壱:おしゃべりな水飴

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有楽、という男について語ろうにも、おれはこいつの素性をほとんど知らない。 知っているのは、こいつが人間ではないということ、おれが幼いころから気まぐれに現れては人の生活をかき乱す悪癖を持っているということ、そして、なぜかは知らないが立派な菓子づくりの知識と腕を持っており、おれに菓子職人として生きる術と環境を与えてくれたということ、そういう恩義を粉砕して余りあるほど性格が悪く、おれを苛立たせる名人だということくらいだ。  おれは幼少期から高校卒業までを、地元の施設で育った。家族を事故で(うしな)ったからだ。物心ついたときにはすでに施設にいたから、学校に上がるまでは特に喪失感を感じることも、疎外感をおぼえることもなかった。 けれど、子どもの社会は存外残酷で、学校に上がった途端おれの生い立ちは心ない奴らの恰好のネタになった。親もいないくせに、と言われるたびに相手を殴って怒られた。中学に上がる頃には、もはやおれの生い立ちなんて後乗せオプションくらいの扱いになっていて、単に「喧嘩ばっかりしてるやつ」「ガラの悪いやつ」として知られるようになっていた。おれは、売られた喧嘩を買った覚えしかないのだが。  そんなおれの日常は当然どんどん荒んでいった。人を嘲るしか能のない奴らを殴ったって楽しくもなんともないのに、毎日押し売りに次ぐ押し売りとばかりに、次から次へと喧嘩の売り手はやって来る。殴らなければ殴られるだけなので、うんざりしながら拳を上げれば、捨て台詞として「やっぱり育ちの悪い奴は年季が違うよな」なんて聞きたくもない嫌味を浴びせられる。 おれは自分を育ててくれた施設にも、自分を置いて天国に旅立った家族にも、不満や恨みがあったわけじゃない。ただ、世界は敵だらけだった。 どこを歩いても、何を聞いても、どんな色を瞳に映しても、そこにおれのためのモノなんて一欠片も転がっていなかった。それでも幼いころは、そんな世界の色は変わると信じられた。いつかは優しい光が差し込む日が来るのだと。その祈りすら色を失ったのは、一体いつのことだっただろうか。
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