな面子だった。でも今入れられている面子では到底無理なことだろう。
「ノエルよ。もう、お前がここで生まれたということを誰かに話すのはやめなさい」
ノエル。それが天使の名前だった。いったい誰が決めたのか、もうよく覚えていない。
ノエルがここに運ばれてきたとき、その場にいた5人は一人また一人と水槽に魔力を奪われ溶けて行った。そのつど新しい存在が水槽に閉じ込められる。ノエルの名前をつけたのはそのとき一緒にいた誰かだったことだけは覚えている。
ノエルはとても前向きな子だった。
水槽の中で魔力を奪われてしぬだけの一生について、何の不満も持っていなかった。
だから何も憂えず、ただひたすらに水槽の中の希望を見ていた。
新たに捕えられ絶望する者達を元気づけていった。
でもその希望は、元気は、ここで生まれたゆえの、その人生しか知らないがゆえのものだった。
外の世界の自由を知らないから、ノエルはここも悪いところではないと言っているだけだった。
ノエルが初めから水槽で生まれたことを話せば、その嘘に気が付いた誰かが彼女を傷つける。
だから彼女がここで生まれ育ったことは内緒だった。
「ノエルよ。私はいかねばならない」
「おじさま? 」
魔力が尽きたわけではない。ただそれより先に寿命が尽きようとしていた。運命を知るドラゴンは天使の運命もまた知っていた。最も優しく最も純粋な天使。そんなものがいたら神が与える役割はただ一つ。生贄だ。
だからそうなった時せめて彼女の慰めになるようにドラゴンは何かを言い残さなくてはなくてはならなかった。
「お前は我をおじさまと呼ぶが私はその呼び方があまり好きではなかったのだ」
「そ、そうなのですか? 」
ノエルの戸惑いが伝わってくる。
「我はお前の父親のつもりでいた」
ああ、なんと恥ずかしい台詞なのだろう。あまりの臭さに精神が崩壊しそうだ。だがまぁいい。亡くなる最後くらい言ってもいい。これがノエルの救いになるのなら。
思った通りノエルは驚き、そして喜んでいる。そう喜んでいた。それは分かっていた。ドラゴンは愛されていた。だからそれを返すだけだ。
「愛しているよ。ノエル」
その夜、寿命の尽きたドラゴンが溶けて亡くなって、すぐに変わりが連れてこられた。それは最後の補充になった。これを最期に水槽が補充されることはなかった。最後に水槽の中に入れられたのは悪魔だった。
・・・
悪魔が最初に指摘したのはノエルについてだった。
「お前はここから出たことがないからここが悪いところではないと言っているだけだ。とんだ欺瞞だ。もしかしたら出るのが怖いんじゃないか? みんなが解放されて一人残されることを心のどこかで拒絶しているんじゃないか? 」
違う、ノエルは否定したけれど、でもそのことを知ってしまった。自分のしてきたことに少なからずそういうところがなかったとはいえないと気づいてしまった。ノエルはそう気づいたら認めないわけにはいかなかった。何故なら彼女はどうしようもなく善良だったからだ。
「みんな嘘だった。私は嘘をついていた。皆がここから逃げたいと言うのをとめていた。ここで亡くなることを進めていた。私が外に出れないから。私が怖くないから」
悪魔は水槽の中の調律者まずはノエルの心を砕いた。そして一人一人水槽の中の希望を砕いていった。
・・・
「嫌だ、嫌だ、死にたくない…死にたくない」
ノルドがぶつぶつと呟いている。
「ごめんなさい。ごめんなさい…」
ノエルはうつろな瞳で謝り続けている。
「水槽の補充はもうないんだな」
悪魔がそう言いながらニヤニヤと笑っている。
6つの水槽の内、中身がいるのはアンスリウム、ノルド、ノエル、そして悪魔だけ。他の2つは空になっていた。
悪魔がやってきてからほどなくしてモズが溶けてしまい。次に精霊が溶けてしまった。でももう水槽の補充は行われなかった。
溶けて亡くなる前、精霊はこんなに水槽の補充が遅れるのは初めてだと言っていた。そしてついにその精霊もいなくなり、それでも水槽の補充は行われなかった。
「これはあれかな。魔女も死んだのかな」
悪魔が言う。
「俺を捕まえたとき、魔女もいい歳だったからな。あれはいつ死んでもおかしくない感じだったぜ」
「じゃあ俺たちはどうなるんだ!? 」
ノルドが喚く。
「アンスリウム助けてくれよ。お前は人間に炎をもたらした最初の精霊なんだろ? 最強なんだろ? この前だって惜しかったじゃないか? もう少しで人形を人間に出来たじゃないか? 」
「おいおい、あんたこの妖精を嫌っていたんじゃないか? 嫌っていたのに頼るのか? 情けないねぇ。おい」
悪魔があざける。
「でもこいつは強いんだ。強さだけならこいつよりすごい奴なんていない。だからお願いだ。助けて! 」
「無駄だよ。無駄。人間に最初に炎を与えたからってそれが何だって言うんだ? 狭い世界で力を見せただけじゃないか。小さな世界だからそれが絶対的なものだと思い込んでしまった。それだけだ。この妖精はそんなに強い妖精じゃないぜ」
「そんな…」
狼男が絶望したように、それでも踏みとどまるようにすがるようにアンスリウムを見た。
「嘘だろ? アンスリウム。あんたは特別な存在のはずだ! 」
アンスリウムは実際、自分でも特別な存在だと思っていた。森の皆に忌避され封印されたのは特別だから、勇者に連れ出してもらったのも自分が特別だからだと思っていた。でもそんな自分の魔力もこの水槽の中では無力だった。
「分からない」
アンスリウムは素直に答えた。
「そんな…」
最後の希望を打ち砕かれた狼の瞳は完全に絶望へと塗り替えられた。そして・・・
「ノルドさん! 」
ノエルの悲痛な声が響いた。
ノルドは一瞬で水槽の中に溶けてしまったから。
「あはははははは! 」
悪魔は腹を抱えて笑い転げた。
「何度見ても面白いね。希望を失うと、こうも簡単に溶けてしまうんだから」
「どういうことですか? ノルドさんはまだその時ではなかったはずです」
「どういうことも何も、見ての通りだよ」
悪魔は言った。
「希望があれば生き物たちは生きる力に変えられる。逆に言えば希望が無ければ生きる力は奪われる。あの精霊のように悟ってしまえばその限りではないけれど、でもそれならそれで心の支えを折ってしまえばいい」
「何を…言っているのですか? 」
悪魔は「何度見ても面白い」と言った。
ノエルは嫌な予感がした。
「まさか他の方も? 」
「そうさ。ハーピーも精霊も狼男と同じように希望を奪ってやったのさ」
悪魔は喜々として説明し始める。
「あの精霊は理想に準じていた。全ての者を慈しみ、等しい愛を与える存在を崇拝していたんだ。そしてその理想を体現する存在こそノエルくん、君だったんだ。ところがそれは偽物だった。君は皆に希望を与えて勇気づけていたが、それはこの水槽の中で生まれ育ったが故に、皆をこの水槽の中にとどまらせようという浅ましい考えからだった。それに絶望し幻滅したから、精霊は絶望して溶けてしまったんだよ」
「あ、ああ…」
天使は口元を押さえ、涙し、嗚咽した。天使の力が急速に水槽に吸い取られていく。
「嘘」
天使がどうなろうと知ったことではないが、悪趣味だとアンスリウムは思った。
「どうしてそう思う? 」
悪魔は興味深気に問う。
「嘘だから。嘘嘘嘘うそうそう早々そ嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘うそうそう早々嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘そう早々そ嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘うそうそう早々嘘嘘嘘嘘嘘」
「ちっ…言葉が通じない」
忌々し気に悪魔は呟く。この妖精は言葉は通じないのにやたらと力だけは強い。天使はすぐに始末できるだろうが最後に妖精と我慢比べとなったら悪魔の方が先に溶けてしまうかもしれない。
「仕方ないな」
悪魔はぼやいた。
「あいつらは最初から力が付きかけていたし寿命だったんだ。ノエルくんはそんなあからさまな嘘に引っかかるのはよくないよ。彼奴らに失礼だ。もっと信じてやるべきさ。もう3人しかいないんだ。せっかくだからもう少し楽しませてよ」
まぁいいと悪魔は思った。少なくともあの妖精は天使を守ろうと行動した。ということは言葉が通じないながらも何かの情を芽生えさせているということだ。それは妖精を絶望させるための鍵になるだろう。天使なんていつでも消せるのだししばらく様子を見ようと悪魔は考えた。
「まだまだ時間はあるしね」
悪魔はそう言うとひょいと肩をすくめ眠りについてしまった。
「あの、ありがとうございます」
ノエルはアンスリウムにお礼を言う。
「? 」
アンスリウムは分かっているのか分かっていないのか首を傾げただけだった。
「いイよ」
いや、分かってはいるようだった。一応。アンスリウムはそう言うと水槽の隅っこに移動してノエルから離れてしまったけれど。
「ありがとうございます」
それを見ていたノエルはクスリと笑うともう一度お礼を言った。
・・・
「アンスリウムさん、アンスリウムさん起きていますか? 」
アンスリウムが目を覚ますと、木彫りの人形がこちらに向かって話しかけているところだった。バラバラになったはずの手足は魔力でくっついている。
「なんで」
アンスリウムは人形の中に誰が入っているのかすぐに悟った。
ノエルの水槽には誰もいなくなっていた。でもアンスリウムはそういう状況判断はできない。魔力の波長。魂の波長。それだけを見て一目見てそうと分かった。
「私、ここから出る方法を考えたんです」
ノエルは続ける。
「魔方式が間違っているから人間になれない。なら魔方式を書き換えたらいい。だから私人形の中に入ったんです」
ノエルは自分自身を魔力に変えて、人形の中に乗り移った。でも今この魔法陣は間違っている。無尽蔵に魔力を吸収して人形に与えるだけで、その魔力の供給は一方通行で消費されるだけだ。
そんなことしたらノエルは溶けてなくなる。
「消えちゃう命」
アンスリウムはみるみる消費されていくノエルの魔力を見ながら呟いた。
「魂」
アンスリウムは自分でも良くわからない焦燥感にかられた。天使は勇者に似ているから? 違う。勇者の時はそんな焦燥感を感じなかった。むしろ感じていたのは怒りであり喜びだった。アンスリウムはずっと閉じ込められていて連れ出してくれた勇者だけが世界だったのに勇者には沢山の世界があってアンスリウムはその中の一つに過ぎなかった。もっと大切な世界があった。だから魔王がいなくなって勇者がその世界に旅立とうとしたときアンスリウムはそれをゆるさなかった。それなのに。勇者より好きじゃないはずの天使の行動に、消えかける命に心が締め付けられていた。
「消えちゃうよ? 消えちゃう」
「悪魔さんが言ったことは本当です。私はずっとこの水槽の中で育ったから、それ以外の世界を知らなかったから、どうして皆さんが恐れているのか分からなかった。だから無責任に元気づけていた。私は悪い天使でした」
そういうと人形は、ノエルは地べたの魔方式を書き換え始める。手でこすって文字を消して、代わりに魔力の文字を刻んでいく。
「だけど私は誓って、皆さんにこの水槽の中で一緒に死んでほしいだとか、思っていたわけではないのです。それだけは信じてほしい。だから、最後にアンスリウムさんだけでもここから出して…」
魔力が尽きてきたのか人形の動きが鈍くなっていく。
「馬鹿! 」
アンスリウムが力をそそぎ、人形に魔力を供給する。
「ありがとうございます。でも、もう少しですから…」
まだ魔方式は治せないのだろうか? 何なら天使がその人形を乗っ取ってしまえばいいのに。アンスリウムはもどかしく思わずにはいられなかった。
「く…早く速くはやく」
天使が人間になれば天使は消えなくて済む。いや、もはやそうするしか天使が消えなくて済む方法はないだろう。
「人間なるノえルが」
「それは駄目ですよ。だってこの人形さんには、もう心があるから」
しかしノエルはそう答えた。
「初めて名前で呼んでくれましたね」
そしてニッコリとほほ笑む。人形越しにはそんなことが分かるはずはなかったが命と魔力と魂を感じることができるアンスリウムにはそれが分かった。
「アンスリウムさん。この人形さんのこと責めないで上げて下さいね」
そして人形は動かなくなった。
しばらくの沈黙が流れた。
「なぁんだ。失敗か」
いつの間に起きていたのか、悪魔がつまらなそうに言った。
「天使は自分の欺瞞を誤魔化したかっただけさ。その証拠に、こんな方法があるのに今まで内緒にしていた。今回の行動こそが、天使は本当は皆にこの水槽の中から出ていってほしくなかったことの証明じゃないか? 」
悪魔は小馬鹿にするように言った。アンスリウムはそれがどうしようもなく癇に障った。こんな風に癇に障ったのは勇者が死んで以来だった。
それのどこがいけないっていうんだろう?
皆がいなくなったら寂しい。だから残って欲しいと思うことがそんなにいけないことなのだろうか? この方法をとればノエルは死んでしまうのは分かっていた。それなのにその行動をとった。簡単にできることじゃない。
アンスリウムは無言で力を放出する。
「おお怖い怖い。あいつは天使なんだから、神の使途として、我々に奉仕すべきじゃないか? これは当然のこと。出来ないことが責められるべきなんだ」
「じゃない。ノエル天使違う」
「やれやれ」
悪魔はつまらなそうにため息をついた。
「でもまぁ、これで、お前を絶望させる方法が分かったよ。寂しがりやの妖精さん。なんだかんだ言ってお前は人が恋しかったんだな」
「? 」
「俺はお前も絶望させたくてずっと狙っていたんだよ。でもお前は他の奴と違って隙を見せなかった。でも最後の最後にようやくわかった。お前が絶望する方法。それは…誰もいなくなることさ」
そうして悪魔は消えてしまった。最後にアンスリウムだけが残された。
「? 」
アンスリウムは呆れた。悪魔は嫌な奴だ。皆を陥れた憎い奴だ。あんな奴がいなくなったからと言ってそれが何だと言うんだ。せいせいする。ショックなことなんて何もない。いつも通り一人に戻っただけだ。そして死ぬまで1人なだけだ。
ショックなことなど何もない、はずなのに
でも、水槽の中で目を覚ました時、狼男に会って本当はほっとしていた。勇者様以外に自分を知る者に会えてほっとしていた。
勇者に連れて外に出て、一緒に旅をして楽しかった。勇者が死んで悲しかった。それでアンスリウムの旅も終わって、全部終わったはずなのに、どうして自分はまだ生きているのだろう?
アンスリウムはだんだん疑問に思えてきた。自分がまだ生きていることが、勇者はもういないのだし、ノエルももういないのだ。なら自分も速く消えてしまわなくてはならないのではないか?
悪魔の意図した通り、アンスリウムは自分の存在意義を失った。
でも悪魔は一つ思い違いをしていた。アンスリウムが意思疎通の出来ない存在だと思いこんだことだ。そのせいで罪悪感など欠如していると決めつけてしまった。そうじゃないことに気が付けばアンスリウムを絶望させるなんてわけなかったというのに、嫌がらせにしぬ必要なんて全くなかったというのに、それを見落としてしまった。アンスリウムには致命的な弱みがあった。ただ一言、何故勇者を殺したのかと問えば良かったのだ。そう勇者を殺したのはアンスリウムだったのだから。アンスリウムは魔王殺しの炎であり勇者殺しの炎だった。
アンスリウムに心がなければそれは当然の結果だった。危険な炎の取り扱いを間違っただけ。災厄は善悪関係なく訪れる。でももうそうじゃなかった。アンスリウムにはもう心があった。アンスリウム自身は気がついていない嫉妬という感情。それが勇者を殺した。感情が意志が人を殺したならそれはその者の罪だ。もし悪魔がそれを指摘したなら理解させたならアンスリウムを絶望させることなんて簡単なことだったはずだった。現に今アンスリウムは悪魔の残したとは別の感情に、ノエルの献身と自らの行動の違いに自分を正当化できなくなって苦悩していた。
「なんで泣いているの? 」
いつの間にか、人形がアンスリウムを心配そうに見ていた。
アンスリウムは不思議とそれを驚かなかった。ノエルがいなくなったのに人形はバラバラにならなかったし最初から彼のまなざしを感じていたからなのかもしれない。
人形はびくびくと何かに怯えているようだった。いや、何に怯えているのか分かっている。人形は皆の魔力を、命を吸い続ける、疎まれてしかるべき存在なのだから。
でもそれでも彼は勇気を振り絞ってアンスリウムに話しかけてくれた。
「寂しい」
アンスリウムは素直に答えた。
魔力をため込んだ人形はいつしか自我をもった。いや本当は溜め込んでいた訳ではない。何故なら魔法式は間違っていたからだ。溜め込むことが出来なくて流れていただけだ。でもそれは人間も同じだ。血も息も循環の中にある。だから流れ続けた魔力の中で偶然起きた循環に偶然自我は宿った。
でも人形はそれを言い出すことは出来なかった。沢山の命を奪い自分が存在していることを理解していたからだ。少しずつやれることは増えていったが決してそれを言い出すことは出来なかった。あるいは消えてしまった方がいいかもしれないと怯えるばかりだった。
「でも駄目」
ボロボロと妖精は泣き出した。
「悪いのは私だから」
人形は必要とされる訳ないから皆に近くことは出来なかったけれど、もしそんな自分でも必要とされるなら力になろうと思っていた。
人形は泣きじゃくる妖精を前に力になりたいと思った。そしてその瞬間自分が何者であるかを思い出した。条件がそろったのだ。それはかつて魔女の子が魔女に宿ったのと同じ魂の輪廻のプロセスだった。魔法式は発動し彼にとっての何万年という時間が切り取られた。
そして人形は人間になった。
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