後宮のいかさま男装占い師

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 春燕が雪に出会ったのは、まだ八歳の冬だった。  その頃春燕は、家族とともに山深い(むら)に住んでいた。山肌に張りつくようにして建てられた城砦。そこに春燕たちは——朱一族は飼われていた。  飼い主は時の皇帝だ。朱一族は皆、大なり小なり異能を持って生まれる。それを独占して利用するため、皇帝は多大な庇護と引き換えに一族を自由に使った。政敵の暗殺、要人の警護、敵国への諜報。人ならざる力を使えばなんでもできた。  春燕が雪に引き合わされたのもそのためだ。  花びらのような雪が舞うある日、きらびやかな襦裙をまとった少女が春燕の前に現れた。立派な長袍姿の従者が、彼女を雪と紹介した。  春燕はぽかんと口を開けて、雪に見惚れた。  名に違わぬ真っ白な肌に真っ直ぐ伸びた濡羽色の髪が鮮やかで、いつまでも目が離せない。見たことのないほどの美少女ぶりに、宮城の公主だろうと合点した。  春燕の父は雪に向かって恭しく拱手(きょうしゅ)し、呆ける春燕に告げた。 「この方を命に代えてもお守りしろ。いざとなれば身代わりにお前が死ね」  春燕の幼い心は浮き立った。春燕の異能は一族の中では軽んじられていた。大した強さでもない、触れなければ発動できないなんて役立たず、と馬鹿にされる日々。そんな中で自分に任された大役に奮い立った。  もちろん、と大きく頷こうとしたところで、強い声がその場を圧した。 「こんな幼子に、命を賭けさせる必要があるのか」  それが雪の唇から発されたものと知って、春燕は驚いた。鈴の鳴るような可憐なものと想像していたのに、少し掠れて颯然とした響きだった。  おろおろとする父を尻目に春燕は雪を見上げる。雪の方が年上なのか、頭一つ分彼女の方が背が高い。  濡れたような黒い瞳の下には、隠しようもなく隈が浮いている。青ざめた頬が削げていた。  ここにたどり着くまでにどれほどの苦労があったのか春燕にはわからない。けれどその中で身代わりとなる子供を気遣うような心根が春燕には嬉しかった。 「雪さま、いいのです。私たちは皇帝陛下の影。いかように使われようと、それが一族の喜びなのです」  雪の顔が痛ましいものを見たようにしかめられる。ふ、と春燕から目を背け「……勝手にしろ」と呟いた。  それから春燕はずっと雪のそばにいた。雪の後ろをちょろちょろ追って、あれこれ話しかける。雪は押し黙っていたが、ついてくるなとは決して言わなかった。  そんなあるとき、雪が怪我をした。竹藪に入りこみ、尖った葉の先で手の甲を切りつけてしまったのだ。春燕は大いに慌てた。雪は平気そうに「こんなもの、放っておけば治る」などと雑に手巾を巻きつけようとしたが、春燕が止めた。 「お待ちください。今こそ私の出番なのです」 「……ふうん? 春燕が手当てしてくれるの?」  雪が興味を持ってくれたのが嬉しくて、春燕は張り切って彼女の手に触れ異能を使った。  目を閉じて魂へ憑依する。同化を深くする。切れ切れに過ぎる雪の記憶はなるべく見ないようにして、ただ雪の魂に寄り添う。  やがて春燕の手の甲に、全く同じ切り傷が浮かんだ。入れ替わるように雪の傷が消えていく。  雪が息を呑む。ぐらぐらする頭を押さえて春燕はにっこり笑った。  懸命に異能を強化した成果だった。単に魂に憑依するだけでなく、深く同化することで物理的な傷を自分の体に移す。まだ浅い傷しか移せないが練習すればもっとひどい傷でも移せるようになるだろう。  春燕は得意満面で雪を見上げた。きっと褒めてくれるだろう。とても役に立つね、と優しく言ってもらえるだろうと。  けれど雪は強く春燕の手を掴むと、 「馬鹿っ」  焦ったように言って手巾で春燕の傷を塞いだ。  きょとんとする春燕に雪は眉尻を下げて言い含める。 「こんな方法で助けられても、嬉しくもなんともない! もっと自分を大切にして。春燕が傷つく方がよっぽど辛いよ」 「でも、お役に立ちたくて……」  しょんぼり肩を落とす。どうしたら雪に喜んでもらえるかわからなかったから、春燕が持っている一番価値あるものを渡そうと思ったのに。  雪は嘆息してぎゅっと春燕の肩を掴んだ。 「それなら、その力を使うのは、私だけにして。誰にでも使ってはだめ」  肩を掴む力は痛いほどだった。けれどちっとも嫌ではなかった。雪の震える手から、心配してくれているのだと伝わってきた。 「は、はいっ」  それから二人の距離は縮まって、親友となった。雪と過ごしながら春燕はいつも密かに願っていた。  ——どうか、いつまでもこのままで。  それは叶うはずのない願い。春燕は知っていた。雪には本当の居場所があることを。彼女を待っている人が、邑の外にはたくさんいることを。  そして別れは訪れる。  ある冬の夜、雪道を従者が歩いてきて、雪を王城へ連れていくと宣言した。  春燕はべしょべしょに泣いた。王城のことは噂に聞いていた。今の皇帝はとんでもない暴君で、困窮する民は見て見ぬふり、自分は後宮で美女と戯れ、気に入りの家臣に惜しみなく金銀財宝を与えるのだと。  雪の襦裙の袖にすがって春燕は叫んだ。 「雪みたいに綺麗な女の子が王城に行ったら、きっと後宮で酷い目に遭わされるよ!」  行かないで、と咽ぶ春燕の頭を、雪の手が優しく撫でた。  その温かさにおそるおそる顔を上げる。雪は微笑んで、そっと春燕の手を握った。  そうして春燕の手の甲に、花びらみたいな唇を押し当てる。  柔らかな感触に春燕はぽかっと口を開けた。初めて触れる雪の唇は熱をまとってこちらの心臓まで焦がすようだった。  のぼせた春燕の瞳を、雪が覗き込む。ひどく真剣な顔つきだった。 「だったら約束して。春燕、必ず、あいにきて」 「ぜ、ぜ、絶対いく!」  それを最後に、雪と別れたのだ。  そのあと朱一族は先帝への反逆罪で邑ごと焼かれ、運良く生き残った春燕は人里を転々として賭場の下働きとして身を落ち着け、なんとかここまで過ごしてきたのだが。
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