43、ジェラルドの忠告

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43、ジェラルドの忠告

 ローズは侍女頭であるメリッサに、櫛で髪を梳かれるのは嫌いじゃない。ときに子ども扱いされるのはくすぐったくて嬉しいものである。 「本当にローズ様の髪は、お美しい。こんな素晴らしい髪を染めていたなんて、メリッサの目も頭もどうかしていました」 「わたしが頼んでいたことだから、メリッサは気にしないで」 「いいえ、気にします! だからこうやって、いつまでもお手入れさせて頂きます」  メリッサの優しさに、ローズはもう苦しくはならない。午後から、クライン家のティアへのピアノ家庭教師へ出向くという、自分の役割があるからだろうか。芸術祭まであと一か月半ほど、その練習も日々の励みとなるだろう。自分にできることがあるというのは、何て素晴らしいことだろう。メリッサがローズの身支度を手伝いたくなるのも、こういう気持ちなのかもしれない。  いつもの穏やかな時間は、ノック音で中断される。この癖のある叩き方をローズは知っていたし、メリッサも知っていた。取り次ぎも必要とせず、その扉は静かに開いた。 「王宮で倒れたようだな」  紅い髪と瞳は、午前の太陽よりも夕闇が良く似合う。レディング家次期当主、ローズの兄は、同じ瞳の色をもつ妹を冷ややかな目で見つめた。  ローズが椅子から立ち上がろうとするのを手で制し、遠慮なく妹を爪先から頭まで値踏みする。腕を組みながらため息が漏れていた。 「ご迷惑おかけしました、お兄様」  二日前の出来事だ。兄が知っているということは、父も知っているだろう。ユリウスハルト殿下の前でピアノを弾き、ドレスの窮屈さで倒れ、王宮で半日休ませて頂いた。帰宅したのは、夜も更けてからだった。昨日もメリッサに休むよう諭され、おかげで今朝は何ともない。 「それで、どうだった?」  ジェラルドの問いかけは端的だ。無駄な時間を嫌う。 「……芸術祭のことでしょうか?」 「違う、ユリウスハルト殿下のことだ」  芸術祭でローズがピアノを弾くことはすでに、レディング家としても決まっていたのだろう。第二王子のことを聞かれても、ローズは何と答えればいいのだろうか。 「……バリトンボイス。深く心地よいお声をされていました」  仏頂面で愛想がないとも言えたが、王族の気品と神秘さ所以と言われればそうなのだろう。『なき王女』をリクエストしてきたのも、何かあの王子の深淵さが窺えた。 「いい男だったか?」 「はい?」  兄の質問の意図がわからず、驚く。 「忘れ物だ」  ジェラルドが妹に手渡したのは、ピンクの薔薇と白いジャスミンの細工でできた髪留め。アンリから誕生日プレゼントにもらったものだった。 「ど、どこに?」 「昨日、王宮で。ユリウスから」  二日前、王宮へ出向いたときに確かに髪留めをしていた。その夜も、昨日も、身体を休めることを優先していたので無くしていたことは認識していなかった。メリッサを見ると彼女は気づいていたようで、ローズに小さく頷いた。 「ありがとうございます。……ご迷惑おかけしました。お兄様にも、殿下にも」  同時に、ふと気づく。  先ほど兄は、ユリウスハルト殿下のことを「ユリウス」と呼んだ。 「お兄様は、殿下とお知り合いで?」 「……四つ下の後輩だ。王太子殿下と違って、ユリウスは同じ学校だったからな」 「そうなのですね」  ローズとジェラルドは十歳離れているので、兄の交友関係はほとんどわからない。レディング家によく来ていたアンリ・ベルリオーズは別として。 「芸術祭のことで、あまり調子に乗るなよ」 「……乗っていません」 「殿下が黒薔薇を抱きかかえていたと、王宮内は賑わっていたがな」  ローズはすぐには言葉が出ない。自分が倒れた後のことは覚えていない。客室のベッドで目を覚ましたので、誰かに運ばれたのだろうとは思っていたが、まさか第二王子が相手だとは考えもしなかった。 「俺はユリウスもおまえも知っているから、下世話な想像はしないが。……まぁ、そういうのが好きな輩もいる、とだけ覚えておけ」  ジェラルドはそう言って、部屋を後にした。
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