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漸く藤倉の仕事を引き継ぎが終わり、部長と呼ばれる事に慣れ始めた金曜の夜、藤倉から飲みに行かないかと誘われた。
家帰って飯作りたいんだがなあ、と渋りながも矢作にLINEを入れると、「たまには行って来たら? 明日から大型連休だしごゆっくり!」とあっさりとした返事が返って来る。いや、あっさり過ぎんか? そりゃ連休はまったり過ごせるけどさ?
些かしょんぼりしていると、藤倉がくつくつと笑いながら安心してんだよ、と、俺の背中を叩いた。
適当な居酒屋に入り、カウンター席に座る。こじんまりとした店内は昭和の臭いがした。壁に貼られている某ビールのポスターとか、平成生まれの俺でも懐かしさを感じるものだ。こういう店は、味に期待出来る。メニューを一通り見て、自分で作った事の無いものを頼んだ。
先ずは生ビールだなと言うと藤倉は既に焼酎を頼んでいる。興醒め過ぎるぜよーちんよ、と思いながら乾杯すると、藤倉はほ、と肩を落とした。
「やっと落ち着いたな。今回ばかりは年末の比じゃなかった。忙し過ぎて、流石に明日香に怒られた」
「へえ? 私と仕事どっちが大切なの! とか言いそうにないけどな」
「惜しいな。この前家でぶっ倒れそうになってな。生命と仕事どっちが大事なんだ、と怒られた」
「あーそれは言いそうだわ」
そう言って俺が笑うと、藤倉は安堵の色を顔に浮かべた。常に冷静沈着な藤倉が、そんな表情を見せるのはかなり珍しい。天変地異でも起こりそうだ。
「で? 何か話でも有るんでねーの? 優絡み?」
「・・・あれからどうなんだ?」
「どうもこうも? さっきもLINE入れてたの、見ただろ?」
「まあ何にせよ、お前にとっても良い結果に繋がって良かった」
藤倉はそう言って苦笑する。「俺も明日香も、お前がいつか消えて居なくなるんじゃないかと思ってたからな」
「ええ・・・俺、そんなに不安定そうだったの?」
「そうだ。一見は普通に見えるんだけどな。明日香は昔からお前の内側に気付いていた様だが。・・・まあ、明日香も明日香で、昔は色々有ったからな。同じ穴の狢だ、と言っていた位だから」
「嫁、そんなにヘビーな過去の持ち主なの?」
「それなりにな。誰だってそれなりに有るだろ?」
「ま、有るっちゃ有る。カテゴリの相違だけで。深刻度は人それぞれだしな」
「そうだな。ま、明日香の話は本人の了承を得てからにするわ」
そう言って、藤倉は昔話だけどな? と続けた。
大学時代の頃の―――俺と奈緒の話を持ち出した。
当時、藤倉は単純に、結婚まで考えていた彼女に振られた事が相当堪えたのだと思っていたらしい。実際の所は振られたという事実よりも、俺自身の内面の昏さに打ち拉がれていたのだが。藤倉がそんな俺の内面に気付いたのは、俺が会社に入社して暫くしての事だったのは、先述の通りだ。
入社して間もない当時、采配されるがままトラックを転がしていた俺は、誰に対しても上辺だけの笑顔を浮かべ、卒の無いお愛想を振り撒いており、その中庸っぷりは、大学時代の俺を髣髴とさせたらしい。
奥山とはまた質の違うの卒無さと愛想で、そんな当時の俺と矢作が被って見えたのだ、と。
「お前は途中で自分で気付いて、自ら軌道修正を図った。独りでは限界が有るだろうが、それでもお前は、お前自身が意識出来る範疇で一つ一つ必要な物を拾い始めた。表現が合っているかどうか解らんが」
「ま・・・大体合ってる」
俺がそう言うと、だがな、と藤倉は続ける。
「当初はお前と優が被って見えたが・・・お前の様に気付く事は出来んだろうと思った。深い事情が有るのは、性別を偽っている事から想像がつくだろ? ビジホに迎えに行った時、お前とは違い、あいつ自身が不明瞭な状態なんだと気付いたんだ」
「ま・・・確かに。俺も同居するまでは、何考えてるか解らん奴だとか思ってたしな」
「そこに関しては、入社当時のお前と同じだ。大田さんも、お前に対して同じ感想を言ってたからな」
「へえ。そりゃ初耳だ」
「お前がシステム課に定着した辺りからか、印象が変わって来たのは。柳が入り、土井や奥山が入社してから、より人間味も増した。大学時代の頃のお前はそれこそ中庸過ぎて、明日香が居なかったら、お前とどう話せば良いか解らんかったからな、俺」
確かに、当時は二人きりになると沈黙の方が多かった気がする。だが藤倉自体も相当素っ気無く無骨な人間なのだが、恐らく気付いていないだろう。
「今ではそれなりに信頼してるがな」
「それなりて。ひでーなおい」
くつくつと笑う俺を横目で見ると、藤倉はそうか? と真顔で返してきた。
「・・・正直言うと、心の何処かで、優とお前がくっつけば良いと思っていた気もする。性別は女だという事実だけは知っていたからな。それに、傷を舐め合う関係にはならないだろう、とも」
お前はそういうの、嫌いだろ。そう言って苦笑すると、焼き鳥を齧る。
「傷の舐め合いを否定はせんが、そういうのは性に合わん。で? キューピッドな俺様に感謝しろと?」
「要らん。何を言った所で後付けだし、結果論でしかない」
「だわな。てか逆に上手く行かなかったらどうしてたよ。人間関係的な意味でもよ」
「考えてなかったな」
「もちっと緻密に計算しろよ、所長さんや」
そう言ってビールを空けると、俺は追加を注文した。
「そうそう。優な、病院続けてるんだわ」
「ほう。それは良い事だ」
「だろ? で、かなり前向き。ポジティブ度アップ」
「そうだな。前みたいなふわふわした印象は無くなった。元請さんからの評価も高い」
「だよねだよね? とまあそんな訳で、結婚する事にしたんだわ」
「ほお、それは良いこ・・・ん?」
藤倉は聞き間違えたか? といった表情で、俺を見る。
「ん? 聞こえんかったか? まだそんな歳じゃないだろ」
「いや、聞こえた。が、え?」
こんなに動揺する藤倉も相当レアだ。何なら今すぐ土井やら奥山らに写メしたい程のレアもレア。某アニメのカードゲームなら間違いなくプレミア付でうん百万円レベルのカードに匹敵する。
「まあまだちょっと先だけどな。今回はちゃんとプロポーズ出来たし、良いお返事も頂けましたわ」
「マジか」
「マジです。俺が冗談言うとでも」
「身体の七割以上は冗談で出来てる癖に良く言う」
「俺の体内に水分は無いのか。失敬な奴め。―――でもな? 前みたいに中身の無い勢いというか・・・現実面ばかり考えて、お膳立てとかさ。そんな余裕、全然無かったわ。―――あいつを手放すのなんざ、一生無理」
「・・・そうか。早過ぎるような気もせんでもないが」
「そ。俺も自分にびっくりしたわ。ヤバいだろ、俺」
そう言って苦笑すると、藤倉はグラスを持ち、すっと手前に出す。
「乾杯だな」
「おう」
そう言って俺もジョッキを上げると、カチリと縁を当てる。乾杯をした後に、お互いのグラスが空になっている事に気付いた。
「何処までいっても様にならんな」
藤倉が鼻で息を吐きながら苦笑する。
「恰好見た目だけの二枚目俳優より、三枚目俳優の方が実力も味わいも有るってもんだ。俺らは三枚目で行きましょーや。で? ビールで良いよな?」
「仕方無い、一杯だけ付き合ってやる」
と、俄然焼酎派の藤倉が珍しく折れた。
すいません、と店員を呼んでお互い三杯目を注文する。
そして今度こそ、満々とビールが注がれたジョッキを傾け、乾杯したのだった。
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