ふたり。

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ふたり。

高校に入学をして半月がたった四月の半ば。 サッカー部の練習が急遽中止となった月曜日の放課後、日下部 光太(くさかべ こうた)は教室で机に突っ伏していた。練習をしてから帰るつもりでいた為、時間が空いてしまい暇になってしまったのだ。家に帰る事も考えたものの、家は定食屋をしており、今帰ると手伝わなくてはならなくなってしまう。その為どうにかして時間を潰したいと考えていた。 教室の窓が一箇所開いていて、そこから涼しい風が流れ込んでくる。カーテンが風になびいて大きく揺れ動く。光太はそのカーテンをぼんやり眺めながらこれからどうしようかと考えていた。 その時、誰かの机の上に置かれていた紙が風で飛ばされて光太の足元に落ちる。光太はダルそうに体を起こして椅子に座ったまま手を伸ばし、その紙を拾い上げる。 (絵が描かれてる。美術部のか?) その紙にはチューリップの絵が描かれていた。白紙のド真ん中に鉛筆で丁寧に描かれており、光太はその絵をしばらくじっと眺めた。 返そうにも教室には誰もおらず、名前も書かれていないその紙の持ち主がわからなかった。仕方がないと教卓の上に置きに行った。その後、また飛ばされては困ると思い窓を閉めに行く。その間、先程のチューリップの絵が頭の中にチラついた。 窓を閉めた後に自分の席に戻り、机の中に手を入れた。教科書やノートの奥にぐしゃぐしゃになったプリントがあり、光太はそれを引っ張り出した。教科書類を出し入れする度に奥に押し込まれて無惨にもこうなってしまったようだ。その紙を広げると、内容は各部活の紹介文がイラストとともに載せられたプリントだった。 入学して直ぐに配られたプリントが机の奥に押し込まれ存在を忘れていたのである。光太はそのプリントを裏返すと、裏は何も描かれていなかった。 (これでいいか) そのことを確認すると、今度は机の横に置いていた黒い大きなリュックサックからペンケースを取り出した。そこから一本シャープペンシルを手に取り、カチカチと芯を押し出した。手で伸ばしたとはいえ、ぐしゃぐしゃで形の悪いプリントに、シャッシャと音を立てて絵を描き出した。 薄い線で輪郭を縁どり大まかな形を描き出す。光太はさっき見たチューリップのイラストを真似て、自身もチューリップを描いていた。実物も見ないで想像に任せて描いているが、それでも光太の心は躍っていた。 (確かチューリップってこんな感じだったよな) チューリップの大きな花弁を一枚、また一枚と丁寧に描いていく。光太は夢中になってそのプリントの裏面にかじりつく様にしてただひたすらに線を引く。 時折、ああでもないこうでもないと小声でブツブツと呟きながら消しゴムで消して描き直したり、かなりこだわりを持って集中をする。 光太は昔から絵を描くことが大好きで、簡単な落書きや、アニメチックなイラスト、デッサンや模写も好きである。誕生日プレゼントやサンタクロースへのお願いにはに画材を指定することもあった。 しかし、いつも渡されるのはサッカーに関するものばかりだった。絵の具セットを希望した時にはサッカーボールを貰い、色鉛筆を希望した時にはスパイクを貰った。決して嬉しくない訳では無かった。けれど、両親が絵を描くことよりもサッカーをすることを勧めているのが伝わってきていた。 そうして光太はいつしか絵を描く時間を減らしてサッカーに充てる時間を増やした。中学三年生の頃は受験勉強もあり、絵を描くことはほぼ無かった。たまにノートの端っこに落書きをする程度だった。 (こんな感じか?) 久しぶりに時間を使って描いた絵は、光太にとっては納得のいくものでは無く、さっき見たチューリップの絵に比べて荒削りだなと思った。それでも“楽しかった”と心は満足をしていた。 もっとちゃんと描きたいから、次はプリントの裏ではなくスケッチブックを用意して、実物のチューリップを眺めながら描こうかなと考えていた時背後に気配を感じた。 勢いよく振り向いた先には、中腰になりかなり近い距離でニコニコしながら光太を見ている人がいた。今の今まで絵を描くことに夢中になりすぎていて、人がいたことに気づけなかった光太は、驚きすぎて声も出せずに椅子から落ちそうになった。 「わ、危ない」 咄嗟にその人が光太の腕を掴む。何とか落ちはせずに済んだが、光太が驚いた時に体を机にぶつけてしまい、机の上からチューリップを描いたプリントがひらりと床に落ちた。 「落ちたよ」 「だ、誰だお前? いつから俺の後ろにいたんだよ」 彼の指摘に被せるようにして光太は大声でそう問いかけた。 光太の真っ黒でツンツンとした短い髪とは真逆に、彼はの髪はベージュっぽいようなピンクっぽいような色味で、毛質はふわふわとしておりパーマをかけているように見えた。彼は少し長めな前髪を鬱陶しそうに顔を振る。 顔立ちもまるで真逆である。光太のつり目に対して彼はたれ目で優しそうな顔立ちをしていた。どこか大人びている雰囲気を見て、この高校の二、三年生なのではないかと光太は考えた。 「驚かせてごめん。ボクは隣の四組の渡西だよ。キミはここの三組の人だよね?」 「そ、そうだけど」 (なんだ、同い歳なのか) 高校一年生に見えない、もはや制服がコスプレと言われても違和感のない彼は自己紹介をした。 「まだこの時間に残ってる人がいて気になって教室入っちゃった。したらあまりにも集中して絵を描いていたから見入ってたんだよ」 「声かけろよ」 ずっと笑顔を崩さない彼に内心不気味だなと感じつつも光太は一応会話をする。隣のクラスと言われても、まだ入学して半月なためクラスメイトすら全員を完全に把握しきれていない。廊下ですれ違った記憶も無く、初対面だった。 「見られるの嫌だったかな? ごめんね」 「いや、もう見られたもんはしょうがないし」 「本当に絵が上手で見てて楽しかったよ」 「そうか? あまり自信はないけど」 「ねぇ、キミは名前なんて言うの?」 「日下部光太」 「光太、光太! よろしくね、光太」 名前を教えると、渡西と名乗る男は嬉しそうに光太の名前を呼んだ。 「ところで、帰らないの?」 「あー、まだあと少し時間潰さないと帰れないんだよ」 「何かあるんだ」 「今帰ると家の手伝いをさせられる」 「あはは、なにそれ」 彼は光太の隣の空いている席に座って、体ごと光太の方に向けた。急に現れ話を進める彼に少し戸惑ったが、どうせ暇だしと思い光太も彼の方を向いて座り直した。 相変わらずニコニコとしている彼が手に持っていた小さめの紙が目に入った。光太はその紙をじっと見ていると、気がついたのかその紙を差し出される。 「これ、気になった?」 「なにそれ?」 「遅刻届だよ。ボク、今日は遅刻しちゃったから。ちゃんと記入して提出するようにって言われちゃって、さっき職員室から戻ってきたところ」 「渡西……なんて読むんだ?」 「夕那だよ。渡西 夕那(わたにし ゆな)。女の子みたいな名前でしょ」 光太が夕那の顔を見ると、夕那は照れくさそうに目を逸らした。さっき名乗った時は名字しか言っていなかったから触れられたくなかったのだろうか? 光太は何となく気まずくなって教室の壁にかけられている時計を見た。 時計は短針は五時前を指していた。 「さっきの絵、拾わないの?」 「あ、落ちたのか」 夕那が床に落ちた紙を指さしそう言うと、光太はその紙を拾い上げた。そしてチューリップの絵を隠すように二つ折りにして机の上に置く。 夕那はその行動を黙って微笑みながら見ていたが、机に置かれた時にひょいと取り上げて紙を広げて中を見る。 「あ、おい!」 「素敵、本当に絵が上手いんだね。この教室にチューリップなんて咲いてないのに、想像して描いたの?」 「……まぁ、半分は想像」 「そうなんだ。すごいね、光太は美術部?」 「サッカー部」 「えぇ! 運動までできるなんて、神様は不公平だなぁ」 そう言って笑った夕那は、先程までの笑顔ではなく、乾いた笑い方をしていた。光太は少し気になったが、初対面の相手にズケズケと聞くのは気が引けて黙り込む。 それ以外にも突如現れた夕那に関して気になることは多々あったが、今日以降クラスも違うし関わること無さそうだな、と思うことで考えるのをやめた。 「今日はサッカーしてないんだね」 「急に中止になったんだよ」 「へぇ、そうなんだ。じゃあいつもこうして絵を描いてる訳じゃないんだ。ボク、また光太が絵を描くところ見たいな」 「描かない」 「え? 描かないの?」 「普段は全く描かない。サッカー部で忙しいし、今日はたまたま時間が空いただけだから」 夕那が光太から紙へまた視線を移した。光太は自分が描いた絵を見られていて落ち着かなかったが、その様子を見て悪い気はしなかった。 夕那は時折小さく微笑みながらその紙を指でなぞるように撫でている。 「これ、ちょうだい」 「は? こんな落書きいらないだろ」 「落書きなんかじゃない。ボク、これ欲しい」 「まぁどうせ捨てるつもりだったからいいけど。俺が描いたって誰にも言うなよ?」 「言うつもりは無いけど、なんで? せっかくこんな素敵な絵を描けるのに、ボク以外は知らないなんて勿体ないなぁ」 夕那はその紙を丁寧に四つ折りにして、ダボダボに緩い薄ピンクのカーディガンのポケットにしまった。 「また二人で会おうよ」 「なんで?」 「絵を描いて欲しいんだよ。ボクの前でなら、もう知られちゃったしいいでしょ?」 「……まぁ、暇な時なら」 「やったあ、明日もお昼とかに会おうよ。人が来ない場所知ってるからさ」 夕那のペースで話が進んでいくが、光太は特に気にしてはいなかった。この短時間で夕那に少し慣れてきたのだ。変なやつ、と思いはしたが口には出さずに提案を受け入れる。 断ることも考えなかった訳では無い。それよりも絵を描くことを求められたのが初めてで嬉しかったのだ。 しまい込んだ使いかけのスケッチブックを持ってこよう、まだ新品で削ってない鉛筆を持ってこよう。 光太の心はいつぶりかに絵に対するワクワクを感じていた。 「……ふふ、楽しみ」 「じゃあ明日お前のクラスの前で待ってるから」 「ありがとう。お迎えに来てくれるんだ、嬉しいなあ。明日はちゃんと来なくちゃね」 「まだ半月で遅刻って、お前だらし無さすぎだろ」 「……うん、気をつける」 夕那は光太からの言葉に少し間を置いてボソッと答えた。その様子に言いすぎたかもしれない、と思うも撤回して何か気の利いた言葉を言えるほど光太は器用じゃなかった。 少し気まずい空気が流れ、カチカチと長針が動く音と、遠くから聞こえる吹奏楽の演奏の音が存在感を増した。 そんな中で夕那はおもむろに立ち上がり光太に微笑みかけた。 「ボクは帰るけど、キミは?」 「あー、そろそろ帰ってもいいか」 「うん。じゃあ帰ろ? と言ってもボクは一旦遅刻届を提出に行かないといけないからここでバイバイかな」 「おー、じゃあな」 「うん。また明日ね」 ヒラヒラと手を振る夕那は教室から出ていく。パタパタと小走りする音が聞こえなくなるまで光太は動かずにいた。やがて聞こえなくなると、帰り支度をしてリュックを背負い伸びをした。 (明日絵を描くのが楽しみだなんて。面倒だから親に知られないように用意しないとな) 無意識に口角が上がっていた。隣のクラスにあんな変わり者がいた事を初めて知ったし、そんな変わり者の夕那はやたら絵を褒めてくれた。 光太にとって夕那は印象は悪くないし、一緒にいて嫌な気もしなかった。自分の好きなことを肯定してくれた相手だから当然だろう。 光太は入学式の前日ぶりに高校に来ることを楽しみに思えた。
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