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「なんでもない」
そうだ、なんでも。何でもないんだ。言い聞かせるようにそう呟いた。
喉の奥に引っかかっただけのソレを、私は忘れるように、押し戻すように、少しだけぬるくなったお茶で流し込んだ。
「で、結局ここってどこなの? さっき訊いたけど」
不器用に切られた甘酸っぱいサンタローザをかじりながら、先ほど外国語の教科書の一ページ目並みに情報のないまま終わってしまった質問の続きを、横で茶をすするおばぁちゃんに尋ねる。
「さっきも言ったじゃろ、凍った町。ツヴァイシーじゃ」
「ゴメン、どこ?」
「グレイツェルン民主共和国の端の端。まァ、と言ってもこれより先は全部未踏領域、国境には面しとらんがの」
「ナルホド……」
とりあえず国に入ること自体は成功していたことに安堵しつつ、ココがまだまだ目的地には遠い辺境の地であることを理解する。
「"凍った" てのは?」
「窓開ければ理解るぞい」
「届かないであります! ら、ガランくん!」
まだ少し呼び方に慣れない私にハイハイと微笑みながら、絆創膏が増えた大男はすぐ近くの窓をバタンと開けた。
その瞬間、私の羽毛にビュウと飛びついたのは、"白" だった。
「は!?、寒ッ!!ナンデ!?」
「ふふふ……予想通り」
窓の向こう、突如として 押し寄せてきたのは "白銀" の一枚。
うすら寒いギャグでニタ付くおばぁちゃん。妙に腹立つ眼前の顔に頬を膨らませながら、私は今更ながら、出された熱い飲み物を違和感なく受け取っていた自分のおかしさを思い出していた。
「どうなってるの!? 今って確か夏だよね? セミ鳴いてたし」
「六月じゃな」
「だ、だよね!?、え、じゃなんでさ?外雪舞ってるんですケド」
セミどころか大半の虫の寿命を三分ぐらいにしそうな気温、ちりちりと舞う粉雪。髪染めすら叶わず丸刈りにされた木々、パラパラと残るは刺々しい針葉樹……
温度計をそのままひっくり返してしまったかのような異世界だ。明らかに夏の北半球が出力してはいけない外の景色を、手元でボロボロになった四日前の記憶と、何度も何度も間違い探しするように見返した。
三度見にしてようやく間違いを一つ見つけた。それはこの二枚の絵で間違い探しをすることが間違いだという事実だった。イチゴがいくつ乗ってるかを探すから面白いのであって、グラタンとスパゲッティを比較することに喜びを見出すほど、私の気は振れていなかった。
ハードルが低すぎて星の裏側から生えてきてしまったような難易度のミッケを強引に折りたたんでは、やつれた顔でゴミ出しの日を待ちわびる私。横でひとしきり観光客のヘンテコな反応を楽しんだ後、ようやく物好きな老婆はガイドの旗を持った。
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