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「標高2500メートルの高地をムリヤリ切り拓いたツヴァイシー。周りの山々が暖かい偏西風をせき止め、海からも非常に遠いこの地域は、一年を通して非常に寒い気候が続く。まぁ他にも色々あるらしいがの、」
「ながい。どゆこと?」
「ここの夏は氷を溶かせん。ま、イカレとるっちゅうことじゃな。ふぇふぇふぇ」
なら住むなよ、どう考えても避難区域でしょうよココ。
出掛かった声を手で塞ぎ込む。スッと細められたその瞳が、言葉のキャッチボールを知らない目だと気付いたから。その目を、ドッジボールが得意そうな目を、私は知っていたから。
ただあからさまに顔をしかめ、口をとがらさえた私をのぞき込むように怪しく、その抜けた歯から音を鳴らして老婆は笑っていた。目の前で常識の辞典を一生懸命開いては見ず知らぬ外来語に苦悶する私を、彼女は確かに愉しんでいた。
ナルホドどうして。九死に一生を得たつもりが、まだ十死になっていなかっただけらしい。
(チョット、どういうことさ?)
逃げるように隣へ目をやる。死んだ目を浮かべたまま、先に聴いていたであろうもう一人の死んだ魚の目の持ち主に囁いた。
(来て思い出したよ、ツヴァイシー、古名をフリューヅェレン。キミを阻んだ紛争における、最前線の一つさ。気候が気候な分、本当に様子のおかしいもう片方よりはマシだが、住民の大半は軍人かハンターだ。モノとか絶対くすねるなよ)
(先言ってよぉ……)
おいおい、私はクーポンを持ってるか訊いたんだ。誰もミスジステーキを頼めだなんて言ってないんだ。どうするんだ、財布の中身ほとんどないってのに。
見てるかいカミサマ、良いよ。言って。まだココが冥府の最寄り駅だって言われても受け入れるよ。
絶句しながら隠す気もなくため息をこぼす。これから待ち受ける災禍を忘れるように、窓の奥、少し強まってきた粉雪を眺めた。
「で、そろそろオンシらのことも訊きたいの」
お茶の熱さにも慣れた頃、へりくだる私に反比例して朗らかになったおばぁ様が口を開いた。
「なんですかぁ?」
わかりきっておきながら逸らした。まぁ、多分感づいてはいるんだろうけど。
「別に不法入国者なんて見慣れとるぞ」
「え、そうなの!?」
あのささやきをもらってからと言うもの、棒高跳びくらいには高まっていた警戒心。それが突然パチンと、輪ゴムのように切れるものだから、思わず肺をひっくり返すほどの大声をだした。
「そらぁ、こんな最果ての町、観光客なんて来んわ。それに――」
「それに?」
「オンシら、あの山越えて来たじゃろう。悪いがその時点で出身地なんざ一つじゃ」
「あ、そっか。面してないもんね。てかその言い方だと多いの?、密入国者」
「……まぁ、ぼちぼちの」
「ちょっとぉガラン君きいてるぅ~、お仕事ちゃんとしてくださいよ~~」
煽る気しかないナメた顔で彼の方を向く。しかし期待したリアクションとは裏腹に、彼の顔は複雑な、どこか悲しげなモノだった。
「ン?訳あり?……あっ、もしかして亡命とか?」
「違うさ、ただ――
「ただ?」
「私たちは、市民の命を守るために働いていた」
「んなこたぁ知っておりましてよ」
「……そうだな、ありがとう」
「煮え切らないな~~どうしたのさ?」
どこか濁そうとする彼の口ぶりにますます首をかしげた私。彼は一呼吸置いた後、ようやくその重い口を開いた。
「救えんよ、死にたいヤツの命までは」
「そ、ソレって――……
どうしようと横を向いた。言失言した時の政治家の気分だ。いや、まぁ、配慮が足りないと言われましてもおっしゃるとおりなのですが。
「ワシが喋ったのは、オンシらが初めてっちゅうことじゃな」
ただオロオロと言葉を集めてはこぼしていた私をみかねてか、少しだけ真っ直ぐを逸れた言い方でおばあちゃんは呟いた。
「な、なるほど、」
更に小さい声でそう呟くと、立ちこめた静寂を土曜の昼下がりにでもしてしまおうと、私はお茶をすすった。わざとらしくすすった。
「で、話を逸らすでない! 何モンなんじゃオンシら」
そのまま終わって行くかと思われた会話に、そうはさせまいと目を見開き、声を強めたおばあちゃん。あぁそうでしたと私は急いでカップを置いた。
「ごめんごめん、私はアンヌ、アンヌ・レヴァンナだよ。出身は――まぁどっか南のほうで、仕事は運び屋やってます!」
わざとらしく敬礼して見せる私。ソレを見た彼女は、何故かフッと吹き出した。変では、ないと思うんだケド、
「あーナルホド、運び屋か。まぁ別に今更パスポートがどうしただの詰める気はないがのう、コレは、流石に没収させてもらったぞい」
少し呆れたような笑みを浮かべながら、懐から布で包まれた小荷物を取り出す彼女。 あーそういえば。と今更ながら毛布をめくり、何も付いてない太ももを確認する。
というかアレだ、今気付いたケド私これ裸じゃん。包帯グルグルされてるだけでパンツすら履いてない。何か刺さってるケド――って違う! 無いんだ服が。背中を通さず前を隠せて鉤爪と鱗に引っかからず、且つ尾羽を出せて腰と首で縛れるそんな服が。
いやあるわけないじゃないか、普段バート専用のホテルみたいなのあるからすっかり忘れてた。
今更ながらベッドを窮屈に感じ始めていた翼開長5メートルの痴女をよそ目に、おばぁちゃんはポットの置いてあったテーブルの上に、その中身を広げた。
「げぇ!?」
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