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⑧壁の向こう側
まどろみに沈む意識の裏で、誰かが勝手にタマネギを刻んだらしい。
私の長すぎるお睫毛サマを使って、少し料理をしたくなってしまったらしい。
海のように流れていた涙をそのままに、私は目を開いた。 無理矢理金縛りを解いたときのような、強引に何かから自分の意識を引きずり出したときのうねるような頭痛は、5秒ばかり、起きてすぐの私の顔を歪に圧し曲げた。
「目ぇ、覚ましたかい」
前方、小さなおばぁちゃん一を匹確認。四方八方、知らない壁と天井を確認。此方、七割ミイラになった包帯とベッドを確認。
状況を整理……どうやら、無事 運ばれたらしい。
「……助けてくれたの?、ありがとう。おばぁちゃん、」
気力のないもやの掛かったような感謝。受取主は、何故か少しだけ呆気にとられたように口を開いてみせた。
「し、白々しいヤツじゃの……、いや。そうでもねェんか」
もにょもにょと、コチラにギリギリ聞こえるか聞こえないか程の声で呟いては、私を見て謎の納得をする彼女。やがておもむろに立ち上がり二人分お茶を汲むと、状況が何一つ理解できていない患者の、ギプスが着いていない方の手にソレを握らせては。ゆっくりと、そのしわしわの口を開いた。
「ココはツヴァイシー。通称 凍った町、村……集落、かのぉ?」
「凍った?、てかどんどん落ちてくじゃん自信持ってよ。ていうかアレだ。タインフィーア、じゃないんだね」
「昔はもっとデカかったんじゃがちと訳アリでな。というかオンシ、そんな遠い所を目指しとったんか。初耳じゃぞ」
「初耳? そりゃ寝てましたから――
言い終える丁度のタイミングで飛び込んできたのはもう一人の影。そうだ、もう一人いる!
雷に打たれた時、背に載せていた確かな命の所在を求めて、枕に預けていた背を跳ねるように起こす。今更ながら晴れた記憶の霧の向こう、つぐまれたハズの私の口からは、クラッカーのように、その大きなシルエットの持ち主の名が飛び出した。
「――ッラスタフ!!」
押し寄せた記憶に飛びついた焦燥。身体全身に冷や汗をにじませて、涸れた涙声で精いっぱいの大声を荒げた。
「おばぁちゃん!! もう一人! もう一人いなかった?、熊みたいな図体して赤ちゃんみたいな顔した金髪!」
「ぐぇ、ちょっ、落ち着かんかオンシ。話を――
数秒前口を付けたコップすら毛布の上に忘れ、何故か首を絞めて喚くほど取り乱したアホウドリの右手をパンパンと叩く老婆。ギプスのせいで何も伝わってない降参を続ける彼女に代わって、回答者は向こうから現れた。"ガガッ" と建付けの悪さを無視してこじ開けられた、古びた扉の向こうから口を開いたのだ。
「呼んだか?」
それは全身を包帯でぐるぐる巻きにされた、熊みたいな図体をしたベビーフェイスの金髪だった。
「ラスタふ”!!!」
生きていた! 間違いない! 大丈夫、夢じゃないのはさっきこぼしたお茶と折れてるのに力入れた右手から沁みる程伝わってる。あぁ伝わってるともさ!!
あの絶望から無事二人とも生還したという喜びに刺された目からは、海面上昇を更に進めるモノがこぼれた。
「目を覚ましたのか!――って何してるバカ! その人を放せ!」
「ん”?、あぁ! ゴメンおばぁちゃん! 生きてる?」
歓喜の表情を浮かべるコチラとは真逆の、青ざめた彼の表情に正気を取り戻した私。腕の先で泡を吹く、すでにこと切れてそうな見た目のコトを本当に切ってしまう寸前で、ようやくその両手は離れた。
「いやぁ~~生きてたんならそう言ってよね、心配させちゃってサ?」
「ハハハ、すまない。流石にずっとそばにいるワケにもいかなくてな」
「あれ、もしかして相当寝てた?」
「ああ。無災記録は今日で4日目だ」
「そんなに!! 」
あぁ、どおりで全身なんか動かしづらいわけだ。ノドもからからだしさ、「あ”~~」
ワザとらしく肩を回してガラガラとノドを鳴らして。いつの間にか蘇生したおばぁちゃんが淹れてくれてた二杯目に口を付けた。
味は・・・・・・正直わからない。香りは少しフルーティー、後はそれどころじゃない。チョット、っていうかかなり熱い。典型的な温度感覚マヒしたじぃちゃんばぁちゃんの入れるヤツだ。威力が高すぎる。
地面タイプなら確定一発だし、追加効果3割でやけどにしてくるだろう。
そんな舌とノドから変な濁音を漏らさせるほどに煮えたぎったのどごしを、私は先ほどとは違う色の涙目で押し切った。
カラになったカップ、底を眺める暇もなく再びそのルイボスのように赤い熱湯は注がれた。
え、早くない?、余ってるの?、何!?在庫処理?
目も合わさぬ流れ作業にそう突っ込みたくなったが、ノドが焼けて声が出なかった
「茶だけもなんだろう」
お年寄からの耐えがたき善意を白目で耐え、忍び難き熱さを痙攣をおこしながら忍ぶ私にニタニタとした顔を向けながら、大男はどこからか取り出した桃色のフルーツの皮を剥きだした。頼りないペラペラのナイフと頼もしさしかない分厚い掌を、恨めしそうに睨む私と目が合って、彼は隠す気もなくフフッ、と笑った。
「しかし……まさか本当に助かるとはな、」
ラスタフは再び話し出した。少しおぼつかない、を通り越してやや危なっかしい手つきで、食べたことがなくてもわかる余分な厚さで皮を剝きながら。
だめだよボク、その手つきで回想するのやめといたほうがいいと思うよ。多分 新しい思い出を掌に比喩抜きで刻み付けることになるよ、一人暮らし長いんだ、お姉さんわかるよ。
「自分で計画していたとは言え、深部まで見れたことはなかったし。途中で十中八九引き返すことにg痛ッ、」
刺さったよ、ブスッって言ったよ、止めなよ。
「……なると思って、なんなら脱出キットも……出番はなかったが、」
あ~。まぁ、もういいや。というかそんな失敗率高い作戦に巻き込んだんですかこの人は。はぇ~~さっすが公務員サマ、民間を巻き込むのがお上手でして。
というか金目当ての私は兎も角、この人はなんで来たかったんだろう。普通じゃないよね、ここまでするって。そういや訊いてなかったな、
指に布を当てながらずるずると続く彼の、ありがたいお話をほとんど右から左に受け流して。全く冷めないお茶をちびちびとだけ飲みながら。私はただぽけ~~っと、その果実を眺めていた。
「まぁ、何はともあれだ。魔獣の群れに襲われて、落雷まで落とされて、今こうして息をしていられるのは、間違いなく君がいたからだ。地位も金も人望も壁の向こうに置いてきた今、言えるのはこれくらいだが、本当にありがとう……アンヌ、」
「――ぇ、。っっふぇ!!」
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