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泣かない俺を抱いて①
幼稚園に迎えにいくと、保育士に肩を抱かれるカイトと、腕を組み仁王立ちの女性、その足にしがみつく男の子が待ちかまえていた。
「あの、ソラくん・・・」と保育士がおずおずと俺に声をかけ、教えてくれたことには、母親の足に隠れる彼の巾着袋を、カイトがドブに投げ捨てたらしい。
保育士が責めたててくるでなく、困っているようなのと、相手の巾着袋にワッペンがついているのを見て、察しつつも「すみませんでした」と頭を下げた。
眉を逆立てていた、相手の保護者は、俺が学生服姿なのもあって、即座に頭を下げたのに、やや怯んだようで、くどくど文句をつけてこない。
それまで、謝ることなく、ふてくされていたというカイトは、俺の態度に倣って、渋々というように「ごめんなしゃい・・・」と頭を垂れて、なんとか、丸くおさまった。
唇を尖らせたカイトは帰り道、口を利かなかったものを、公園に寄ってベンチに座ると、泣きだして、先の事情を明かした。
思ったとおり(幼稚園支給の無地の)巾着袋にキャラもののワッペンを「ママがつけてくれたの」としつこく見せびらかされて、キれてしまったらしい。
ワッペンをつけるくらい、訳なかったが「じゃあ、俺が」と口だしはできなかった。
というのも、母親か兄にしてもらいたいはず、だからだ。隣家の兄の友人では、意味がないわけで。
ヒロシと俺は、同い年の幼馴染。
近くに住んでいることもあり、中学に上がるまでは、よちよち歩きのカイトの子守がてら、しょっちゅう遊んでいた。
が、同居して面倒を見てくれていた、お婆ちゃんが亡くなってからは、あまり顔を合わせなくなり。
証券会社で働くヒロシの母親は、一週間、家に帰ってこないのはざら。
お婆ちゃんが亡くなっても、そのスタイルを変えず、家政婦を雇うこともいないで「高校生になったんだから」とヒロシにすべて任せたらしい。
詳しい事情は知らないとはいえ、どうも、生活費も渡していないらしく。
学校に通いつつ、朝から晩までヒロシはバイト三昧。
その上、家事や弟の世話をしては「体を壊すのでは」と心配し、どうせ暇だから「手伝おうか」と申しでても「おふくろが、他人を家にあげるなっていうから」と距離を置かれている。
まあ、家に入れなくても、手伝えることはある。
幼稚園のお迎えをし、ヒロシがバイトを終えるまで、俺の家で預かって、帰るときに、おかずを詰めた使い捨て容器を持たせて、門の前まで送っていく。
なんて、生活をつづけて一年ほど、今やヒロシより、俺のほうがカイトと過ごすことが多く、事情に疎い人には、実の兄のように見られるほど。
はじめは、気丈にふるまっていたカイトも、今では、すっかり寂しがり屋の泣き虫に。
「ん」と両手を広げれば、しがみついてきて、胸に顔を埋め、泣きじゃくる。
小さい体を、すっぽりと腕で囲って「カイトは、よく泣くなあ」と呟いたら、涙をこぼしつつ「だって、お母さんも兄ちゃんも、泣いてくれないんだもん」と見上げてきた。
「この前、怪我したのに、兄ちゃんは『病院にいく暇ないから、気をつけろ』って注意するだけだったし、お母さんは気づいてもくれなくて」
「ソラお兄ちゃんも、泣いてくれなかった」と恨めしそうに涙目を向けたものを、俺がだまりこむと、はっとしたように「ごめ」と眉尻を下げる。
謝ろうとしたのに、首を振って「俺は泣いたことがないんだよ」と頭を撫でてやった。
「母さんがいうには、生まれた瞬間も泣かなかったし、それから今まで、一度も涙を見せたことがないって。
俺も覚えている限り、そうなんだよな。
皆が泣いているのに、一人ぽつんと、ぼんやりしている、なんてことは、しょっちゅうで」
餌待ちの雛鳥のように、口を開けたままでいるカイトに苦笑しつつ「だから、カイトだけに、泣かないわけじゃないんだ」とぽんぽんと背中を叩く。
「俺が泣かないのは、生まれつきの体質のようなもので、ちゃんと悲しいって感情はある。
泣けなくても、カイトが怪我をしたら、自分の体が傷ついたように辛いよ」
呆けて、とどめていた涙を、とたんに滝のように流して、力いっぱい抱きついてくるカイト。
痛いほどの腕の締めつけと、食いこむ爪に、愛おしさを覚えつつ「実の兄でない俺が宥めても、気休めでしかないんだよなあ」と問題の根本の解決には至らないことに、やりきれなさを噛みしめたもので。
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